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幻影

 佐々木豪(ささきごう)神野七莉(かみのななり)と距離をとり、手で血を拭った。


「やってくれるじゃない。だけど柔道はただの暇つぶしだよ」

「佐々木先輩、私はあなたの能力(スキル)を力の増幅だと判断しました。そんな力があったところで、せいぜい柔道をして自分を慰めることしかできなかったのですか」


「誰がこんな生活にしたと思ってるんだ!」


 豪は吠えた、そして続ける。


「お前たち霧雨さえいなければ、俺たちはこんな惨めな生活を送る必要なんてなかっただろ」

「いいえ。こんなことになっているのは自業自得です。自分たちを追い込んだのは、人間を支配しようとした自分たちではないですか」

「いつの時代の話だよ。俺たちは何もしてないんだよ! なぜ子孫の俺たちが追い詰められるんだ。ただ血が青いだけじゃねぇか!」


 豪は声を荒げ続けている。

 対照的に、七莉は淡々としていた。


「残念ですが、現在この国では血が青いと言うだけで罪です。だから霧雨(きりさめ)がいる。あなたたちは人間ではないのですよ?」

「そんなの人間のエゴだろ!」

「それに、いま生徒会長を殺そうとしていたんでしょう? 加えて一月(ひとつき)君まで。事実を見てください。あなたは現に何かをしているんです」

「うるせえ!」

「生徒会長がこんな怖い体験をする前に、もっと早く狩りたかった」


 七莉が豪を見る目は、恐ろしく冷たく残酷だった。

 そこにはもう、風凪高校の生徒同士という関係はない。


「神野七莉……。今日ここで俺が殺す」


 豪はそう宣言すると、脚力を強化し、七莉の目にも見えない速さであちこちに移動を始めた。七莉は豪の姿を見失い、いつどこから攻撃が飛んでくるか分からなくなった。

 一番避けたいのは翠銀刀(すいぎんとう)が手から離れること。七莉は翠銀刀を制服のポケットにしまうと、呼吸を整えて防御に集中をした。


 七莉は地面と靴が擦れる音を聞いていた。音の大きさを瞬時に分析し、自分と豪の距離を測る。足音は近づいたり、遠のいたりしていた。

 豪が高速移動を始めてから数十秒後が経った。七莉は、右斜め方向から聞こえてきた足音の大きさの変化を感じ取った。その瞬間、七莉の右腕に大きな衝撃が加わった。


 七莉はそのまま後ろに吹っ飛んだが、衝撃が加わる少し前に攻撃を避けようと体を動かしていたため直撃を避けることができた。


「どうした? 避けようとするだけで精一杯か?」

「……っ!」


 直撃を避けることはできても、七莉の右腕はかなり痛んでいた。

 腕全体に力が入らず、指先は痺れている。


能力(スキル)を活かした戦い方なんていくらでもある」

「いくらでもあったとしても、やれなきゃ意味がないじゃないですか」

「はは! 強がってるねえ」


 事実、七莉は豪に近づけないでいた。このままでは豪の攻撃を避けるだけで、長期戦になってしまう。いくら訓練をしているといっても、人間が龍の血脈に体力で勝てないということくらい七莉も理解していた。

 だが、七莉にもまだ切り札はある。七莉はまだ、移植された龍の血脈の能力(スキル)を少しも使っていなかった。なぜなら人間が移植された能力(スキル)を使えばかなり体力を消耗するからだ。それでもここぞというときに能力(スキル)を使えば、翠銀刀を当てられるのは確信していた。


「いまこの場で、能力(スキル)を使えるのは佐々木先輩だけではありませんよ?」

「……! 霧雨が龍の血脈から能力(スキル)を奪っているという話は聞いている」

「奪っているだなんて言わないでください。人間が研究を重ねた結果の成果です」

「ふざけやがって! 俺たちがいなければ能力(スキル)も使えないくせに!」


 豪は近くにあった岩を持ち上げ、七莉に向かって投げた。岩はものすごい速さで一直線に七莉へ向かっていったが、七莉は岩を簡単に避けてみせた。しかし、避けた先には豪がいた。


「委員長なら絶対に避けると思ってたよ!」


 豪は七莉の腹部めがけて鋭い突きを打った。当たれば、肉と臓物を突き破り体を貫通して確実に死に至る銃撃のような突きを。

 しかし、確かに目の前に七莉はいるのだが、豪は手応えを感じなかった。豪の腕が貫いているはずの七莉の腹部は、煙のように実体を失い、豪の腕は何も捉えることができていなかった。


「なん……だよ……。これは……!?」

「だから言ったでしょう? 能力(スキル)使えるのは先輩だけじゃないって」


 七莉は、いつの間にか取り出していた翠銀刀で豪を斬りつけた。

 傷は深く、豪の腕から青い血が流れ出す。


「ぐぅっ……!」


 鋭い痛みに思わず唸る豪であったが、その痛みは切り傷の痛みであり、翠銀刀が原因のものではないということは悟っていた。


 翠銀刀による痛みがいつ来るのかは分からない。しかし、痛みがいつ来るのか心配するよりも先に、とにかく逃げるしかないと豪は思った。

 龍の血脈としてのプライドや恥じ、信念など、そんなものはなりふり構っていられない。豪はその場から逃げ出した。

 

  しかし、七莉は焦って追わなかった。なぜなら次に何が起こるかすでに知っているからだ。

 七莉は、豪が逃げた方向に向かってゆっくりと歩み出した。


「はぁ……! はぁ……!」


 豪は木や植物を薙ぎ倒しながら、道なき道を一目散に逃げている。やはり霧雨に歯向かうのはやめよう。とにかく両親と一緒にどこか遠くへ引っ越して、ひっそりと生きていこうと、もう逃げることしか頭になかった。


 豪が逃げ出して数十秒が経過した。後ろを振り返っても七莉はいない。このまま逃げることができると思ったその時、全身を斬り刻まれるような鋭い激痛が走った。


「ぐあああああ……!」


 豪はこれまで体験したことのない痛みで脚がもつれ、転んでしまった。絶え間なく襲いかかる痛みに体がのけぞり、その場から動くことができなかった。


 意識が飛びそうだ。豪は薄れゆく意識の中で七莉が自分に近づいてきているのを確認した。


「ちくしょう……! 頼むから助けてくれ……!」


 豪は声を絞り出した。


「あまりにも弱い」


 七莉は豪のお願いには応えず、冷酷な一言を放った。

 そして、豪はとうとう意識を失った。


「佐々木先輩、さようなら」


 豪が逃げてきた進路は木も植物も倒れ、誰が見てもどこに逃げたかは一目で分かる状態だった。

 七莉は翠銀刀をしまい、地べたに横たわる豪を冷たく見つめていた。

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