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Chapter 9:Part 09 オ・モ・テ・ナ・シ

 マモンとマルファスに先導され、統哉は迷路のように入り組んだ廊下を歩いていた。

 周囲を見渡していると、両横の壁には複数のドアと温かい光を放つランプがあり、自分が歩いている通路には赤い絨毯が敷き詰められている。

 この事から統哉は自分がいる場所がホテルのような建物であると推測した。


「何を見ていますの?」

「あ、いや」


 自分が珍しそうに辺りを見渡していた事が気になったのか、マモンが首を後ろに向けた。


「見たところ、高層ビル、それもホテルみたいな建物があんたの拠点なのかなって思ってさ」


 するとマモンは足を止め、興味深そうに統哉を見た。


「よければ、そう判断した根拠をお聞かせいただけませんこと?」

「まず、俺があの部屋で目を覚ました時、窓からの景色が相当見晴らしがよく、下に見えた景色が小さく見えた事。それに、今歩いている廊下の壁に複数のドアがあった事。そこから考えたんだ」


 統哉の答えにマモンは満足そうに頷いた。


「……素晴らしいですわ。確かにここはわたくしが所有する高層ホテルです。場所は明かす事はできませんが、わたくしにとって、うってつけの拠点ですわ。ですが――」


 そこで言葉を一旦切り、マモンは言葉を紡いだ。


「貴方もつくづく変わった方ですわね。普通、拉致されてきたら解放しろだの、殺すなら殺せと喚きたてると思うのですが、貴方は状況を判断した上で、わたくしのお願いに考える猶予を与えて欲しいと言った。そして、自分が見た周囲の情報よりこの場所が高層ホテルであると判断した。普通の人間にはできない事ですわ」


 マモンの言葉に統哉はしばし考えた後、答えた。


「……普通、じゃなくなっているんだろうな」


 その言葉にマモンだけではなく、側に控えていたマルファスも目を丸くした。


「あいつらと出会って、<天士>になって、戦うようになった。それからは毎日が非常識の連続でさ。堕天使の知り合いも増えて、あいつらと過ごす時間が多くなってさ、自分の中で、色々な何かが変わっていってるのがわかるんだ。だから、考え方まで非常識なあいつらに影響されてきてるのかもな」


 そこまで答えると、マモンはしげしげと統哉を眺めた後、満足そうに頷いた。


「……なるほど。常人ならば非日常の連続というものは最初こそ楽しいものの、ですが、次第に離れて日常へと帰りたくなるものです。しかし貴方は非日常の最先端にいるといってもいい状況に置かれていても、そこに居続けようとしている。非常に興味深いですわ。わたくし、ますます貴方が気に入りましたわ」

「そりゃどうも」


 目を輝かせるマモンに統哉は肩を竦める。それから歩く事数分。統哉の目の前に、観音開きの扉が現れた。


「着きましたわ。では、どうぞ」


 マモンの言葉の後、マルファスが扉を押し開けた。




「お嬢様ーっ」


 部屋に入ったとたん、小柄な影がマモンに飛びついてきた。よく見るとそれは、メイド服に身を包み、長く白い髪の毛をサイドポニーに纏めた赤目の少女だった。


「ハル、熱烈な歓迎は嬉しいですがお客様が見えているのですよ? ご挨拶なさいな」


 彼女を受け止めたマモンは柔和な笑みと口調でハルと呼んだメイドを窘める。すると彼女はぴょんとマモンから離れて統哉に向き直った。


「失礼いたしました! 私、ハルファスと申します! マモンお嬢様のメイドを務めています! 八神統哉さん、以後お見知り置きを!」


 背筋を伸ばし、片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、両手でスカートの裾をつまみ、軽くスカートを持ち上げて挨拶した。

 その顔は瞳の色こそ違えど、マルファスと鏡写し――いや、完全に同じ顔だった。

 統哉は思わず側に立っているマルファスを見て、それからハルファスを見る。


「……もしかして、二人って……」

「ええ。人間でいうと一卵性双生児というものですわね。この子達は天使として生まれた時、魔力と能力、そして髪色が違う事以外そっくりそのままで生まれたのです。その後、彼女達もわたくし達の後に続く形で堕天し、堕天使になりました。それから色々あって、二人はわたくし専属の優秀な従者になったのです」

「そうなのか」


 相槌を打ちながら統哉はさりげなくマルファスとハルファスを見やる。マモンが二人を優秀な専属の従者だと言ったからか、並んで立つ二人の顔は嬉しそうであり、どこか誇らしげに見えた。その事から統哉はマルファスとハルファス、そしてマモンが互いに全幅の信頼を置いている事を悟った。

 それから統哉は改めて案内された部屋を見回す。そこは差し渡し二十メートルほどのホールとなっていた。

 部屋の壁には複数の扉があり、この部屋があちこちのフロアへと繋がっているらしい。ホールの中央には大きなテーブルが据えられ、その上には真っ白なテーブルクロス、フラワーアレンジメント、高価そうな燭台が置かれている。


「ではではどうぞー」


 ハルファスに促され、テーブルへと案内された統哉は思わず目を見開いた。

 ライ麦パンとクロワッサン。熱々の湯気を立てているポタージュ。チーズと野菜のサラダ。サーモンと枝豆のクリームパスタ。鉄板の上で勢いよく肉汁の弾ける音を立てている肉厚のステーキが置かれていた。


「……ファミレス?」


 統哉は思わず首を傾げ、呟いた。そんな彼にマモンは自信満々という表情で頷く。


「本来ならフルコースを振る舞いたかったのですが、いきなり本格的なコース料理をお出しすると、貴方が萎縮してしまうと思いましてね。そこで貴方でも気兼ねなくいただけるように、ファミレス風の献立を組ませていただいたのです。お客様の舌や嗜好に合わせたメニューを用意できるかどうかも、もてなす側の度量ですわ」

「はあ……」


 呆気にとられ、気の抜けた返事しかできない統哉。そんな彼をよそに、マモンはマルファスに声をかけた。


「マル、今夜はおめでたい日なのでワインをお願いできるかしら? もちろん、一番いいのを頼みますわ」

「はい、お嬢様。それならとっておきの一本がありますので、すぐにお持ちいたします」


 マルファスは恭しく一礼し、ホールにある扉の一つを開けてどこかへと向かっていった。

 マルファスの姿を見送っていた統哉に、ハルファスが問いかける。


「統哉さん、お飲み物は何にいたしますか? ジュースや水から、ビールやワイン、カクテルまでご用意できますよ!」

「……あー、とりあえず水を頼めるかな?」

「かしこまりました!」


 頷くや否や、ハルはすかさず水差しを持ってきて、コップへ注いだ。


「はい、どうぞ♪ こちらマッターホルンの雪解け水からなる天然水でございます」

「あ、ありがとう……なんていうか、水もとんでもないところから汲んできてるんだな」


 目を白黒させている統哉に、マモンは笑って言う。


「たかが水、されど水……わたくしは飲み水一つとってもとことんまでこだわりますの。まあ、本当なら地獄第九圏『コキュートス』からの湧き水をご馳走したかったのですが」

「待て、それ人間が飲んでも大丈夫か」

「カカカッ、冗談ですわ。わたくし達堕天使や地獄の住人である悪魔達が飲む分には問題ありませんが、人間が飲むのにはいささか刺激が強すぎるかと思います」

「冗談きついぜ」


 統哉がマモンのハイソサエティ・ジョークに苦笑していると、マルファスが大事そうに一本のワインボトルを抱えて戻ってきた。


「お嬢様、ご覧を。掘り出し物でございます。1985年、ロマネ・コンティ……最高の当たり年でございまして……この一本が高級車一台分の値で取引されるというシロモノです」

「カカッ、それは素晴らしいですわね」


 ハルファスが恭しく持ってきたワインボトルは、一本の値段が高級車一台分に相当する極上のワインとだいう。

 ロマネ・コンティなど名前しか聞いた事のない統哉にとっては、目の前にあるそのワインが正真正銘の高級ヴィンテージワインだと言われてもどこかピンとこなかった。


「早速、テイスティングを」


 そんな統哉をよそに、ハルファスは静かにワインをグラスへと注ぐ。ワインが注がれたのを見たマモンはグラスを軽く掲げてスワリングし、満足そうに頷いた。


「見事な色ですわ……まるで鳩の血のような……上質なルビーを思わせますわね」

「はい」


 マモンはフロアの照明越しにワインが持つ真紅の輝きを目で十二分に楽しむ。そして彼女は目を閉じ、グラスに鼻を近付けて香りを堪能する。


「ふむ……これはスゴいですわね」

「はい」


 恭しく頭を下げるハルファスに対し、マモンは言葉を継ぐ。


「まずは花――ラベンダー……イメージでは何種類もの赤い花……それも一本や二本ではない、一面の花畑。そこへ微かになめし皮……さらに日本の梅干しに似たものが混じり、ただ事ではないウマ味成分を予感させていますわ」


 マモンの知性溢れる講釈に、その場にいた誰もが耳を傾ける。統哉も無意識のうちに耳を傾けていた。

 ついにマモンはグラスを傾け、ワインを口に含む。口の中で舌を転がし、その繊細にして濃厚な味わいを堪能する。やがて彼女はワインを飲み込み、満足そうに息をついた。


「……カカッ、流石ですわね」

「で、ございましょう?」

「純粋無垢なピノノワール。見事な果実の味わい、樽の熟成香、豊かな土壌からくる土の香り、そしてハーブ、若干のタバコのニュアンス……たった一口の液体だというのに……まるで100人編成のフルオーケストラ! 莫大な数の味が複雑に絡み合っているにもかかわらず、そのどれもが誇示しすぎることなく、そのどれもが緻密なまま……完璧なバランスですわ…………しかしです」


 するとマモンはグラスを置いて軽く息をついた。


「この葡萄を醗酵させただけの液体のどこに、10ドルで売られる手頃なワインの10000倍もの価値があるのでしょうか? ウマさはせいぜいが11~12倍。喜びもせいぜいが14~15倍ですわ」


 そこまで言うとマモンは統哉を見つめて言った。


「統哉さん、今のわたくしにとっては貴方こそがわたくしが一番喜びを感じさせる方ですわ。それを言葉や文章で表すのがおこがましいぐらい、今のわたくしの喜びは有頂天に達しております」

「いや、言葉にできてるよなそれ?」


 統哉のツッコミを流し、マモンはロマネ・コンティの瓶をマルファスに渡した。


「このワインは貴女方に差し上げますわ」

「……よろしいのですか?」


 マルファスは戸惑った顔でマモンと瓶とを交互に見ながら尋ねる。そんな彼女にマモンは優雅に微笑んでみせる。


「ええ。せっかくの掘り出し物のワインを無駄にしてしまうのはいくらなんでも勿体ないですわ。どうせなら貴女達でじっくり味わってくださいな」

「ありがとうございます、お嬢様。ありがたく頂戴いたします」

「お嬢様、あざーっす!」


 マルファスとハルファスはマモンに礼を言い、深々と頭を下げた。


「……さて、せっかく二人が用意してくれたご馳走が冷めてしまってはいけないので、そろそろいただきましょう」

「あ、ああ」


 するとマモンはロマネ・コンティが注がれたワイングラスを軽く掲げ、


「――わたくしと統哉さん、この素晴らしき出会いに、乾杯――」


 夢見心地な表情で、そう言った。


「……乾杯」


 色々ツッコみたいところはあるが、今ここでそれを言うのは野暮というものだろう。そう考えた統哉は何も言わずにコップを掲げ、乾杯に応じた。

 そして、ロマネ・コンティの注がれたワイングラスと、マッターホルンの雪解け水が注がれたコップが当たり、キンッと音を立てた。




 最初のうちは警戒こそした統哉だったが、豪勢な料理の香りを嗅いだとたん、猛烈な空腹を自覚した。そして思い切って食事に手を付けた。

 正直に言って、料理は美味かった。それも、自分の想像以上に。

 パンは生地の段階からかなり丁寧にこね上げられている事がわかる味わいで、砂糖と塩、バターなどの調味料も完璧な配分で配合されている。焼き加減も申し分なく、歯ごたえと食感、その両方を楽しめるちょうどいいバランスで焼き上げられている。

 ポタージュはじゃがいもとコンソメがベースとなっており、そこに加わる数々の野菜の旨味と乳製品のまろやかさが溶け込み、温かみがあり、それでいて完璧な味の調和を生み出している。

 サラダに入っている野菜は瑞々しく、そこに程良く濃厚な味わいのチーズと、あっさりとして、かつさっぱりとしたドレッシングが素材の旨味を引き出している。

 サーモンと枝豆のクリームパスタは程良く脂の乗ったサーモンに枝豆の純朴な味とクリームソースのまろやかな味が加わり、優しい味に仕上がっている。

 ステーキに至っては自分が普段食べているスーパーのステーキ肉とは比べものにならないほど肉の質が良く、ステーキナイフが簡単に通るほどの柔らかさと、それでいてしっかりとした歯応えが同居する絶妙な固さ。そして肉を噛みしめた時に溢れる肉汁からも強烈なまでの旨味が流れ込んでくる。

 料理の下拵え一つをとっても、一分も手を抜く事なく、かつ相当の手間暇をかけている。その事に統哉はひどく感心した。

 気が付いた時には、ステーキの最後の一口を口に含み、じっくりと咀嚼した後、呑み込んだところだった。


「その様子だと、相当お気に召していただけたようですわね」

「……ああ、とっても美味かったよ。調理工程の一つ一つで一切手を抜かず、かなりの手間をかけているっていうのがよくわかった」


 膝に置いていたナプキンで口元を拭った後、統哉は素直な感想を述べた。


「お褒めに与り光栄ですわ。さて、食後のデザートとコーヒーも用意しておりますが、いかがいたしますか?」

「そうだな、いただくよ」

「かしこまりました。マル、ハル、準備を」

「「イエス・ユア・ハイネス」」


 マモンの指示にマルファスとハルファスは一礼し、一旦食堂を退出した。ほどなくして、マルファスはコーヒーポットを、ハルファスはバニラアイスのグラスを二つ、トレイに載せて運んできた。


「私独自のブレンドコーヒーです。味は保証いたします」

「簡単なものですが、私特製バニラアイスです♪ マルちゃんのコーヒーをかけて召し上がっていただくと、また違った味が楽しめますよー♪」


 それから統哉はマモン達と雑談を交わしつつ、デザートのバニラアイスと食後のコーヒーに舌鼓を打ったのであった。もちろん、バニラアイスにコーヒーをかけて食べる事も忘れずに。




「至れる尽くせり、だな」


 統哉は、自室としてあてがわれたスイートルームの浴室で汗を流した後タオルで髪を拭きながら一人ごちた。

 豪勢な食事の後、統哉はマルファスの案内で再び最初に目覚めたスイートルームへ案内された。ここが統哉の部屋になるという。それから彼女から部屋の使い方や備品の位置などについて説明を受け終えた統哉にマルファスは告げた。


「向こう側に浴室がありますので、どうぞお使いください。それと、何かありましたら室内備え付けの電話で遠慮なくお呼びください。些細な用件であろうと、いつでもすぐに私やハルが駆けつけます」


 そう言うとマルファスは深々と一礼し、統哉が瞬きした次の瞬間にはまるで最初からいなかったかのようにその場から忽然と姿を消していた。

 色々な事がありすぎて正直参っていた統哉はとりあえず風呂に入って頭をすっきりさせようと思っていたが、浴室の予想外の広さに呆然としてしまった。

 浴室と言ってもその広さは公衆の大浴場に匹敵するような広さで、床のタイルは大理石製であった。カラスの頭部を模した噴水口からは温泉が吐き出されていた。ご丁寧に効能(疲労、肩こり、筋肉痛、HP・SP全回復、攻撃力・防御力アップ、などなど)の書かれた札まで置かれていたくらいだ。

 そして風呂から上がった統哉を驚かせたのは、いつの間にか脱衣所に無地の浴衣を思わせるような寝間着まで用意されていた事だ。

 驚きつつもそれに着替えてみると、それはまるで麻のような通気性と軽さ、そして着心地の良さがあり、着る者に心地よさを与える事請け合いだった。

 髪をドライヤーで乾かし終えた後、統哉は倒れ込むようにベッドへ身を横たえた。


「……いや、HP・SP全回復、攻撃力・防御力アップって何なんだよ……確かに疲れは取れたけどさ」


 条件反射で思わず温泉の効能にツッコミを入れてしまう統哉。違う、そうじゃない。


「……いやそうじゃなくって、何だかとんでもない事になってしまったな……」


 溜息をつきながら、どこか他人事のように呟く。マモンからのプロポーズに対して咄嗟に「考えさせてくれ」と言ったものの、僅かな期間の間に状況をどこまで自分が有利になるように動かせるか、正直言って見当もつかなかった。

 色々な事を考えているうちに、強い睡魔が襲いかかってきた。夕方から今に至るまで色々な事がありすぎたのだから無理もないだろう。

 枕元の時計を見ると時刻は夜の十時半。普段ならまだ起きていられる時間だが、今の統哉に睡魔に抗う力は残っていなかった。

 薄手の毛布をかけ、目を閉じる統哉。すると急速に意識が深いところへと沈んでいく。だが、眠りに落ちる直前、統哉は無意識のうちに呟いていた。


「……あいつら、大丈夫かな……きっと心配かけちまってるよな……」


 そう呟いた直後、統哉の意識は眠りに飲み込まれていった。

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