15話
最終章です。
グレン視点に戻ります。
マクニース伯爵の死は、瞬く間に社交界へと広まった。
貴族達の好奇心と悪意は、悲嘆に暮れる家族の事情などお構いなしに、噂を膨らませていく。
やがて、耳を疑うような話まで囁かれ始めた。
発見時、伯爵は口から血を吐いて倒れていた——その一点だけを根拠に。
呪血によって命を落としたのではないか——。
息子であるグレンに殺されたのではないか——。
真偽など誰も確かめようとはしない。
ただ刺激的な憶測だけが、毒のように社交界を巡っていった。
◇
グレンにとって、父の死はあまりにも唐突だった。
現実感が伴わず、まるで悪夢を見せられているようだった。
血相を変えた使用人に連れられ、父の寝室へと向かう。
扉を開けた先で目に飛び込んできたのは、床に崩れ落ち、口元から血を溢れさせた父の姿だった。
慌てて医者を呼ばせたが、診察が始まる前に、既に息はなかった。
これは夢だ。
何度も何度も自分に言い聞かせたが、現実は容赦なく突きつけられる。
グレンは震える手で、すぐにシーラに手紙を書いた。
こんな形で再会を遂げることになるなど、思ってもみなかった。
当然、望んでもいなかった。
「胃がんだそうだ……」
談話室のソファに深く身を沈め、グレンは項垂れたまま、帰ってきたばかりのシーラにそう告げた。
声には精神的な疲労と、まだ現実を受け入れきれていない戸惑いが滲んでいる。
「最近、食欲が湧かないとはおっしゃっていたが……まさかこんなことになるとは……」
顔に手を当て、唇を噛む。手のひらの内側では、後悔と悲嘆がない交ぜになった表情をしていた。
シーラは何も言わず、ただ俯いたまま、その言葉を胸に落とし込むように静かに聞いている。
「……分かっていると思うが、マクニース家の男子に呪血は効かない。だから——」
「ええ、承知していますわ。……それ以上、言わなくても」
シーラはそっと顔を上げ、落ち着いた声で続けた。
「噂は全て虚偽であることも。それに……お兄様とお父様は、とても仲が良ろしかったですから。お兄様がお父様を手にかける理由など、どこにもありません」
その言葉には確信と、兄を信頼している揺るぎない想いが込められていた。
「——ならいい」
短く言い、グレンはソファから立ち上がる。
「葬儀は明日行う。今日は早めに休め」
それだけ告げると、振り返ることなく談話室から出ていった。
静まり返った廊下を歩きながら、グレンは考える。
シーラの言う通り、父との仲は決して悪くなかった。
呪血という、他者には理解されがたい宿命を共有する者同士。
父は、グレンにとって最も近く、最も頼れる存在だった。
だからこそ、父の死は——耐え難いほどに悲しい。
だが、それ以上に。
父の亡骸を目にして思ったことは——。
◇
翌日。
予定通り葬儀は執り行われた。
参列者達の視線が肌を刺すように痛い。
背後で交わされるひそひそ声は、意識せずとも耳に届き、神経を逆撫でさせる。
そうした悪意を孕んだ空気に耐えながら、葬儀は滞りなく終わった。
そして今、グレンは談話室のソファに身を投げ出し、ぐったりと背を預けている。
「……だいぶお疲れのようですね」
シーラが心配そうに声をかけてくるが、返す気力もなかった。
「——お一人の方が良く休めるでしょう。私は部屋におりますので、何かございましたらお呼びください」
「——いてくれ……」
立ち去ろうとする妹を呼び止める声は、自分でも驚くほどか細い。
それでも、シーラはきちんと気付き、足を止めてくれた。
「ここにいてくれ」
我ながら、随分と情けない言葉だと思う。
それでも口にせずにはいられなかった。
妹の反応が気になり、俯いていた顔をゆっくりと上げる。
シーラは一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、やわらかく微笑み、「はい」と頷いた。
そして隣に腰を下ろす。
彼女がそばにいる。ただそれだけで、不思議と心の中のざわめきが静まっていくのを、グレンは感じていた。
「お葬式が終わったら——」
少しの沈黙が流れた後、シーラがおもむろに口を開く。
「すぐに戻ってくるようにと言われております。ですので、明日の朝にはバーネル邸へ戻らせていただきます」
「……そうか」
その言葉を受けて。
逃せば、きっともう機会はないと——。
やるなら今しかないと思った。
「お前も疲れただろう。茶を持ってくる」
立ち上がり、部屋を出て、近くにいた使用人に紅茶を二人分用意するよう命じる。
「私の部屋に持ってくるように」と添えて。
自室に戻る。
ほどなくして、指示通りに使用人が紅茶を持ってきた。
テーブルの上に置かれた二つの紅茶の前に立ち、ゆっくりと左の手袋を外す。
露わになった左手を、ゆっくりと口元に持っていく。
そこでぴたりと動きが止まった。
——ここまで来て、怖気づいたのか?
頭の中で、もう一人の自分が嘲笑う。
それに反論するかのように、グレンは思い切り手を噛んだ。
じくじくとした痛み。
口の中に広がる、鉄の味。
ゆっくりと口を離すと、白い皮膚には綺麗な歯形が刻まれ、そこから血がじわりと滲み出ていた。
出来たての傷口を、片方のカップへとかざす。
ポタリと一滴の赤が紅茶の中へ落ちる。
血は揺れる水面の中で溶け、やがて茶色に紛れて見えなくなった。
その光景を見つめながら、グレンは口元に薄く笑みを浮かべる。
父の亡骸を目にしたとき思ったのだ。
シーラを誰の手にも触れられぬ場所へ——。
そうすればきっと、このどうしようもない苦しみから、解放されるのだと。




