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9話

 学園創立祝いの当日。

 夜にも関わらず、学園内は賑わいを見せていた。


 ダンスホールには大勢の人が集い、この日のために(あつら)えた華やかなドレスや、仕立ての良いタキシードに身を包んだ生徒や教師達が、思い思いに談笑している。


 グレンもまた、深い紺色のタキシードに身を包んでいた。

 飾り気のない装いだがその分、彼の端正な顔立ちと背の高さが際立っている。


 やがてホール中央に学園長が進み出て、厳かな祝辞を述べ始めた。

 しかし、その話はいつ終わるとも知れず、延々と続いている。


 その最中(さなか)、グレンは人知れずホールを抜け出した。

 舞踏会に参加しないことを選んだのは、これが初めてだった。

 これまではどれほど気が進まなくとも、最低限の礼儀として出席してきたのに。

 だが今年は、どうしても心が拒んでいた。


 ――理由は、おそらく……。


 シーラがオリバーや他の男と手を取り、楽しげに踊る姿を想像するたび、胸がざわつき、荒んでいく。


 ――ここまできたら病気だな……本当に。


 グレンは自嘲気味に口元を歪める。

 自身の異常な感情を、ただただ嗤うしかなかった。




 気付けば、グレンは学園内の庭園へと辿り着いていた。


 昼間は生徒たちの憩いの場として賑わうこの場所も、夜になるとまるで別の顔を見せる。

 手入れの行き届いた生垣や花々は闇に溶け、淡く灯る魔導灯の光が、輪郭だけを静かに浮かび上がらせていた。


 見上げれば、澄んだ夜空に無数の星が瞬き、丸みを帯びた月がやわらかな光を庭園全体に降り注がせている。


 グレンは足を進め、庭園の奥に佇む東屋へと向かった。

 白い柱と蔦に覆われた屋根を持つ小さな東屋は、月光を受けて静謐な雰囲気を纏っている。

 中のベンチに腰を下ろし、グレンは再び夜空を仰いだ。


 ——静かだ。

 胸を満たしていたざわめきが、ほんの少しだけ薄らいでいく気がした。


 そのとき、風に乗って微かな音楽が流れてくる。

 どうやらホールではダンスが始まったらしい。


 遠くから届く華やかな旋律を背に、グレンはそっと目を閉じた。


 一体いつからだろう、と自問する。

 シーラが他の男と並んでいる姿に、耐え難い苦しさを覚えるようになったのは。

 彼女の笑顔を、自分だけに向けてほしいと願うようになったのは。


 ——そもそも何故こんな感情を……いや、これ以上はよそう。


 己の心を明確に言葉にしようとするたび、グレンは必ず思考に蓋をする。

 そこから先へ進めば、きっと何もかもが壊れてしまう。

 そんな予感がしてならなかった。


 その後もグレンは東屋に留まり、夜風に運ばれてくる微かな音楽に、ただ静かに耳を傾けていた。

 時は瞬く間に過ぎ、いよいよ次が最後の曲だ。


 ——父上に知られたら、小言は免れないな。シーラには後で口止めを頼んでおくか……。


「お兄様」


 口止め料に何を差し出すべきかと思案していたところに。

 不意に、聞き慣れた声が夜気を裂いた。

 グレンははっと目を開け、声のした方へと顔を向ける。


 視線の先には、月光を映すような淡い銀色のドレスを身に纏ったシーラが立っていた。柔らかな生地は夜風に揺れ、彼女の細い輪郭をよりいっそう引き立てている。

 その白い喉元には、オリバーから贈られた大きなエメラルドの首飾り。


 胸が刺すように痛んだのは、ほんの一瞬。

 この忌々しい宝石への嫌悪が薄まるほどに、妹の姿は息を呑むほどに美しかった。


「こちらにいらしたのですね」

 柔らかな微笑みとともに、シーラが声をかけてくる。

 音楽が止んだ今、夜の庭園にその声だけが静かに響いた。


「お前……何故ここに」

 思わずグレンは目を丸くした。

 舞踏会の喧騒の只中にいるはずの妹が、こんな場所にいるとは思ってもみなかったのだ。


「少し人酔いしてしまったので、夜風にあたりに来ましたの。あ、オリバー様にはきちんとお伝えしてありますわ」


 ひとまずは自分のように舞踏会を放り出してきたわけではないと判明し、グレンはひと息つく。


「それにしてもひどいではありませんか。お一人だけで会場から離れるなんて」

 元より弁明する気はない。咎めるような口調を、グレンは素直に受け入れようとした。

 だがその言い方に、どこか引っかかりを覚える。


「私、お兄様と踊るのを楽しみにしておりましたのに」

 シーラは唇を尖らせ、拗ねたような表情を浮かべた。

 どうやら、舞踏会に参加しなかったこと自体に腹を立てているわけではないらしい。


「……おかしなことを言う。私と踊ったところで、楽しくなど——」

「そんなことありません」


 被せるように、きっぱりと言い切られる。

 その声音には、迷いも冗談めいた響きもなかった。


「本日は色々な方と踊りましたが……それでも——」

 シーラは胸元でそっと手を組み、目を伏せる。


「小さい頃に、お兄様と踊った円舞曲(ワルツ)が……今でも一番の思い出ですから」

 頬を僅かに赤らめたその表情は、まるで甘い夢を見ているかのようだった。


「……」

 グレンが言葉を失っていると、再び風に乗って音楽が流れてきた。

 最後の曲だ。


「——はぁ、まったく……」

 息を吐き、グレンはベンチから立ち上がる。


「幼少の頃の記憶が一番の思い出だなんて、虚しい奴だな」

 わざと素っ気なく悪態をつく。

 シーラは一瞬きょとんとした後、しゅんと肩を落とした。


「だから——」

 一歩、彼女の前に立つ。


「今ここで塗り替えてやろう」

 手袋に覆われた手を、静かに差し出す。


「私と踊っていただけますか? レディ」

 小さく微笑んでみせれば、シーラは目を見開き、次いで花が綻ぶように顔を輝かせた。


「喜んで……!」

 迷いなくその手を取り、指先を重ねる。


 二人は並んで東屋を出た。

 月光に照らされた庭園の中央で、音楽に身を委ねる。


 シーラのステップは滑らかで、幼い頃とは比べものにならないほど洗練されていた。

 軽やかに回るたび、ドレスの裾がふわりと舞い、淡い光を映す。


 妹の確かな成長を感じ取りながら、グレンは胸の内でそっと呟いた。


 ——シーラ、さっきはあんなことを言ったが……本当は、俺も……。


 こんなこと、口が裂けても言えないけれど。


 ——俺も、同じ気持ちだ。

ここまで読んでいただきありがとうございます!

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