Chapter 8:Part 14 蒼き刀と水の龍
突如動き出したザドキエルは咆哮を上げつつ、体に開いた穴や亀裂から魔力弾や水流を闇雲に乱射しながら猛スピードで統哉達の元へ突っ込んできた。
「危ない! みんな飛ぶよ!」
咄嗟にエルゼが統哉とルーシーを抱え込んで空中へ飛び上がった。軽く息をついた統哉の眼下では、ザドキエルがその巨体で陸地を破砕しながら方向転換をしようともがいているところだった。あと少しでも反応が遅れていたら、統哉達の肉体はあの陸地もろとも粉々になっていただろう。一行は冷や汗が伝うのを感じつつ、被害を免れた陸地へと着地した。
「……危なかった。助かったよ、エルゼ。ありがとうな」
「どういたしましてー♪」
統哉に感謝された事がとても嬉しかったらしく、エルゼが人懐っこい笑顔を浮かべる。
「しかし……あいつ、どうしてまだ動けるんだ? あいつの体はもうボロボロだし、<欠片>も取り戻したのに」
暴れるザドキエルを見ながら統哉がひとりごちる。
「どうやら、その巨体を制御し、維持するための魔力で最後のあがきとばかりに動いているようだな。まったく、往生際の悪い。まな板の上の鯉らしく、大人しく討たれればよいものを」
ベルが説明する。すると――
「ひゅわぁん!」
突然アスカが艶めかしい叫び声を上げた。それに驚いた一行が彼女の方を見ると――
「……ひゃぁん! ちょ、ちょっとれびれび、あまり胸元で暴れないで~!」
「……ぷはっ! あ、アンタがいきなりアタシを胸に押しつけるようにして飛んだんじゃない……それにしても相変わらず大きいわね……妬ましい」
咄嗟にレヴィアタンを抱えて上空へ避難したらしいアスカが、レヴィアタンによって、その豊満なバストに顔を埋められていた。
「……何をしているんだ、お前達。まあそれはさておき、もう一戦交えなければならないか? ベル達としては、かなりキツい状況だが……」
疲れたような声で呟くベル。見ると、三人は先の戦闘からか疲労困憊といった様子で、ドレスや戦闘スーツもあちこちが裂けていた。そしてルーシーは未だに目覚める気配がない。
それを見た統哉は考える。相手はもう瀕死状態、しかしこちらはレヴィアタン以外は消耗が激しい。相手が激しく暴れている今、勝負を決めに行ってもいいのか。彼が決断を躊躇っていると――
「だったら、アタシ達がやればいいじゃない? ね、八神統哉?」
何て事ない口調でレヴィアタンが声をかけた。
「え?」
突然話を振られ、統哉は戸惑った声を上げた。
「ベリアル達が無理でも、アタシ達がいるじゃない。あいつがあれだけボロボロならアンタとアタシで十分よ! 大丈夫よ! アタシと契約したんだから負ける気しない! ……はずよ」
自信があるのかないのかわからないレヴィアタンに統哉が一抹の不安を抱いたその時、彼は先程の言葉に違和感を覚えた。
「ちょっと待ってくれ。俺、いつレヴィアタンと契約したんだ?」
「何言ってるのよ! 契約ならばさっきしたじゃない! 確かめてみなさいよ!」
頬を膨らませて反論するレヴィアタンに促され、統哉は自分の内側へと意識を集中させた。すると、レヴィアタンの言う通り自分の中に新しい力が目覚めている事に気が付いた。それを見計らい、レヴィアタンは口を開いた。
「さっき、<欠片>を戻したって言ったじゃない?」
「ああ」
「その時、ルシフェルの力が戻ったと同時にアンタの力も大きく上がったわけ。それこそ、契約が結べるレベルにまで、ね。それで……」
突然顔を赤くし、俯くレヴィアタン。ややあって、思い切ったかのように叫んだ。
「それで! アタシが……その、じ、人工呼吸してあげた時に契約が成立したのよ! ……まあ、アンタの命が最優先だったから、契約に関しては結果オーライだった……って言わせんな恥ずかしい!」
「「「…………」」」
顔を真っ赤にしてカミングアウトするレヴィアタン。その直後、ベル、アスカ、エルゼの表情が固まる。そして――
「おい統哉どういう事だ? 人工呼吸という名のキスってベタすぎるだろう?」
「とーやくん、ちょ~~っと、後でOHANASHIしようか?」
「と、統哉君、君って人は……」
ベルから注がれる烈火の如き怒りのこもった視線、顔こそ笑っているが周囲に紫電を撒き散らしているアスカ、涙目でじっとこっちを見つめてくるエルゼと、三者三様の視線を受け、統哉は思わずたじろいだ。
「ちょ、ちょっと待て! 確かに俺はレヴィアタンから人工呼吸してもらったけど、あれは不可抗力だって!」
「ああもううるさいうるさいうるさーい! アンタ達、話の途中なんだから少し黙ってなさい! 八神統哉! アンタの力、見せてもらうわよ!」
顔を真っ赤にして叫ぶレヴィアタンに苦笑しつつ、統哉は意識を集中させ輝石を呼び出す。レヴィアタンの力を受けた輝石はアクアブルーに輝いていた。そして、彼の脳裏に新しい<神器>の名前が浮かび上がる。統哉は湧き起こる衝動に任せるがまま、その名を叫んだ。
「麗美っ!」
統哉が叫ぶと、輝石が強烈なアクアブルーに輝き、形を変えていく。やがて輝きが収まり、彼の手には一振りの刀が握られていた。
それは小枝と思うほどの軽さで、海蛇を思わせる波打った刀身が特徴的だった。
刃渡りは七〇センチほどはあるだろうか。刃に目をやると、その切れ味を誇示するかのように極限まで研ぎ澄まされている事が伺えた。新しく生まれた<神器>はレヴィアタンを思わせるアクアブルーに輝き、その力を統哉にイメージとして伝えてくる。
この<神器>――麗美は水の属性を持つもので海蛇のように曲がりくねった刀身からは想像もつかないほどの切れ味を持っている。直接斬りかかるだけではなく、魔力を込めることで水の刃を生み出し、それを刀身に纏わせて斬る、または放つ事で超高圧のウォーターカッターとして敵を切り裂く事もできる。
さらに、レヴィアタンの力が込められているこの刀は力場を発生させ、水上歩行を可能にし、また、水中での戦闘に限定されるが空を飛んでいるかのような機動性と呼吸を可能にする事を理解した。
「日本刀……?」
ふと我に返ると、レヴィアタンがエメラルドグリーンの瞳を丸くして統哉と麗美とを交互に見つめていた。
「驚いたわね。今まで多くの<天士>を見てきたけど、日本刀の形をした<神器>を発現させたのはかなり珍しいわ」
「そうなのか?」
「そうよ。刀っていう武器はある種の技術がないと扱えないようなシロモノだからね。それが発現したって事はアンタにもその素質があるって事よ」
それからレヴィアタンはそっと麗美に触れ、少しの間の後頷いた。
「なるほど、その<神器>の力、大体わかったわ。さて――」
レヴィアタンは暴れるザドキエルに目をやると、楽しそうな口調で言った。
「アタシとしてはその力がどんなものか気になるんだけど、ちょうどそこにいい練習台がいるじゃない。その<神器>、試してみなさい?」
彼女の言葉に軽く頷く統哉。それから彼は意識を集中し、水面へと足を進める。すると、統哉の足は水に沈む事なく、まるで地面を踏みしめているかのように水面に立った。
「わたし達ものりこめー」
「「おー」」
気の抜けたアスカの声に触発され、ベルとエルゼも戦線に加わろうとする。だがそれをレヴィアタンが片手で制した。
「ダメよ。今のアンタ達、結構ボロボロじゃない。ここはアタシ達に任せて休んでなさい」
ぴしゃりと言い切られた事に、ベルが思わず食ってかかろうとしたが、相手の言い分が正しかったため、結局何も言わず、大人しく引き下がった。
それを横目に見たレヴィアタンは軽く頷き、静かに水面を踏みしめながら統哉の側まで歩み寄り、静かに身構えた。
それと同時に統哉は水面に立ったまま、麗美に魔力を込める。すると、刃から水が湧き出し、刀身にまとわりついていく。それはやがて凄まじい水流となって敵を斬り裂く時を今か今かと待っていた。
「はあっ!」
統哉が気合と共に刃を振り抜く。それと同時に、幾筋もの水刃が高速で放たれる。一瞬の後、水が破裂するような音が響き、ザドキエルの体に幾筋もの切り傷を刻み込む。
体を切り裂かれた痛みにザドキエルが絶叫し、魔力弾を放つ。
だが統哉は焦る事なく麗美を両手で構え直し、飛来する魔力弾に対して素早く刃を振るう。振るわれた刃は全て正確に魔力弾を両断し、虚空へと還していく。
その様子を見ていたレヴィアタンが上機嫌そうに口笛を吹く。次はどんな技を見せてくれるのか。彼女の中にそんな期待が生まれていた。だがその直後、レヴィアタンは驚愕する事になる。
なんと統哉はゆっくりと麗美を鞘へと納めるかのような動作で腰へ構え直した。
ゆっくりと腰を落とし、体から一切の力を抜く。そして、流れるような動作で統哉は麗美の柄に手をかける。
居合。そう呼ばれる一撃必殺の剣術の構えを取った統哉。それを見つめるレヴィアタンには、彼の周囲の空気が張りつめていくのを感じ取っていた。やがて、緊張が極限まで高まり、統哉の口から一瞬の呼気が漏れる。 その瞬間、統哉の姿が霞み、そして、空を斬る、澄んだ音が響いた。
そこでレヴィアタンは初めて彼が抜刀した事を理解した。しかし、いつ抜刀したのか、振るわれた刃がどのような軌跡を描いたのか、彼女には全くわからなかった。
ややあって、統哉は振り抜いた麗美を静かに腰へと戻した。その一連の動作を見つめていたレヴィアタンは思わず感嘆の息を漏らした。統哉がまさか「居合」という精密さと集中力が必要とされる技術を扱えるとは想像できなかったからだ。
そんな事を考えていた矢先、彼女の眼前でザドキエルに青く光る大きな×の字が刻まれた。突然大きな傷を負わされた守護天使が絶叫を上げる。
その光景を見たレヴィアタンは思わず目を見開き、そして何が起きたのかを理解した。
あの一瞬で統哉はなんと二回も居合による高速抜刀を繰り出し、さらに魔力を纏わせる事で水刃による切れ味の強化と広範囲に渡る斬撃をやってのけたのだ。
「……アンタ、居合なんてどこで習ったのよ?」
レヴィアタンが純粋な驚愕を含ませながら尋ねた。すると統哉は自分でも驚いたという表情をしながら答えた。
「……いや、ルーシーが持っていたアニメやゲームのキャラクターがやっていた事を見様見真似でやってみただけなんだけど、案外やれてしまうもんだなって」
「……いや、そのりくつはおかしいわよ。……ああもう、アンタってばホント色んな意味で妬ましいわ。でも……」
少し押し黙った後、レヴィアタンは晴れ晴れとした顔で満面の笑顔を浮かべた。
「アンタといると退屈しないわ!」
心の底から楽しくて仕方がないという様子でレヴィアタンが叫ぶ。同時にその背中から小さいものの、珊瑚を思わせる綺麗な翼が生えた。翼と翼の間にはエメラルドグリーンの皮膜が張られている。
「……翼、あったんだ」
統哉が目を丸くしながら呟く。レヴィアタンは苦笑した。
「アタシの場合、空は飛べないんだけどね。でも、この翼は魔力を大きく増幅させる――つまり、この翼を出した時がアタシの本気よ!」
レヴィアタンが叫ぶと同時に、彼女から放たれる魔力が一段と強くなった。その力に呼応するかのように、彼女が立つ水面が激しく波打ち、その周囲に激しい水流や渦を作り出す。
「ビッグ・ウェンズデイ! さあ、波に乗るわよ!」
レヴィアタンが力強く宣言すると同時に、彼女の足下から巨大な水流が噴き出し、彼女と統哉を遙か上空へ押し上げる。
「うおおおっ!?」
突如空中へ打ち上げられた統哉の足下で、水流はみるみるうちに水でできた巨大な龍の姿へと変わっていく。その大きさは以前旅行先の川で戦ったものとは比ではなく、ザドキエルの巨体よりも巨大なものだった。その巨大さに思わず統哉は口をぽかんと開けてしまっていた。
「やが……ううん、統哉! アタシのサーフテクニック、特等席で見せてあげるわ! だから……一緒に波に乗って!」
いつの間にか統哉に対しての呼び方をフルネームから名前へと変えたレヴィアタンは統哉の手を取り、そのまま水龍の元へ急降下する。
「ちょ、待て待て待て! 死ぬ! マジで死ぬって! つかなんだよビッグ・ウェンズデイって!?」
「大丈夫よ! アタシに任せなさい! そして名前は気にするな!」
統哉の疑問をバッサリと切り捨て、レヴィアタンは水龍の首に着地――いや、着水し、即座に水龍の制御を行う。一呼吸遅れて着水した統哉は振り落とされないように、麗美に意識を集中する事で精一杯だ。
そんな統哉にはお構いなしという様子でレヴィアタンはとても楽しそうに水龍をコントロールし、ザドキエルに猛スピードで突っ込んでいく。その様はまさに、「波に乗る事が楽しくて仕方がなく、波に乗る事を純粋に楽しんでいる」ものであった。
レヴィアタンが操る水龍は彼女のコントロールの下、凄まじい勢いと質量をもってザドキエルの動きを封じ、襲いかかる。圧倒的質量を誇る水龍自体が巨大な鈍器となり、鋭い刃となってあらゆる角度から攻撃を加え、ザドキエルの巨体を瞬く間に削り、抉り、打ち砕いていく。
「さあ! ここからがクライマックスよ!」
楽しそうに言い放ち、レヴィアタンはさらに力を解放した。
力の解放に応え、水龍はほぼ直角に近い角度で天高く昇っていく。さらに、一度大きく回転して方向転換し、凄まじい勢いを保ったままザドキエルへと突っ込み、その体を呑み込んでいく。そして、巨大な水龍が水へと還ったその時――アクアブルーの閃光が迸った。
水龍がザドキエルへと突撃する瞬間、レヴィアタンは空高く飛び上がり、翼と右足に魔力を集中、そして翼に集中させた魔力を爆発的な推進力へ変換して強烈な跳び蹴りを放ったのだ。
膨大な魔力を纏ったレヴィアタンはアクアブルーの閃光と化し、虫の息だったザドキエルの体に巨大な穴を穿つ。
「嫉妬の水底に、消えろっ!」
レヴィアタンが水飛沫を上げながら水面に降り立った直後、ザドキエルの巨体は強い光を放ちながら水底へと沈んでいき、そして霧散していった。




