Chapter 9:Part 32 淑女に希望を、そして名前を
統哉達は地面へ墜落したマモンの側へ慎重に近付いていく。頭部を見ると目は閉じられてはいたが、呼吸は止まってはいなかった。どうやら気絶しているだけのようだ。
「まさかハリセンでフィニッシュとは……『ハリセンは中盤以降の武器屋で売られている剣より強し』――古事記にもそう書かれているだけの事はあるな」
「よしお前は古事記に謝れ」
ルーシーが驚きを隠せない口調で呟き、即座に統哉がツッコむ。だが、彼女が驚くのも無理もない。ルーシー達堕天使にとって、統哉の振るうハリセンはおふざけを止める抑止力であり、自分達を震え上がらせる恐怖の象徴なのだ。
ただしそれは日常生活の中での話。戦いの場において、そのツッコミスキルは無用の長物である――はずだった。だが統哉はついにそのツッコミスキルを実戦で使えるレベルにまで昇華させてしまったのだ。その事実に堕天使達は思わず震え上がった。
「で、ここからどうするのよ?」
不安を滲ませた口調でレヴィが尋ねる。
「もう一度、マモンと俺の魔力のリンクを再構築して、もう一度マモンとの契約を結び直す」
「ぶっちゃけ、勝算はあるの?」
「わからない。でも今はこれが最後のチャンスなんだ」
「……一度暴走していた堕天使との契約を結び直すっていう話は聞いた事がないわ。正直言って、成功する保証はないわ。確かにこれは最後のチャンスね、妬ましい」
「だろうな。でも、まだ望みはあるかもしれない」
「望み?」
「ああ。俺にはまだ、マモンとの事で片が付いていない問題があるんだ。それに対しての、俺なりの答えを返す。それがマモンを立ち直らせるきっかけになればいいんだけど……でもそれが、正しい答えなのか、わからないんだ」
不安を隠せない口調で呟く統哉。その時、ルーシーが統哉の背中を軽く叩いた。
「統哉、ここまで来てなーに躊躇ってるんだい? ハードボイルドな探偵のおやっさんが言っていた。『男の仕事の八割は決断だ。そこから先はおまけみたいなもんだ』と。統哉、私は君の決断を支持するよ。だから君は君の決断をマモンにぶつけてやってくれ。あ、そこから先はアドリブでよろしく」
普段と変わらない調子で統哉を励ますルーシー。すると統哉の気持ちは自然と軽くなった。
ルーシーの言葉や振る舞いは不思議と自分の気持ちを後押ししてくれる。それが今の統哉には嬉しかった。
「ああ、そうだな。それでいこう。ありがとうな、ルーシー」
「統哉さん……お嬢様をよろしくお願いいたします……!」
「神に祈れないから、統哉さんに祈るしかないですよー……」
「ベストを尽くすよ」
統哉はルーシーに笑って礼を言い、未だ不安そうに統哉を見つめるアスカ達に笑いかけ、深々と頭を下げるマルファスとハルファスに声をかける。そして、倒れているマモンの側に跪く。そして、マモンの手を握り、意識を集中させる。
統哉の神経を、暗闇に包まれた迷路を手探りで進んでいくような感覚が包んでいく。さらに今度はマモンが統哉を拒絶しているのか、神経を鑢で削り、針で突き刺すような不快感と苦痛が彼を蝕む。
しかし統哉はそれに抗わずに、歯を食い縛って耐えながら、マモンの内部へと進んでいく。
するとその時、統哉の感覚に金色の光が溢れてきた。統哉は先ほどのように意志をそのまま流し込むような事はせず、その光へとそっと手を伸ばすイメージを思い描き、そこから包み込むようなイメージを思い描いていく。
だんだん、統哉を蝕んでいた苦痛や不快感が徐々に弱くなってきた。それが一番弱くなった瞬間を見計らい、統哉はマモンにそっと、触れるように、意志を伝えた。すると、統哉の感覚は金色の光へ引き込まれ、そして、落ちていった。
気が付くと、統哉は暗闇の中に一人で立っていた。ふと、自分の手を見てみるが、まるで何も見えなかった。
だが、統哉の感覚は暗闇の中にある、もう一つの気配を感じ取っていた。感覚に従い、統哉は歩き出す。
しばらく歩いていると、統哉は気配の主――マモンの姿を捉えた。マモンは膝を抱えてうずくまっており、その姿は妙にはっきりと見えていた。うずくまり、身じろぎ一つしない彼女の姿はとても小さく、まるで幼子のように見えた。
統哉はゆっくりとマモンの側へと近付き、腰を下ろした。
「やあ」
友人に挨拶するかのような気軽さで挨拶する統哉。
「……また、わたくしの心に土足で踏み込んできますのね」
だが、マモンはうずくまったままで顔を上げようとしない。彼女は統哉に感情のこもっていない口調で言う。
「さっきはごめん」
統哉は頭を下げ、謝罪した。
「俺、マモンの事を考えないで、強引に契約を結ぶなんて真似をしてしまった。それは君の心に土足で踏み入る事で、君が俺に対して心を開かなかったのも当たり前だよな。俺が早まったせいで、苦しんでいる君をさらに苦しめる形になってしまった。本当に、ごめん」
「……もう、そんな事などどうでもいいですわ。今更、そんな事を言うためだけにここまで来たんですの?」
統哉の謝罪に対し、マモンは許さないというよりも、興味がないといった様子で素っ気ない言葉を返す。すると統哉は首を横に振った。
「それだけじゃない。俺、さっき受けた君からのプロポーズの答えをまだ出していなかっただろ? その答えを伝えるために、俺は来たんだ」
すると、マモンは一瞬ビクリと身を震わせた。どうやら彼女もその事はまだ気にしてくれていたようだ。
統哉はそこで一旦言葉を切り、答えを伝えた。
「マモン。悪いけど、俺は君のモノにはなれない」
静かだが、決然とした統哉の言葉。それを聞いたマモンは体を強張らせた。しかし統哉は言葉を続ける。
「……でも、聞いてくれ。俺は君の事が嫌いじゃない。正直に言うと、俺はまだ、自分が誰を好きなのかっていうのがわからないんだ。だから今は、誰とも付き合うつもりがないんだ。でも、君が俺を自分のモノにしたいっていうのならば――」
統哉はそこで息を吸い――
「――俺にとって、君が一番になるように、これから俺を振り向かせてみせろ!」
強い口調で、叱咤するように、言い放った。
一度振っておきながら、自分を惚れさせてみせろと言う。自分で言っておきながら最低な返答だな、と統哉は自嘲した。しかし、彼女の性格からして、この一言が彼女をもう一度立ち上がらせるきっかけになると、確信めいた思いもあった。
すると、今までほとんど反応がなかったマモンがようやく顔を上げた。紫水晶を思わせる双眸からは光が消え失せ、そして、その顔は、ずっと泣いていたのだろう、涙の跡で酷い有様で、まるで長時間一人で留守番していたところに親が帰ってきたのを見た子供のようだった。マモンはしばらく統哉を見つめていたが、ようやくおずおずと口を開いた。
「……貴方は酷いお方ですのね……苦しんでいるわたくしをさらに苦しめて、その上でとんでもない事を仰る……」
「ああ。自分でも酷い奴だと思うよ。その上で出した答えだ」
マモンの言葉をあっさりと肯定した統哉。すると統哉は、でも、と続けた。
「確かに出会いは最悪だったし、住処に強引に攫うし、攫った動機も不純だった。おまけに口説くにしてもいきなり風呂場で迫ってきたのには驚いたよ。でも、そんな君が俺の目の前で苦しんでいるのなら、俺は君を助けたい。死なせたくないんだ!」
語気を強め、自分の思いを伝える統哉。
するとマモンはしばらく押し黙っていたが、やがて口を開いた。
「……命は、誰にでも限りあるものですわ。ヒトであれ、堕天使であれ、いつかは死ぬ定め。それなのに、貴方は限りある命を持つ者、それも死にゆくわたくしを、目の前で苦しんでいるからという理由で、『死』という普遍の法則から助けようとしている。貴方は、わがままで、欲張りですわ」
「そうかもな。でも、強欲を司る君にそう言われるだなんて、光栄だと思えばいいのかな?」
苦笑しながら統哉は尋ねる。すると、ようやくマモンも苦笑いを浮かべて言った。
「褒めてはいませんわ。呆れてしまっただけです。……ああ、でもどうしましょう。わたくしすら呆れるほど強欲な貴方だからこそ、わたくしの、『貴方が欲しい』という欲望が燃え上がってしまいますわ……」
「それじゃあ……!」
統哉が期待を滲ませた声を上げる。するとマモンは微笑みで返した。が、すぐにどこか不安そうな顔で尋ねた。
「いくつか、質問させていただいてもよろしいかしら?」
「どうぞ」
「……統哉さん……貴方はこんなわたくしでも……無一文になり、自暴自棄になって何もかもを壊してしまいそうになった……こんなわたくしでも貴方の側にいても良いと仰るのですか?」
「ああ」
「わたくし、無一文ですのよ?」
「大丈夫。お金ならこれから稼ぎ直していけばいい」
「わたくし、アスモデウスさんのように豊満じゃありませんわよ?」
「君は俺をなんだと思ってるんだ……俺は女性のスタイルにこだわらないよ。付け加えると君は十分スタイルがいいと思うぞ」
「わたくし、一度狙いを付けたら手にするまでとことんまで食らいつく女ですわよ?」
「上等。どんと来いだ」
「ええとそれから、わたくし――」
「もう十分にわかったから!」
なおも何か言おうとするマモンを、統哉は慌てて制し、立ち上がる。そして、少し躊躇い、だがすぐに決意を込めて統哉は言葉を紡いだ。
「――ノーマ!」
「ノーマ……?」
突然告げられた言葉に、マモンは思わず呟いた。統哉は頷いて続ける。
「そう、ノーマ……ノーマ・クロウ。君の、この世界での名前だよ」
「わたくしの、名前……? どうして……?」
マモンの疑問に統哉は苦笑しながら答える。
「俺さ、今まで契約してきた堕天使達にこの世界での名前を付ける事を強いられているみたいなんだ」
「どういう事ですの……」
「まあ、今までの流れからすると君にも名前を付ける事になりそうだから今のうちに決めておこうとおもってさ」
「どうやって決めたのか、伺ってもよろしくて?」
「マモンをアルファベットで書くと、『Mammon』だろ? それをひっくり返して『Nommam』……で、Mが多いからいくつか省いて『Noma』――ノーマにしてみたんだ。で、それに君のモチーフでもあるcrowを付けてみたんだ。まあ、今決めたんだけどな」
「ノーマ・クロウ……」
「名前っていうのも妙な話だけど、俺からのプレゼント。どうかな?」
はにかんだような笑みを浮かべる統哉。すると、今まで光が失われていたマモンの双眸に光が戻っていく。
「……わたくし、今まで金銀財宝の類はたくさん贈られてきましたが、名前を贈り物にされる方は初めてですわ……ノーマ・クロウ……その名前、謹んで頂戴いたしますわ……!」
マモン――ノーマは満面の笑顔で統哉からの名前を受け取った。
「それじゃあ、行こう――ノーマ!」
「はい!」
統哉は名を呼び、ノーマに手を差し出す。彼女は迷う事なくその手を掴んだ。すると、繋いだ手から金色の光が溢れ、二人の周囲を閉ざしていた暗闇を照らしていく。
さらに光は溢れ、統哉の両腕を覆っていく。両腕を覆っていた光が収まっていた時、そこには、あの篭手と盾が一体となったような奇妙な物体に覆われていた。ただ、無色だったその物体は眩いばかりの金色に彩られている。
統哉の脳裏に、新しく発現したその<神器>の名前が浮かぶ。
「――ノーマファウスト」
統哉は確かめるようにその名前を呟く。
「これが、君との契約で発現した新しい<神器>だ」
「ずいぶんとごついフォルムですわね。わたくし、タフガイな武器は好みではありませんわ」
「いやいや、腕の方は流線的なのに、手を覆う部分は鋭角的。それってマモンの気高さと大胆さをよく表してるんじゃないか?」
「そ、そうかしら? そう言われると、なんだか照れくさいですし、そのフォルムもそれはそれでありだと思いますわ……カカッ」
統哉の言葉にノーマは頬を染めて笑う。やがて、溢れる金色の光はますます輝きを増し、周囲が見えなくなるほどの強さになる。
それにつられるかのように、統哉の意識が遠のいていく。そして、彼の意識が途絶える寸前、耳元でノーマの囁く声が響いた。
「統哉さん……わたくしは、貴方をお慕い申し上げておりますわ」




