Chapter 9:Part 30 凶鳥
双頭の巨鳥は全長は尾を含めて五、六メートルほどで、首から胴体にかけて、琥珀色をした円形の結晶が大小様々、不規則に生えている。それはまるでその鳥を彩るアクセサリーのようだった。二つの頭はそれぞれ爛々と輝く瞳を持ち、異様に伸びた漆黒の嘴はマモンの得物である<黒烏の嘴>を彷彿とさせた。
唖然とする統哉達の目の前で、双頭の巨鳥は歪な形の翼を広げ、甲高い声で鳴いた。凄まじい魔力が鳴き声に乗って周囲へ広がっていく。
すると、ホテルが爆破された時に降り注ぎ、アスカとエルゼが弾き飛ばしていた周囲の瓦礫が浮かび上がっていく。おそらくはマモンから放たれている強大な魔力の余波が瓦礫を浮揚させているのだろう。
「あたしの時と同じだ……!」
変わり果てた姿のマモンを見たエルゼが身を震わせながら呟く。
「あたしが感じた、飢餓感が極限に達した時に感じたあの絶望感……マモンの場合、億万長者から一転、無一文に転落した事で生まれた絶望がマモンを呑み込んじゃったんだ……!」
「確かにあれは誰だってそーなる。私だってそーなる」
ルーシーが軽い口調で応じる。しかしその表情は緊張感に満ちていた。
「……どうするんだよ。エルゼの時みたいにギリギリまで弱らせれば元に戻せる可能性があるのか?」
統哉が自然な動作で輝石を呼び出し、手に握り込みながら尋ねた。
「いや、今回はそうはいかないかもね」
「どういう事だ?」
それに応えたのは真剣な口調のアスカだ。穏やかではない言葉に統哉がアスカを見る。
「えるえるの場合、あの時は天使を喰らった事で得られていた魔力のおかげでまだ理性が残っていたんだよ。だからあの時はギリギリのところで暴走を止める事ができた。でも統哉君、今のまもまもを見てみて」
アスカに促され、統哉は変わり果てたマモンを見る。彼女は今、理性の欠片すら感じられない――つまり本能のみで動いているという様子だった。マモンは今、大きく身を反らせて甲高い声で哭いていた。大きく開いた口からは怒りと悲しみと、言いようのない絶望に彩られた絶叫が放たれていた。
その絶叫に統哉は思わず身を震わせると同時に、彼女の中で荒れ狂っている絶望を感じた。
「あれじゃあもう、マモンという人格は破壊されてしまっているわね。今のあいつは、ただの狂った鳥よ。……まったく妬ましい。どうしてこんな展開になるのよ……!」
レヴィが苦々しい口調で呟く。冷たい言葉とは裏腹に、その表情は変わり果てた同胞の姿に対する悲しみに満ちていた。
「まさかみんな、あいつを殺すつもりなのか?」
戦闘態勢に入ろうとする堕天使達を見渡し、戸惑う統哉。すると側に立っていたルーシーが彼の背中を軽く叩いた。
「そうだ。今の彼女はもうただの狂った鳥。ああなってしまったら、もう私達にできる事は斃す事しかない。統哉、割り切れよ。でないと、殺されるのは私達だ」
「そんな……!」
ルーシーから告げられた冷徹ともいえる言葉に、統哉は身を強ばらせた。だが統哉はしばしの逡巡の後、輝石を魔剣ベルブレイザーへと変化させた。
「……で? 君達はどうするんだ? 私達はこれから君達の主をぶちのめすんだけどな?」
ルーシーが離れたところで呆然と立ちすくんでいるマルファスとハルファスに尋ねた。
しかし、二人は呆然としたまま答えようとしない。
「……仕方がない。私達でやるしかない」
「いいのか?」
疑問を呈した統哉にルーシーは軽く首を横に振った。
「自分達の主がああなってしまったんだ、それをすぐ受け入れろっていうのが無理な話だろう。おそらく彼女達はこちらに敵対しないだろうが、こちらを手伝う事もないだろう」
その時、マモンが再び大きく鳴き、ゆっくりと羽ばたいてその巨体を宙に浮かび上がらせた。
「来るぞ! みんな散開!」
ルーシーの号令の下、統哉達はそれぞれ手近な位置にある瓦礫へと飛び移っていく。
「こうするしかないのか……!」
「できれば苦しまずに逝かせてあげたいけど……!」
沈痛な表情で統哉はベルブレイザーから火炎弾を撃ち、別の足場からはエルゼが足に纏わせた風の魔力を刃として放つ。
高速で放たれた攻撃はマモンに直撃するかと思われた。しかし次の瞬間、マモンの周囲に浮遊していた瓦礫が彼女を庇うように間へ割って入り、攻撃を受け止めた。
統哉とエルゼが驚く間もなく、砕け散った瓦礫が弾丸のような勢いで向かってきた。
慌てて統哉とエルゼは別の足場へ飛び移り、攻撃を回避した。統哉が飛び移った先にはルーシーがいた。
「なるほど。攻撃は魔力を流し込んだ瓦礫で受け止めて、しかもその砕けたものを弾丸として飛ばす。まさに攻防一体、やる事がニクいねぇ」
「感心してる場合じゃないだろ!」
感心するルーシーに統哉はツッコミを入れつつ、ベルブレイザーをエルゼシューターへと切り替えた。
「だったら手数だ!」
統哉の意志に応え、制御装置から離れた八基のフェザーが緑色の閃光を矢継ぎ早に放ち、それを援護するためルーシーが両手から光球を放つ。そして別の場所からはアスカが電撃、エルゼが風刃、レヴィが水流を放ち、一斉攻撃を仕掛けていた。
しかしどの攻撃も魔力を纏った瓦礫によって防がれ、砕けた瓦礫が弾丸の雨となって統哉達を襲う。
降り注ぐ瓦礫の弾丸に統哉達は縦横無尽に動いて攻撃をかわしていく。統哉とルーシーは宙に浮いていた直径約二メートルの瓦礫に着地し、同時に息をついた。
「参ったな。手数で押すとかえってこちらの被害が増してしまう」
「遠距離攻撃ではジリー・プアー(徐々に不利)……統哉、どうする?」
「……一気に近付いて叩く」
「流石。私もそう考えていたところさ」
統哉とルーシーは拳を軽く打ち合わせ、作戦を実行に移そうとする。その時、マモンが二つの首を大きく反らした。
何をする気だろうと統哉が疑問を抱いた瞬間、マモンは凄まじい勢いで二つの首を統哉とルーシーの立つ足場めがけて振り下ろしてきた。
「ま、マジかーっ!?」
思わずルーシーが素っ頓狂な叫び声を上げる。それでも彼女の体は反射的に動き、即座に別の足場へ飛び移る。ワンテンポ遅れて統哉もルーシーに続いて足場へ飛び移る。その直後、統哉とルーシーの乗っていた足場はマモンの振り下ろした嘴によって粉々に粉砕されていた。あと少し反応が遅ければ自分達もああなっていたかもしれない。そう思う統哉の背を冷たい汗が伝った。
ふと統哉が周囲を見渡すと、そこでは堕天使達がマモンめがけて接近戦を挑んでいた。
「ぶれ~ど~」
「セイヤーッ!」
「とっとと墜ちなさいよ!」
アスカがキャノン砲に発生させたレーザーの刃を振るい、エルゼが竜巻を纏ったローリングソバットを放ち、レヴィが楯鱗を纏った鋭く、そして重いパンチとキックの乱打をマモンめがけて放つ。しかしいずれの攻撃もマモンの強靱な羽毛によって本来の威力を大きく削がれ、決定打にはならなかった。
そして、攻撃の隙を狙ったように、マモンの首から胴体にかけて不規則に生えている、琥珀色の結晶から金色の閃光が放たれ、アスカ達に殺到した。
アスカ達は咄嗟にそれぞれの属性の魔力で障壁を展開し、それを防ぐ。しかし閃光の威力は大きく、閃光は障壁を破り、彼女達を容赦なく焼いた。
撃ち落とされる格好になった彼女達はちょうど統哉達が立つ足場に叩きつけられた。統哉とルーシーが即座に駆け寄る。
「みんな、大丈夫か!?」
統哉が声をかける。するとアスカ達はゆっくりと体を起こした。
「も~まんた~い」
「ん、大丈夫。すぐに治るから!」
「鱗をちょっと焼かれただけよ!」
アスカ達はそれぞれ軽口を叩く。しかし誰もが脇腹や腕を焼かれており、大小様々な火傷の痕が痛々しかった。
「しかし、これはなかなか難しいな。遠距離からは瓦礫の盾、近距離では強靱な羽毛が攻撃の威力を減衰させる。まさに難攻不落、|鉄《くろがね
》の城とはよくいったものだ」
「初耳だよ!? あとそれはネタとしてどうなんだ!?」
ルーシーの呟きに対し、即座に統哉がツッコむ。
「しかし、これからどうするのよ? このままじゃ押し切られるわよ」
レヴィが苦々しげに言う。その横で統哉は必死に考えを巡らせていた。
確かに相手の力は強大だ。しかし、統哉には今のマモンが理性を失って発狂しているというより、苦しんでいるように見えていた。
自分の住処を全壊させられ、手にできるはずだった自分やこの島を目の前で取り上げられ、挙げ句の果てに自分が築き上げてきた富を全て失ったのだ。その時の絶望感は言いようがないほど大きいに違いない。統哉も両親を失った過去があるからこそ、失う事への恐怖と絶望はよくわかっていた。だからこそ、統哉の中では彼女を「助けたい」という思いが芽生えていた。
だが、マモンは今大きな絶望に呑み込まれ、それに翻弄されて自分を見失ってしまっている。
そんな状態で、今苦しんでいるであろう彼女を本当に助ける事はできるのか。それとも、このまま彼女を殺すか、彼女に殺されるしかないのか。
違う。
一瞬自分の中に浮かんだ最悪の結末を統哉は振り払った。
「俺の力……『堕天使に好かれる程度の力』……この力でどうにかできないか……?」
そっと呟く。
今の自分には力がある。言葉にすると安っぽい力だが、その力の強さは自分自身が身をもってよく知っている。堕天使の力を強め、安心感を与える能力。
その時、統哉の中で何かが閃いた。そして、即座に叫んでいた。
「みんな、少しだけでいい! 俺がマモンに近付く時間を稼いでくれないか!」
「ど、どうしたんだ統哉? 急に叫んで」
「説明している時間が惜しい! 今はそれに賭けるしかない!」
突然叫んだ統哉に疑問を投げかけたルーシーに、統哉はただ叫んだ。時間がない事を理解したルーシーは表情を引き締めて軽く頷き、アスカ達を見る。するとアスカ達も頷き、立ち上がる。
「「「大体わかった!」」」
一言統哉に告げ、アスカ達は散開した。一人統哉の側に残っていたルーシーも統哉の肩を軽く叩いた。
「君が何を企んでいるかはわからないが、これだけは言わせてくれ――無理はするなよ」
それだけ告げると、ルーシーも統哉がマモンに近付く時間を稼ぐために動き出した。
「レヴィ!」
「任せなさい!」
エルゼとレヴィはそれぞれ別の足場に立ち、両手を前方へ突き出す。するとエルゼの両手からは竜巻が、レヴィの両手からは激流が生まれ、それがマモンが持つ二本の首めがけて突き進んでいく。それを見たマモンは周囲の瓦礫を浮き上がらせ、攻撃を防ごうとする。
「ところがぎっちょん!」
「撃ち落としちゃうね~」
しかし、それよりも早く別の足場に飛び移っていたルーシーが両手から光弾を、そしてアスカがキャノン砲からビームを放ち、瓦礫を破壊していく。
ルーシーとアスカの援護により、マモンを守る瓦礫は消し飛び、そしてエルゼとレヴィの放った竜巻と激流がマモンの首を捉えた。
二人の放った竜巻と激流はマモンの首を掴むかのようにしっかりと捕らえ、彼女の動きを封じ込めていた。その間も、ルーシーとアスカはマモンがいつ動き出してもいいように身構えていた。
動きが封じられたとみた統哉は浮遊している瓦礫を素早く渡り、その途中ですれ違った堕天使達に軽く手を上げて感謝の意を示しつつ、マモンの側まで接近し、輝石を戻した。そして――
「元に……戻れぇぇぇぇっ!」
叫び、統哉は足場からマモンめがけて跳躍した。そして彼女の胴体にしがみつき、左手で妙に手触りの良い羽毛を纏めて掴み、腕へ巻き付ける。そして右手をマモンの体に当て、意識を集中させる。
それは、暗闇に包まれた迷路を手探りで進んでいくような感覚だった。酷く覚束ない感覚に統哉は若干の苛立ちを覚えつつ、目当てのものを探していく。
するとその時、統哉の中に金色の光が走った。その一瞬の感覚を逃さず、統哉は自分の意志を強くマモンに流し込むイメージを思い描きつつ、マモンの体に当てていた右手を離す。すると、彼女の体から金色の光が浮かび上がり、統哉の手に引き寄せられていく。やがてその光は統哉の体に吸い込まれていった。それと同時にマモンの体からは緊張感が抜け、羽ばたきも弱いものになっていった。
「……一か八かだったけど、上手くいった、かな?」
自分の想像以上に気力と魔力を消費しながらも、統哉は満足げに呟いた。
その時、下の足場から焦りを含んだルーシーの声が届いた。
「と、統哉!? まさか、君は!」
統哉はマモンの体にしがみついたまま振り返り、答えた。
「ああ。俺の能力を応用して、こっちからマモンに契約を持ちかけ、結んだんだ。まあ、契約っていうにはちょっとやり方が強引だったけどさ」
ちょっと苦労した、そんな口調で言ってのける統哉に堕天使達は言葉を失っていた。八神統哉という、人間であって、<天士>である者の潜在能力の高さに。そして、彼と最初に契約し、力を与えたルーシーはひときわ大きな驚愕をその顔に浮かべていた。
「そういえば、契約を結んだ時にマモンの力が流れ込んできてたな。どんな力なんだろう」
新しい玩具を買ってもらった子供のようにどこか無邪気な口調で統哉は呟き、輝石を呼び出し、意識を集中させる。
すると、輝石は金色に輝きだし、二つの光球へと形を変えていく。光球は統哉の両手を覆い、やがて光が弾けた。
統哉の両手は、篭手と盾が一体となったような、奇妙な物体に覆われていた。
腕を覆う部分は流線的なフォルムでありながら、手を覆う部分は鋭角的なフォルムを持ちつつも、先端にあたる部分には拳大の玉がはめ込まれている。そんな対照的な形の<神器>はマモンの高貴な面と大胆な面をよく表している、と統哉は思った。
だが、統哉はある事に気付いた。マモンの力を得て新しく発現した<神器>に、色が付いていない事に。
その時統哉は、かつてルーシーと交わした会話を思い出した。
『統哉、<神器>というのは堕天使との契約によって、契約者の魂から生成されるものだという事は前に話したな?』
『ああ』
『だが<神器>が本来の力を発揮するには、契約した堕天使が契約者に心を開いていなければならないんだ。簡単に言うならば、お互いの信頼関係というやつだな』
『信頼、関係……』
『私は君との対話で君に何かを感じ、すぐに力を貸す事を決めた。しかし、ベリアルの場合は君と強引に契約を交わしはしたが、心を開いていなかったために、<神器>を生み出しはしたが、本来の力を発揮できない状態なんだ。本来の力を発揮できていない<神器>は、このような無色の状態で、かつ名前がイメージできないんだ。そして、それは戦闘においても全力を出せないという形で影響を及ぼす』
その時になって、統哉は確信した。
自分はマモンと契約を交わしたが、彼女が自分に心を開いていなかったという事を。
「統哉! すぐにマモンから離れろ!」
その時、ルーシーの叫び声が耳朶を打った。
彼女の言葉で統哉が我に返ると同時に、マモンが大きく身を震わせた後、甲高い声で鳴いた。すると、彼女の体から金色の魔力光が溢れ出し、それは衝撃波となってしがみついていた統哉を吹き飛ばした。
マモンの思いがけない反撃に、完全に不意を付かれた統哉は為す術なく吹き飛ばされてしまう。周囲には足場となる瓦礫は浮遊していない。このままでは統哉の体は地面に落下してしまう。
「よいしょっと! へへっ、ナイスキャッチってとこ?」
そこへすかさずエルゼが持ち前の機動性で飛来し、吹き飛ばされた統哉をしっかりと受け止めた。
「助かったよ。ありがとう、エルゼ」
統哉は首を後ろに向け、エルゼに礼を言う。統哉から感謝の言葉をかけられたエルゼはにっこりと笑った。
すると、先程まで動きが止まっていたマモンが狂ったような鳴き声を上げ、より激しく羽ばたき、その体を激しく暴れさせた。
「な、何が起こっているんだ!? 俺、もしかして失敗したのか!?」
唖然とする統哉に、エルゼが説明する。
「統哉君、今のマモンには統哉君の持つ強い魔力はかえって逆効果だったんだよ! 絶望で正気を失っているところに、契約を結んだ事と、統哉君の持つ強い魔力が流れ込んだ事によって、ただでさえ不安定だったマモンの魔力の流れがさらに混沌としたものになってしまってるの!」
「なんだって!?」
統哉は驚愕に目を見開き、視線を動かす。彼の視線の先では、更なる狂気に陥った、一羽の凶鳥が暴れている姿があった。




