8話
翌日。
シーラはまだ体調が戻らず、学園を休むことになったため、グレンは一人で登校していた。
「次の授業は数学だったか?」
「いいや、ダンスだよ」
「え? ああ、そうか。舞踏会が近いから……」
同級生のやりとりを耳にしながら、近々、学園創立を祝う舞踏会が開かれることを思い出す。
その影響で普段の時間割は一部変更され、ダンスの授業が多く組み込まれていた。
「そうそう。遅れたら何を言われるか分からないし、早く行こうぜ」
会話を交わしながら、彼らは教室を出ていく。
そんな中、グレンはなかなか席を立てずにいた。
昨日の騒動のせいだろう。
以前にも増して、周囲の視線は露骨に怯えを帯びている。
廊下ですれ違えば、さりげなく距離を取られる。
視線が合った途端、ひそひそと囁き合い、足早に去っていく者もいた。
血を流しながら相手に迫るあの光景は、それほどまでに強烈な印象を残したのだろう。
——こんな状態でダンスなど……。
運悪く自分と組まされることになった令嬢の、引き攣った表情を想像してしまい気が滅入る。
——……サボるか。
ようやく席を立ったものの、進む先は皆と逆方向。
——早く家に帰りたい……。
シーラが入学するまでは、ここまで苦痛ではなかったはずだ。
だが今は、妹のいない学園生活が、耐え難いものになっていた。
◇
数時間後。
すべての授業を終え、ようやく学園から解放されたグレンは、寄り道もせず真っ直ぐ屋敷へ戻った。
普段着に着替えると、その足でシーラの部屋へ向かう。
軽くノックをすると「どうぞ」と控えめな声が返ってきた。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、お兄様」
部屋に入ると、シーラはベッドの上で上体を起こしていた。
その手には、小さな箱が大事そうに抱えられている。
「だいぶ顔色が良くなってきたな」
「はい。これなら舞踏会にも参加できそうです」
「そうか」
その短いやり取りだけで、張り詰めていた心がふっと緩むのを感じた。
「そうだ、お兄様。こちらをご覧ください」
弾んだ声に、隠しきれない喜びが滲んでいる。
シーラは手元の小箱を抱え直すと、ゆっくりと蓋を開けた。
「これは……」
中には大きなエメラルドをあしらった首飾りが入っていた。深い緑の輝きが、静かな部屋の中で妖しく光を放つ。
「オリバー様からの贈り物です。舞踏会のときに、ぜひ身に着けてほしいと」
途端、身体がびりりと痺れた。
まるで全身を雷に打たれたかのような衝撃に、思考が一瞬白くなる。
壊したい——。
今すぐ、その首飾りを。
そんな衝動が湧き上がり、グレンは耐えるように奥歯を噛み締めた。
「……そうか、良かったな」
必死に感情を押し殺し、当たり障りのない言葉を返す。
自分がきちんと笑えているのか、それすら分からなかった。
「それじゃあ、私はそろそろ失礼する」
これ以上ここにいれば、内側の醜い感情が溢れ出してしまいそうだった。
グレンは足早に部屋を出る。
自室へ戻るまでの廊下で、嫌でも想像してしまう。
あの首飾りを身に着け、オリバーと舞踏会で踊るシーラの姿を。
ぎり、と歯を噛んだ。
なんてことのない光景のはずなのに。
胸の奥には、理由の分からない苛立ちだけが、黒く渦巻いていた。




