Chapter 9:Part 14 砂漠の「ヌシ」
マモンの手紙は、その日の内に二人の元へ届いた。
突然届いた手紙に、二人は訝しみながらも封を切り、中身を検めた。
「とうとう見つかってしまいましたか。しかし、どうして手紙を? それも、七大罪が一席の方から直々とは」
マルファスが首を傾げながら手紙の差出人であるマモンの名前をしげしげと見つめる。
「さあねえ。ところで、マモン様ってどういう方だったっけ。私、七大罪の方々とはほとんど面識がないから」
ハルファスは特に何て事ないかのように答えながら、銃の手入れをしている。
するとマルファスはしばらく考え込んだ後、思い出したかのように口を開いた。
「聞くところによると、強欲で高慢ちきで高飛車なお嬢様だと」
身も蓋もない言葉に、ハルファスは銃の手入れの手を止めて笑い出した。
「ちょっと、何それ! 酷い表現じゃない! あーっはっはっは!」
ツボにはまったのか、ハルファスはしばらくの間床をごろごろと転げ回った。笑いが収まった頃、ハルファスはようやく体を起こし、手紙に目を向けた。
「それでマルちゃん、手紙にはなんて書いてあるの?」
その問いにマルファスは一つ頷き、手紙を広げて読み始めた。
拝啓、マルファス様、ハルファス様。
「うぉ~~~~! あっち~~~~!」と叫びたくなるほど暑い毎日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、この度は貴女方の好き勝手な行動を重く見た堕天使が長、ルシフェル様より直々の命を受け、わたくしマモンが貴女方の捕縛にあたる事になりました。
貴女方が他の堕天使達と連携をとる事なく、二人で好き勝手に過ごしている事は既に伺っております。
故に、実力行使によって貴女方を捕縛し、然るべき処罰を与えなければいけなくなりました。
ただし、普通にやるとわたくしが一方的に勝つのは確定的に明らかですので、何点かわたくしにハンデを課したいと思います。
一.地震をはじめとする広範囲にわたる攻撃は行わない。
二.飛行による移動は行わない。
三.宝石魔術は使用しない。
以上の条件を固く守る事をここに誓い、明日、貴女方の元へ参上いたします。
七大罪・「強欲」のマモン――
「宣戦布告という事ですね」
手紙を読み終えたマルファスは手紙を握り潰した。
「……なめられたものですね、私達も。今まで見てきた中で最高傑作といってもいいほど、ふざけきった手紙ですよ、これは」
怒りを通り越して呆れたという表情で握り潰した手紙を投げ捨て、ブーツで踏みにじった。傍らで一緒に手紙を読んだハルファスも手紙の内容にこめかみを微妙に震わせている。
「そうだね、完全になめられてるね私達。で、マルちゃん。どうするの?」
「向こうがその気なら、私達も全力で迎撃するまでです。ハル、準備にかかりますよ」
「おーらーい。身の程知らずのお嬢様に世間の厳しさって奴を嫌と言うほど思い知らせてあげましょうかね」
翌日。
マモンはハルファスとマルファスが潜伏している砂漠地帯に足を踏み入れた。
見渡す限り、白っぽい砂が広がり、障害物といえそうなものは砂が盛り上がってできた小山と、かつて人が暮らしていたらしい建物の残骸だけだった。
言葉を失うほど、一面の砂景色を見たマモンは――。
「…………あっついですわぁああああっ!?」
開口一番、淑女が発するとは思えないほどの声で絶叫した。
「なんなんですのここは!? 『暑い』という言葉しか見つからないほど暑いし髪は傷むし進もうにもロクな目印はないし歩こうにも砂に足を取られるしで面倒くさい事極まりないですわ!」
誰に対してでもなく、過酷な環境に対してやり場のない怒りを叫ぶマモン。これは完全に砂漠という過酷な環境を軽視したマモンの落ち度である。マモンは特に荷物らしい荷物も持たず、その服装はいつも纏っている着物をモチーフとした袖の長い黒のドレスであり、防塵用のマントなんて纏っていない。ちなみに彼女は砂漠に足を踏み入れるのは生まれて初めてである。
照りつける太陽、容赦なく吹き荒ぶ砂塵混じりの熱風、方向感覚を失うほど変わらない風景、歩く度に砂地へ埋まるブーツ。砂漠という環境はたとえ堕天使のエースであっても容赦なく牙を剥く。
「ああもう、これは参りましたわね! せめて飛行制限はなしにするべきだったかしら! ……ああ、いけませんわ。一度宣言したというのにそれを身勝手な理由で反故にするのはわたくしの流儀に反しますわ。とりあえず今はこのまままっすぐ進んで、二人の潜伏場所へ向かわなくては」
一人ごちながらもマモンは砂漠を進んでいく。すると突然、彼女を不吉な振動が襲った。異変を感じ取ったマモンは即座に足を止める。
次の瞬間、彼女の数メートル先の地面が大きく隆起し、そこから一五、六メートルはあろうかという巨大なミミズが現れた。
「あらあら」
マモンは目を丸くし、巨大ミミズを見上げながら呟いた。
「わたくし、あなたに構っている暇はありませんの。道を開けていただけるかしら?」
しばしの沈黙。
そして巨大ミミズは大口を開けて一気に突進してきた。
「ですわよね! こうなるってわかってましたわよ! あ゛ーーーーっ!」
砂漠に、カラスの悲鳴めいた声がこだました。
「オイオイオイ、死ぬよアイツ」
かつてここに攻め入ってきた軍隊から奪った高性能長距離スコープを覗き込みながらハルファスがおかしくてたまらないといった口調で言う。
現在二人は、砂漠の中央に位置する、廃墟都市にそびえ立つ宮殿の廃墟からマモンの戦いを眺めていた。
「数ヶ月ぶりだよね、この砂漠の『ヌシ』が出てくるのは。久々にやってきた高級餌に惹かれてきたのかな? それにしても見てよマルちゃん、あの情けない逃げっぷり! お嬢様が聞いて呆れるね!」
スコープの先では、マモンが砂に足を取られて転びながら「ヌシ」――巨大ミミズから必死に逃げ回っている。
「砂漠という環境をなめきってかかった当然の結果です」
必死に逃げ回るマモンをスコープ越しに眺めながら、マルファスが冷静な口調で言う。
「天界じゃあどうだったか知らないけど、ここではあのミミズ君が王者なんだよねー。それと私達♪」
お嬢様然とした姿のマモンが無様に転倒しつつ巨大ミミズから逃げ回る姿をニヤニヤとした笑いを浮かべながら、ハルファスは見物を続ける。
一方その頃、マモンは何度も砂に足を取られて転倒しながらも、必死に巨大ミミズから逃げ続けていた。彼女の金色の髪や黒のドレスはすっかり砂で汚れていたが、今それを気にしている余裕など今の彼女にはなかった。
飛行すればすぐに逃げられるのに、手紙で制限を課した事からそれは彼女のプライドが決して許さなかった。一度交わした約束を反故にするのは彼女の流儀――「貴族の義務」に反するのだ。
だが、巨大ミミズはそんな事などお構いなしに大口を開けてマモンを一呑みにしようとその巨体からは考えられないほどのスピードで彼女に襲いかかる。
彼女は咄嗟に転がって突進を回避する。即座に立ち上がろうとするが、ブーツを砂に足を取られてうまく立ち上がれない。そうしている間に、巨大ミミズは向きを変えて再びマモンに襲いかかる。
万事休す。だがマモンの目は全く諦めていなかった。
「ああもう! 接地圧が逃げるのなら、合わせればいいのでしょう! 逃げる圧力を想定し、摩擦係数は砂の粒状性をマイナス二〇に設定!」
そう叫ぶとマモンは自分の体を巡る魔力の流れを変えた。その魔力に反応し、彼女の体を淡い金色の光が取り巻く。次の瞬間、マモンの動きがガラリと変わった。
彼女はあっという間に砂地からブーツを引き抜き、軽やかな動きで巨大ミミズの突進を回避し、着地した。
ついさっきまで砂に足を取られてまともに動く事すらできなかったマモンはピタリと砂地を踏みしめ、ブーツも砂に埋まる事なくまるで石の上に立つかのようにしっかりと立っている。それを確信したマモンは砂の上で軽くステップを踏むと満足そうに笑った。
「いい感じですわ。ようやくまともに動く事ができる魔力の配分を見つけられました」
そう言うとマモンは後方に大きく飛び退く。
「<大烏の嘴>」
彼女はそう一言呟くと、右腕をすっと上げた。すると、眼前の空間が歪み、そこから一振りの剣が姿を現した。
それは刃渡りだけでもマモンの身長に匹敵するほどの長さで、柄の部分も含めるとその全長は彼女の身長を超えているほどの代物だった。
その刀身は細い両刃で、極限まで磨き上げられており、黒曜石を思わせるように黒く、鈍いが、見る者全てを惹きつける妖しい光沢を放っている。柄の部分は金でできており、その細部に至るまで緻密な細工が施されている。
彼女はその剣を握ると、まるで物干し竿でも振るかのように、重さを全く感じさせない動きで数度優雅な所作で振ってみせる。
「さあ、ここからはわたくしのターンですわ!」
言い放つや否や、彼女の動きがその場から消えた。
消えた? マルファスとハルファスが同時にそう考えた次の瞬間、巨大ミミズの脇腹に一筋の鋭い切り傷が刻まれた。一瞬遅れて、傷から血液と体液が噴水のように噴き出し、砂を染め上げる。
刹那、いつからそこにいたのか、巨大ミミズの側に剣を振り抜いた姿勢で残心をとっているマモンの姿があった。
マモンは体を回転させながら剣を大きく振り抜き、その勢いを活かしてそこからさらに剣を振り上げ、鎌首をもたげている巨大ミミズの頭の高さまで大きく飛び上がる。そして、落下の勢いと共に縦に回転しながら剣を一気に振り下ろした。
一種の舞ともとれる一連の剣戟は、巨大ミミズの体に大きな傷痕を刻み込んでいく。
巨大ミミズは声にこそ出さないが、大口を開けて目の前に立つ小さな獲物に対して怒りを叩きつける。一方マモンはそれをさらりと受け流す。
「あらあら、結構力を入れて斬りましたのに、まだ息があるんですのね」
口調こそ驚いているが、彼女の顔には先ほどとはうってかわって余裕が浮かんでいた。
「――では、そろそろフィナーレとまいりましょうか」
ゾッとするような声で呟き、マモンは獰猛な笑みを浮かべた。
「この短時間に体の動きを砂地に対応させた……あれが、七大罪……」
一転攻勢に転じたマモンの戦いを見ながら、マルファスは呆然と呟いていた。
あの巨大ミミズは常軌を逸した巨体と、その体躯から繰り出される圧倒的破壊力、過酷な環境の賜物とも言えるその生命力から、マルファスとハルファスの二人も仕留められなかった大物だ。一方相手も、小さな体から繰り出される不相応な攻撃力とスピードに翻弄され、仕留める事ができなかったのだ。その戦いを経て、二人と一匹は言葉はなくとも、互いに相互不干渉という、無言の協定を定めた。
だが、その協定もまもなく破られる。マルファスはいつの間にか掌に汗をかいている事に気付いた。ふと横目でハルファスを見ると、彼女も同じ事を考えていたようで、その面持ちは緊張していた。
スコープへと意識を戻した次の瞬間、マルファスと、そしてハルファスは目を見開いた。
マモンは深く腰を落とし、ビリヤードのキューを構えるかのように右手に握った剣に軽く左手を添え、そして、大地を蹴った。
刹那、ハルファスとマルファスは巨大ミミズに向かって疾る金色の閃光を見た。
そう認識した直後、巨大ミミズの胴体にに<大烏の嘴>が半ばまで突き刺さっていた。
急所に刺さったのだろうか、巨大ミミズは昆虫採集のピンで留められた蝶のようにピクリとも動かない。
だが、マルファスとハルファスの驚愕はそれだけに留まらなかった。
巨大ミミズに突き立てられている刀身が、まるで嘴の如くゆっくりと、真ん中から真っ二つに開いていく。
間髪入れずに、開いた刀身の間に金色の光が集まっていく。そして集まった光が限界に達した次の瞬間、金色の閃光が巨大ミミズの体を撃ち抜いた。
間髪入れず、マモンは巨大ミミズの体から刃を引き抜いた。
巨大ミミズは最初何が起きたのかわからないといった様子だったが、やがて巨体を大きく傾がせ、砂地に倒れ伏した。
<大烏の嘴>から放たれた巨大な魔力弾。それが「ヌシ」にトドメを刺したのだと二人が理解したのは数秒後の事だった。
「……あれは剣じゃない。剣でもあり、槍でもあったんです」
マルファスが感嘆の溜息を漏らしながら呟いた。
「わたくしがかつて目を付けた、魔界に存在する強大な魔力を秘めた黒曜石の柱――通称「大黒柱」をそっくりそのまま略奪し、それを極限まで無駄を削ぎ落とした上で研磨、精製の上で魔力付加を施した、剣でもあり、槍でもある武器――そして、わたくし以外には到底使いこなせない至高の逸品――それが<大烏の嘴>ですわ」
別に聞いていないのに、マモンが自分の得物についての講釈を誇らしげに語る。
統哉がとりあえず理解した事は、彼女は貴婦人のような外見とは裏腹に、優雅だが、大胆にして豪快な戦い方をする人物であるという事だった。
マモンは<大烏の嘴>を優雅な所作で軽く振り、魔力を流して得物を金色の粒子へと戻した。粒子が空間に溶けたのを見届けると、彼女はさっと髪を掻き上げた。
「……ふぅ。少々エレガントではありませんでしたが、あれがわたくしなりの戦いですわ。物事はスマートに、かつエレガントに、ね。――さてー」
そこでマモンは言葉を切り――
「二人とも、見ていただけましたでしょうか?」
そう言ってマモンは不意に視線を遠くに向けた。
次の瞬間、マルファスとハルファスは同時にスコープを手放し、後ずさった。
マモンの向けた視線が、自分達が覗いているスコープの方向へと向いたからだ。
こちらを意識していた!
二人は直感すると同時に、心の底から震え上がった。
「……お二人へのアピールも完了した事ですし、そろそろ行きましょうか。貴重な時間を失うのは惜しいですわ。……ああもう、髪とドレスが砂まみれですわ」
そう一人ごち、マモンは髪とドレスに付いた砂を払う。そしてドレスの袖から取り出した――どこにどうやって入っていたのか、姿見で身嗜みをチェックした後、姿見を袖に押し込んだ。
そして、マモンは自分が倒した砂漠の「ヌシ」だった者の亡骸を一瞥する事なく歩き出す。二人が潜む、廃墟都市へ。
「こちらを意識していますね」
マルファスが冷静さを欠いた口調でいう。その顔には冷や汗が浮かんでいる。
「……うん、そうだね、マルちゃん。いつから気付いていたんだろうね」
いつもの明るい口調とはうって変わって緊張感に満ちた低い声でハルファスが言う。その顔はどことなく青ざめている。
「もしかして私達は、とんでもない大物を相手にするのかもしれないね」
「ですが、私達は誰が相手でも降伏はしません。戦って、勝つか負けるか、それだけです」
マルファスの力強い言葉にハルファスは笑って言った。
「もちろんだよ。それにマルちゃん、本当は今ゾクゾクしてるよね?」
その言葉にマルファスはハルファスの顔を見た。
「わかりますか」
「そりゃあ双子だもん、よーくわかるよ。それに、私だって今、どうしようもなくゾクゾクしてるもん」
楽しそうな口調で話すハルファス。その口元には笑みが浮かび、まるで見えない銃を握ろうとしているかのようにその手を開いたり閉じたりを繰り返している。
「マルちゃんも楽しみで仕方がないんだね。だってマルちゃん、笑ってるもん」
ハルファスに指摘され、マルファスは口元に手を当てる。その口元は無意識のうちに吊り上がっていた。
それも束の間、マルファスは表情を引き締めて装備を確認する。
「行くの?」
「はい。まずは私が行って迎え撃ちます。ハル、もしもの時は――」
「私が殺る。もしもの時が来なければいいけどね」
口調こそ軽いが、その言葉の重みをマルファスは理解していた。
「――行きます」
それだけ言うと、マルファスは音もなくその場から姿を消した。




