Chapter 9:Part 06 黄昏の来訪者
統哉がルーシー、レヴィとのダブルデート(?)を楽しんだその二日後。統哉は一人スーパーや商店街へ足を伸ばし、夕食の買い物をしていた。
時刻は夕方。午前中は雨が降っていたものの午後からはすっきりとした快晴となり、今は雲一つない空に夕焼けが映えていた。
堕天使達は今頃自宅でぐーたらマイペースに過ごしているのだろう。一方、璃遠からの依頼を遂行しているベルはベルで活動しているようだ。ルーシーの話によると今日の午前中に電話があり、連絡の他にも何やら相談があり、それに答えていたという。
自分も堕天使達の前で啖呵を切った手前、頑張らなくては。そんな事を考えていた矢先。
ガァガァガァガァガァガァガァガァ!
突然響いた耳を聾するカラスの大合唱に、統哉は飛び上がらんばかりに驚き、思考の中断を余儀なくされた。
「……しかし、今日はやけにカラスが多いな……」
統哉は一人ごち、頭上を見上げた。視線の先には電線の幅いっぱいに止まっているたくさんのカラスの姿があった。
今日はやけにカラスが多い。統哉は嘆息しながら思った。買い物へ出かけようと外に一歩足を踏み出した瞬間、家の前の道に止まっている一羽のカラスと目が合った。そのカラスはしばらく統哉をじっと見つめた後どこかへ飛び去っていったが、その後統哉は行く先々でたくさんのカラスを目撃した。
街路樹に街灯、塀の上。挙句の果てには民家の屋根を埋め尽くさんばかりに止まっている様は悍ましいの一言に尽きた。
「なんか、今日だけで数年分のカラスを見た気がするぞ……今年はカラスの大量発生でも起こってるのか?」
他人事のように呟きながら、統哉は頭の中で帰宅してからあの駄天使どもをどういなすかという事を考えていた。
だが、考えをまとめる事はできなかった。突如、骨の髄まで見透かされるような強烈な視線と、先日感じたばかりの、あの神経に氷塊を直接押し当てられたような凄まじい寒気を感じ取り、統哉は足を止めた。
刹那、本能が危険を告げた。<天士>へと覚醒し、新たな段階へ足を踏み入れた事で研ぎ澄まされたあらゆる感覚が統哉の肉体を即座に戦闘態勢へとシフトさせる。
意識を集中し、いつでも輝石を呼び出せるように身構える。そして、一つの気配が道の向こうからこちらへ近付いてくるのを統哉は感じ取った。その気配は歩くような速さで、しかし着実に自分の元へ近付いてくる。気配が近付く度、統哉は自分の心音と緊張感が大きくなっていくのを感じていた。そして――
「――とうとう、見つけましたわ」
歌うように、それでいてどこか恍惚とした響きを含んだ声が響いた。そしてついに、気配の主がその姿を現した。
「それ」は、まるでパーティー会場を進むかのような優雅な足取りで、浮き世離れした気品を漂わせながら統哉の前に現した。
「それ」は長い金髪を風に靡かせた女性だった。純金をそのまま一本一本の髪の毛にしたかのような美しい金髪が夕陽を受け、絢爛だがどこか神秘的な雰囲気を漂わせている。統哉を見つめるその目は釣り目気味で、穏やかだが獲物を狩る猛禽類を思わせる鋭さを持ち、紫水晶を思わせる紫色に輝いている。
その眩いばかりの金髪には大きな宝石と、それを取り巻くように配置された黒真珠と金細工が施された素晴らしい髪飾りが挿され、首には両端がカラスの頭部をあしらったファーを巻いている。
身長はアスカより少し低く、その外見から年齢は十代後半のように見える。しかしその外見とは裏腹に、身に纏う高貴さと気品が彼女を年上に見せていた。
もっとも目を引いたのはその服装だった。着物をモチーフとしているらしい、袖が長く、黒いドレスを身に纏っている。ドレスにはアクセントであろうか、所々にベルトが巻かれている。着物やドレスには疎い統哉でも、生地の質感、意匠からそのドレスがとてつもなく高価な物である事が窺えた。
そして、統哉は直感していた。
社交界ではどこからどう見ても一流の令嬢といった趣の格好だが、この場においてはどう見ても怪しすぎる。そして今までの経験から、このような格好をした者にろくな奴はいなかった。
とどのつまり、こいつも堕天使である、と。
「ごきげんよう」
困惑する統哉をよそに、少女は優雅な仕草で一礼して口を開いた。
「……誰だ、お前は」
言葉を返しつつ、即座に買い物袋を地面へ下ろして輝石を呼び出し、手に握る。まだ神器は発現させない。相手がどのような力と攻撃手段を持っているかわからないからだ。
そんな彼の様子を少女は微笑みながらも、困ったような目で見つめている。
「あらあら、穏やかではありませんわね。わたくし、戦いに来たわけではありませんのに」
「戦いに来たわけじゃないと言う奴が、そんなゾッとするような気配を放っているか!」
思わず反論する。しかし少女は意に介す事なく、優雅な佇まいを崩さない。
「ふむ、わたくしの気配をそこまで正確に捉える事ができるとは、やはりわたくしの目に狂いはありませんでしたわ――ああ、いけない。申し遅れましたわね」
思い出したかのように呟き、少女は再び優雅な動作で一礼し、宣言した。
「わたくしの名は、マモン。七大罪が一つ、『強欲』を司る堕天使ですわ。以後、お見知り置きを」
「七大罪……『強欲』のマモン……」
統哉がその名を口の中で呟く。
「ええ、その通りですわ」
統哉の呟きに少女――マモンは優雅な笑みで応えた。
「そのマモンが、俺に何の用だ」
いつでも<神器>を発現できる構えをとりながら統哉は尋ねる。
「いえ、簡単な事ですわ」
そしてマモンは軽く息を継ぐと――
「貴方を、頂きに参りましたの」
何て事のないように言い放った。
口調こそ丁寧だが、目つきが獲物を見つけたカラスのそれに、そして口元が三日月のように鋭く歪んだのを統哉は見逃さなかった。
「ああ、いきなり言われても理解できませんわよね。簡単に説明させていただきますと、先日、貴方はセントラル街にいましたわね? わたくしはその時貴方を見つけ、その魂の輝きを見出しましたの。貴方の魂は決して消えない青い炎を思わせるように、静かでいてとても深く、強い輝きを放っていましたわ。そしてその周囲を銀、赤、紫、緑、アクアブルーの光が取り巻くように渦巻いていて、それはまるで金銀財宝の山を思わせ、なおかつ万華鏡のような神秘性を秘めておりましたわ。その瞬間、わたくしの心を今までに感じた事がないときめきと高揚感、そしてどうしようもない独占欲が満たしましたの。わたくし、今まで数え切れないほどの宝物を見て、そして所有してきましたが、あのような言葉にできないくらいに強く、神秘的な魂の輝きを見た事はありませんわ。貴方の輝きに比べれば、わたくしの持つ宝石などビー玉同然ですわ」
統哉の持つ魂の輝きについて一息に語った後、マモンは深く息をついた。彼女の言葉に先日の出来事を思い出した統哉が即座に口を開く。
「あの時感じた視線と寒気と同じ……そうか、あれはお前のものだったのか……!」
どこか悲鳴じみた統哉の声に、マモンは微笑みをもってそれに応えた後、再び言葉を紡いだ。
「――それからわたくしはいてもたってもいられず、貴方の事を調べさせていただきました――八神統哉さん、20XX年七月七日生まれ、二〇歳。中学生の頃に両親を亡くされ、遺された遺産で今日まで平凡に生きて来られた。しかし先月、貴方はルシフェルさんと出会い、契約を結び、<天士>へと覚醒し、<欠片>を取り戻すための戦いに身を投じる事になった。そして、戦いの中でベリアルさん、アスモデウスさん、ベルゼブブさん、レヴィアタンさんと契約を結んだ……」
いつの間にか自分の事について調べ上げられている事に、統哉は思わず身震いした。すぐに行動しなければならないのに、その場から動く事ができなかった。それほどまでに、彼女の言い放った言葉の衝撃は大きなものだった。
「……お前、人のプライバシーをなんだと思ってるんだよ……!」
声を震わせながら、そう言うのが精一杯だった。
「あら? 欲しいものがあったらそれに関する情報を集め、吟味した上で入手するのが常識ではなくて?」
何て事ないように言ってのけるマモン。言葉を失う統哉をよそに、マモンは微笑みを浮かべたまま続ける。
「まあ、わたくしの言いたい事はたった一つ。たった一つの単純な事ですわ」
「わたくしは貴方に一目惚れしました。ですので貴方には、わたくしのものになっていただきます、『わたくしのもの』よ」
その言葉に統哉はますます戦慄した。
まるで人を人と思わないような態度や非常識極まりない言動。そして、ここまで剥き出しの、それでいて純粋な欲望がこの貴人のような姿をした少女の中に巣食っている事が、統哉に更なる衝撃を与えた。
今まで統哉は、個性豊かすぎる堕天使達と関わってきたが、この時彼は、マモンという堕天使が想像を遙かに超えた危険な堕天使であると理解した。そして、即座にこれを排除しなければならないと直感した。
刹那、統哉は行動を起こしていた。手にした輝石に意識を集中、白と黒の双剣――ルシフェリオンを思い描く。イメージを受け、輝石が形を変え、ルシフェリオンの形を成す。刃がそれぞれの手に握られるや否や、統哉は<天士>の身体能力を活かした強烈な踏み込みをもってマモンに肉薄する。
「――――断る!」
数メートル先の距離を瞬く間に駆け抜け、裂帛の気合と共に統哉は刃を交差させる。だが、マモンは微笑みを浮かべたまま微動だにしない。
「いい反応ですわ。敵と判断するや否や、迅速なる攻撃。踏み込み、速度、共に素晴らしい。ですが――」
マモンが何やら呟いているが、統哉はそれに耳を傾ける事なく、交差させていた刃をマモンめがけて振り抜いた。
直後、激しい激突音がした。その視界にマモンのみを捉えていたため、他のものが見えていなかった統哉は、視界が戻ってくると同時に愕然とした。
指の先から腕の付け根までの筋肉が、衝撃のあまりビリビリと細かく震える。そして、統哉の目前には夕陽を浴びて鈍く光る銀色の刃が煌めいていた。振るわれた白と黒の双刃は統哉の構えと同じように交差された、大振りのコンバットナイフによって受け止められていた。
統哉が目を凝らしてみると、彼とマモンの間に、黒い影が割って入っていた。
「――お嬢様への狼藉は許しません」
静かな口調で言葉を発したその影は執事服を纏った黒髪の少女だった。少女とわかったのは、その発せられた声からだ。
その外見は小柄で、カラスの濡れ羽を思わせる黒髪はショートボブに切り揃えられている。だが、統哉を見つめる紫色の瞳は主に対する狼藉を働いた者に対する静かな怒りを宿していた。
統哉が突然現れた執事服の少女に困惑しているその隙を見逃さず、少女は全身のバネを使って受け止めていた刃を一気に押し返す。その力強さは小柄な少女とは思えないほど強く、統哉はバランスを崩して背中から道路に倒されてしまった。
「お嬢様、大丈夫ですか」
コンバットナイフを構えながら振り返った女執事の問いに、マモンは笑って答える。
「ええ、全く問題ありませんわ。では、手筈通りくれぐれも丁重にお願いいたしますわね」
「承知いたしました」
「……っ、この……」
二人が話している間に起きあがっていた統哉はルシフェリオンを構え直し、戦闘態勢をとる。
しかし、それよりも速く、そして音もなく走り寄ってきた女執事に統哉は対応できなかった。
女執事は流れるような動作で両手のルシフェリオンを叩き落とし、その上で彼が体勢を崩した僅かな間に手刀を軽く統哉の首筋に叩き込んだ。統哉は軽く呻き声を上げ、意識を手放す。が、倒れそうになるのを女執事が受け止めた。
地面に転がったルシフェリオンは、その持ち主である統哉の意識が途切れた事により光の粒子と化し、統哉の胸へ吸い込まれていく。それを見届けた女執事は気絶した統哉をまるで綿の塊を担ぐかのようにあっさりと担ぎ、主へと向き直る。
「対象の無力化及び確保、完了いたしました」
「素晴らしい手際ですわ。さて、目当てのモノも手に入った事ですし、戻りましょうか」
「はい、お嬢様」
恭しく頭を下げた女執事に軽く声をかけた後、マモンは踵を返し、歩き出す。そしてその後を女執事が続く。しかしマモンは数歩歩いた後突然立ち止まった。
「お嬢様? どうかなさいましたか?」
女執事が訝しげに尋ねる。するとマモンは軽く溜息をつきながらゆっくりと振り返る。
「……どうやら、彼を横取りしようと下踐な輩が近付いて来ているようですわ……ああ、もうそこまで来ていますわね」
マモンの言葉に首を傾げながらも女執事が振り返ると、そこには――
「やけに帰りが遅いと思って外に出たところ、そこら中に魔力の残滓が残っていたのでそれを辿ってみれば……やはりそういう事か!」
戦闘時に纏う漆黒のゴスドレスに身を包み、何故か早歩きで二人に近付いてくるルーシーの姿があった。




