Chapter 9:Part 20 城塞の死闘Ⅰ(2)
アスカは一旦構えていたキャノン砲を収納し、書架の陰に隠れながら神経を集中してマルファスの気配をつかもうとしていた。
相手は格下といえど自分と同じソロモン七二柱が一柱。それも、諜報や暗殺といった静かに、かつ機械のように冷酷無比に任務を遂行する堕天使。ちょっとした油断が死を招く事態になりかねない相手だ。もっとも、その業を目の当たりにするのは今回が初めてだが。
「きじうちきじうち~♪ さぁ~て、とりさんはどこでしょか~♪」
周囲の様子を探ろうと、アスカが小声で奇妙な歌を歌いながら書架の陰から顔を出す。直後、その鼻先をスローイングナイフが掠めた。
「ひゅぅぅぅぅ~……」
アスカは思わず口から空気を漏らした。咄嗟に顔を引っ込めなかったら今頃横顔にナイフが突き刺さっていただろう。
安堵するアスカ。しかし次の瞬間には思考を切り替え、即座にその場所を離脱した。
現在自分がいる位置に攻撃が来たという事は、相手が自分の位置を把握しているという事。その場所に留まるという事は、逃げ場のない状況で相手からの集中攻撃に晒される事を意味する。
おっとりとした雰囲気とは裏腹に、凄まじい速度でアスカは図書室を駆け抜ける。
そんな彼女に、背後や頭上、時には反射という技巧も織り交ぜられたナイフの嵐が襲いかかる。
アスカはひいひい言いながらも襲い来るナイフを体を捻り、飛び退いてかわし、時には机や書架といった遮蔽物を盾にしながら回避に徹していた。
アスカが逃げ、姿なきマルファスが追撃する。
アスカ曰く「狩りごっこ」はいつの間にか、アスカが狩られる側へと回っていた。
しかしアスカもただ逃げていたわけでない。
こうなったらもう狩りごっこはおしまいだ。隠れる場所など全部壊してやる。
アスカはそう考えながら、必死にナイフの嵐から逃げ続けていた。逃げ回りながら彼女は自らを巡る魔力を少しずつ、確実に練り上げつつ逆転のチャンスに備えていた。
逃げる事数分。アスカは図書室の中央へとたどり着いた。図書室の中央には十数人が着席できるほどの大きさを持つ円卓が配置されている。そして、そこから放射状に通路が広がり、それを挟む形で書架が配されている。
アスカはしめたとばかりに口元に笑みを浮かべ、円卓へ飛び乗った。
「ひっさ~つ!」
叫ぶや否やアスカはキャノン砲を呼び出し、最大出力に必要な残りの魔力を充填する。
本来、アスカのキャノン砲に最大まで魔力を充填するには七大罪が一席といえどもしばらくの時間を要する。しかしアスカはマルファスから逃げ回りながら魔力を練り上げ、それを少しずつ異空間へ収納していたキャノン砲へと送り、チャージにかかる時間を短縮していたのだ。事前に充填されていた魔力により、必要になる残りの魔力は僅か。そして今、キャノン砲に魔力が最大までチャージされた。
キャノン砲に充填された魔力が臨界点を迎えた事を悟ったアスカは――
「そぉぉぉぉりゃぁぁぁぁ~~~~! ろーりんぐばすたぁぁぁぁ~~~~っ!」
その場でキャノン砲を構え、なんとも気の抜けた叫び声を上げながら体を回転させ、最大級の紫電の閃光を解き放った。
キャノン砲から放たれた紫電の閃光が書架を瞬く間に焼き尽くしていく。
アスカのとった作戦とは、最大出力のビームを回転させながら照射する事によって疑似的な全方位攻撃を行う事だった。遮蔽物を破壊しつつ、あわよくばマルファスを倒す事ができればいいと、アスカはそう考えていた。
しばらくして、キャノン砲から放たれた閃光が収まり、内蔵されている冷却機構が甲高い音を立てる。アスカは急激に魔力を消費したために肩で息をつきながら周囲を見渡す。
そこはもう図書室ではなく、瓦礫の山だった。書架や上階の通路は跡形も残らないほどに焼き尽くされ、書架に納められていた膨大な本も吹雪のように散らばる紙片を除き、灰すら残さずに焼き尽くされていた。アスカが立つ円卓も、強烈な砲撃の余波で破壊され、残っているのはアスカが立つ僅かなスペースのみであった。残っているのは、破壊により生じた煙と、木と紙が燃える臭い、そして静寂であった。
「やったかな~……?」
アスカがぼそっと呟く。しかし次の瞬間、アスカは身を翻した。
死角から振るわれたナイフが空を切り、本来の狙いであった心臓ではなく、アスカの纏うローブを切り裂き、彼女の脇腹を掠めた。
アスカは鋭い痛みに思わずよろめき、前のめりになりながら円卓から落下して床へ倒れ、呻き声を上げた。
「……仕留め損ないましたか。まったく、凄まじい反応速度ですね」
床に倒れるアスカが声のする方向――頭上を見ると、マルファスが冷たい瞳で彼女を見下ろしていた。
猛禽類を思わせる紫の瞳と、奥底に紫電を宿した紫の瞳が視線を交錯させる。
「ですが、もうあなたは『詰み』にはまっています。何故なら――」
そう言うとマルファスは勢いよくバンザイをするかのように両手を頭上へ上げた。その行為の意味をアスカが考えていると、彼女の直感が危険を告げた。アスカが力を振り絞って頭上を見ると、そこにはマルファスの両手から放たれた無数の金属球が宙に浮かんでいた。そしてそれらは見る見るうちにスローイングナイフへと形を変え――
「これでトドメとさせていただくからです」
マルファスが攻撃に巻き込まれないようにバックステップで距離をとり、姿を隠す。アスカも逃げようと体を動かすが、脇腹の傷が思った以上に深く、その痛みが彼女の動きを阻んでいた。
そして、ナイフの豪雨がアスカめがけて殺到した。
マルファスは耳を聾する甲高い金属音が止んだのを聞き届けるとアスカの息の根が止まっているかどうかを確認するためにアスカの元へ近付いた。
「……やー、錬金術に魔術を組み合わせた業、すごいな~。まるまる、だっけ~? あなたセンスあるよ~」
アスカは生きていた。仰向けに倒れ、荒い息をつきながらもマルファスに賛辞を送っている。
しかし無傷というわけではなく、片手に握られたローブはボロボロになり、ローブの下に纏っているレオタード状のアンダースーツもあちこちが裂けていて何とも際どい格好になっていた。
「……驚きました、まだ生きていたんですね」
マルファスが驚愕と呆れとを含んだ口調で呟く。だが彼女は内心驚愕していた。
何故、身動きがほとんどとれない状態で、あのナイフの雨を凌ぎきったのか。あの時自分は確実に仕留めるため、過剰ともいえるほどにナイフと化す金属球を放り投げていた。球は魔力を帯びているため、それなりの防御力を持つ防具であろうと貫通できる自信はあった。
「知りたがっているようだから、教えてあげるね~」
そんなマルファスの内心を見透かしたのか、アスカはにへらと笑った。
「確かにあの時、わたしは怪我で動けなかったよ~。だからわたしは咄嗟にローブを脱いで仰向けになって、ローブを盾に、そしてわたしを包むように魔力を集中させた電撃のバリアを張ったの~」
何て事ない口調で言ってのけるアスカ。しかしそれはナイフが降り注ぐまでの僅かな間にその工程をやってのけた事になる。
のんびりとした雰囲気の中に潜む、アスモデウスという堕天使の異常性を垣間見たマルファスの頬を無意識のうちに冷や汗が伝う。
彼女は今、かつて自分が相対した今の主、マモンと戦っていた時のようなプレッシャーを感じていた。
封印された事で弱体化はしていても、彼女に蓄積された戦闘経験、咄嗟の判断力は微塵も衰えてはいなかったのだ。
「ほとんどのナイフはバリアで防げたからダメージはなし……まーもっとも、何本かのナイフはバリアとローブを抜けちゃったけどね~。それでも、スーツを裂くまではできても、わたし自身に突き刺さるほどの勢いはなかったよ~」
のんびりとした口調で言いながら立ち上がるアスカ。堕天使特有の治癒力の恩恵か、ナイフで裂かれた脇腹の傷も出血が治まり、塞がり始めている。
「さ~て、それじゃあ今度はこっちのターンだね~」
柔和な雰囲気と語調のまま、アスカはニヤリと笑った。身構えるマルファス。するとアスカは身を翻し、図書館の奥へ逃げ始めた。
「逃~げるが勝~ち~! つ~かまえて~ご~らんなさ~い!」
笑いながら逃げるアスカ。それを侮辱と受け取ったのか、マルファスは目を吊り上げてその後を追った。
おまけ:表紙イラスト(絵師様:笹月風雲様)




