3話
夜になった。
天候は悪化する一方で、遠くで雷鳴が轟き、窓ガラスを微かに震わせている。
父と母はまだ帰ってきていない。
——この天気だ、道も相当悪くなっているだろう。
グレンは既に寝巻きに着替え済み。
後は手袋を外してベッドに潜るだけ——といったところで、ノックの音が響いた。
「誰だ」
「私です、シーラです」
少しだけ逡巡した後に、手袋を外そうとした手を止め、ドアを開ける。
「どうした、こんな時間に——」
廊下にいたシーラも、寝巻き姿だった。
枕を両腕でぎゅっと抱きしめ、表情には不安が滲んでいる。
「お兄様、その……」
シーラが言い淀んでいると、一際大きな雷がドォンと落ちた。
びくりと肩を震わせ、枕を抱く腕に力を込める妹の姿を見て、グレンは察する。
「……入れ」
「よろしいのですか?」
「ああ」
出入り口から身を引いて入室を促すと、シーラはぱぁっと顔を綻ばせた。
二人がベッドに入ってからほどなく——。
シーラはスースーと規則正しい寝息を立て、既に夢の中。
一方のグレンは、中々眠りにつけずにいた。
外でまだ雷が鳴っているせいか。
それとも、いつもと違って手袋をつけたままだからか。
あるいは、すぐ傍に人の気配があるからか。
グレンは、そっと妹の寝顔に視線を向ける。
無防備で、安らぎきったその表情に、思わず胸の奥が緩んだ。
——こんな顔を、自分に向けてくる人間が現れるとはな……。
結局、すぐには眠れなかったけれど。
それでも、不思議と——悪くない気分だった。
◇
翌朝。
今朝は兄妹だけの朝食となった。
「シーラ」
使用人たちが食器を下げている最中、グレンは向かいの席に座る妹へ声をかける。
「このあと談話室で読書をする予定だ。……よければ、一緒にどうだ?」
なんてことのない、ただの気まぐれだった。
それでもシーラはぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに頷く。
「ぜひ、お願いします」
だが、すぐに何かを思い出したかのように立ち上がり、控えめに告げた。
「お薬を飲んで参りますので、お兄様はお先に談話室へ向かわれてください」
「薬?」
「はい。毎日欠かさず飲むようにと、お母様から言いつけられているのです」
母と同じく身体が弱いからなのだろうと、グレンは納得する。
「それなら、次からはここに持ってこい。わざわざ部屋へ戻るのも面倒だろう?」
厚意のつもりで口にした言葉だったが、シーラは困ったように視線を伏せた。
「その……人前でお薬を飲むのは、少し恥ずかしくて……」
頬に手を当て、もじもじとする姿に、グレンは小さく首を傾げる。
自分にはよく分からない感性だが、女性とはそういうものなのだろう。そう解釈することにした。
「……まあ、お前の好きにすればいい」
言って視線を逸らすと、シーラはほっとしたように微笑んだ。
父達が帰ってきたのは、そこから数時間後の昼前だった。
「これはまた……。少し見ない間に、随分と仲良くなったものだ」
談話室で一緒になって本を読んでいるグレンとシーラを見て、父が興味深そうに呟く。
「お父様! お帰りなさいませ!」
シーラは嬉しそうにソファから立ち上がり、ぱたぱたと父に駆け寄る。
母の姿はなかった。
「母上はどちらに?」
「部屋で休ませている」
グレンの問いかけに答えながら、父はシーラに包みを渡す。
「道中で見つけた物だ。気に入ってくれるといいが……」
「わぁ……!」
中身を覗き込んだシーラは、表情を輝かせ礼を述べる。
「お前の分もあるぞ」
グレンもまた土産を受け取り、静かに礼を言う。
妹が来たことで、少し賑やかになった我が家。
この家に、日常に、僅かではあるが、変化が訪れている。
そして、グレン自身にも。
確かに、着実に。
それが未来にどう影響を及ぼすのかは、本人も、周囲も、まだ知らない。
1章 了




