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5話

「それではオリバー様、お兄様、また後ほど」

「あ——ああ……」


 シーラの声に呼び戻されるように、グレンは苛立ちと自責で混濁していた思考から我に返った。

 妹は軽く会釈を残し、校舎へと歩いていく。

 その背中を見送っていると、隣に立つオリバーが、落ち着きなく周囲に視線を走らせていることに気が付いた。


「どうかされましたか、公子」

 声をかけると、オリバーは一瞬だけ言い淀み、やがてある一点へと目を向けた。

 グレンもそれに倣って視線を動かせば、木の陰からこちらをじっと見つめる一人の令嬢がいた。


「あれは……」

「ロット伯爵家の令嬢だ。少し前から付き纏われていてね」

 辟易したようにオリバーは額に手を当て頭を振る。


 グレンは令嬢から視線を外さぬまま眉間に皺を寄せ、目を細めた。

 ――一体何を考えているんだ?

 落ち着いてきていた苛立ちがぶり返す。

 オリバーに婚約者(シーラ)がいることは既に周知されている。

 伯爵令嬢であるなら、知らないはずがない。

 あの視線は、何を期待して向けられているのだろうか。


「そういうわけで、マクニース公子。少し匿ってくれないか? 教室まで一緒に来てほしい」

「……ええ、構いませんよ」

 頷きながら、グレンは内心で自嘲する。

 自分に近付こうとする人間は少ない。その点では、虫除けとしては最適なのだろう。


「ありがとう。助かるよ」

 そうして二人は並んで歩き出す。


 こうして、新学期は静かに幕を開けた。




 シーラの学園生活は、穏やかでありながら、常に人の輪の中心にあった。

 入学当初こそ「呪血のマクニース家」という悪名に、好奇と畏怖の視線が向けられたが、それも長くは続かない。

 柔らかな物腰と誰に対しても変わらぬ礼節、控えめながら芯のある振る舞いは、次第に周囲の空気を和らげていった。


 休み時間には友人たちに囲まれ、談笑の輪が自然と生まれる。笑い声は控えめで上品だが、ふとした拍子に見せる無邪気な表情が、人の心を惹きつけてやまない。


 貴族令嬢としての立ち居振る舞いも申し分なく、教師陣からの評価も高かった。

 気取らず、驕らず、けれど確かな品位を失わない。

 シーラは、王立学園という社交の縮図の中で、確実に居場所を築いていった。


 ◇


 新学期が始まって一ヶ月が経った。


「マクニース公子。今日もお昼、一緒にいいかな?」

 昼休み、今日もオリバーに気さくに声をかけられる。


 例の付き纏いの件もあり、最近は彼と行動を共にすることが増えていた。

「ええ、構いませんよ」

 二人は連れ立って食堂へ向かった。


 廊下を歩きながら、オリバーが少し申し訳なさそうに口を開く。

「すまないな、いつも付き合わせて。だが今日はシーラも誘ったんだ。ずっと俺とばかりじゃ、君も退屈だろうからな」

「そのようなことは……。ですが、お心遣い感謝いたします」


 そんなやりとりを交わしつつ歩いていると、前方からざわめきが聞こえてきた。

 耳を澄ませば、どうやら女性同士が言い争っているらしい。


「なんだ、喧嘩か?」

「そのようですね。巻き込まれると面倒ですし、別の道から——」

 そこまで言いかけたとき、重なり合う声の中に、聞き覚えのある声を拾った。


「——っ、シーラ……!」

「え?」

 目を丸くするオリバーを置いて、グレンは声のする方へと駆け出す。


 辿り着いた先ではシーラと、オリバーに付き纏っていた娘——ロット伯爵令嬢が向かい合っていた。

 周囲には騒ぎを聞きつけた生徒達が集まり、野次馬の輪が出来ている。

 少し離れた場所には、シーラの友人達が立ち尽くしていた。この事態にどうしたらいいのか分からない様子だ。


 シーラは頭から水を浴びせられたのだろうか。制服も髪もすっかり濡れ、床には水滴が落ちている。


「私のことはいくら悪く言っても構いません。ですが……先程の発言だけは、どうしても聞き捨てなりません!」

 濡れた前髪の隙間から、シーラは真っ直ぐに相手を見据えていた。

 声は震えていたが、確固たる意思を感じ取れる。


「黙りなさい、この穢れた血が! 呪われた家の分際で、オリバー様のそばに立つ資格があるとでも思っているの!?」

 甲高い叫びと同時に、ロット嬢が魔力を解き放つ。

 攻撃魔法が、一直線にシーラへと放たれた。


「シーラ!!」

 叫びながら、グレンは咄嗟に飛び出した。

 彼女の肩を掴み、強く突き飛ばす。


 魔法はグレンの頭部を掠めるように直撃した。


「ぐっ……!」

 衝撃と激痛に、思わず声が漏れる。

 頭を押さえた手の隙間から、鮮やかな赤が溢れ出し、手袋を濡らし、そのまま腕を伝って滴り落ちた。


「お兄様……!!」

 床に倒れ込んだシーラが、悲鳴にも似た声を上げる。


 グレンは頭に手を当てたまま、ロット嬢を鋭く睨みつけた。

 その視線を受け、令嬢の顔から血の気が引く。

 周囲にいた生徒たちも、無言で距離を取り始めていた。


「貴様——っ!」

 怒りを滲ませたまま、グレンは一歩、また一歩と近付く。

 歩くたびに、血がポタリ、ポタリと床に落ちていく。


「いやぁっ! やめて! 来ないで! 死にたくない!!」

 ロット嬢は後ずさりしながら、耳障りな悲鳴を上げた。


 血に塗れたグレンの手が、彼女の顔に触れようとしたそのとき——。


「マクニース!」

 強い力で腕を掴まれる。

 振り返れば、そこにいたのはオリバーだった。


「放せっ!!」

 声を荒らげ、振り解こうとするグレン。

 その隙に教師達が駆けつけ、泣き叫ぶ令嬢をどこかへと連れていった。

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