10話
やがて最後の旋律が夜に溶け、曲は静かに終わった。
「どうだ? 一番の思い出は……更新されたか?」
「……はい。——最高の気分です、とても」
シーラは小さく、けれどはっきりと頷いた。
その声音には、はにかみと確信が同時に滲んでいる。
曲が終わった後も、二人は手を離さなかった。
無言のまま、ただ互いを見つめ合う。
月明かりを映したシーラの青い瞳が、妙に艶やかに見えた。
その視線を真正面から受け、ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
おそらくは、グレン自身の赤い瞳も。
同じように、熱を帯びているのだろう。
「シーラ……」
名を呼びながら、片手を離し、ゆっくりと彼女の頬に添える。
抑え込んでいた衝動が、じわじわと理性を蝕んでいく。
シーラの瞳はさらに熱を宿し、まるで何かを待ち望むかのような光が、そこに灯った。
顔を近付けようとしたところで——。
ガサリと、近くから物音が。
二人は同時にびくりと肩を震わせ、グレンは反射的にシーラから身を引く。
音のした方へ視線を向けると、生垣の隙間から一匹の猫が勢いよく飛び出してきた。
「びっくりしましたね……。どこかから迷い込んだのかしら」
シーラは胸に手を当て、安堵の息を漏らす。
その横で、熱に浮かされていたグレンの頭は、嘘のように急速に冷えていった。
「……パーティーは終わった。帰るぞ」
そう告げてシーラを見ると、彼女は一瞬だけ名残惜しそうに唇を噛んだが。
やがて小さく微笑み、素直に「はい」と頷いた。
◇
それから数日後のことだった。
授業の後、オリバーから「少し話がある。家に来てほしい」と告げられたグレンは、一度自宅に戻って着替えを済ませ、その足でバーネル家を訪れた。
「すまないね、急に呼び出して」
「いえ。それで、ご用件とは?」
客間に通され、ソファに腰を下ろすや否や、グレンは本題を促す。
オリバーは一拍置き、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「……実は、少し考えていることがあってね」
静かな声が、妙に重く響いた。
「近々シーラに、この家で暮らしてもらおうと思っているんだ」
「……え?」
一瞬、言葉の意味が理解出来なかった。
だが次の瞬間、その内容が頭の中で形を結ぶ。
すなわち、それは——。
シーラが、マクニース家を離れるということを意味していた。
「婚姻は妹が学園を卒業してからという話では……」
「ああ、それは変わらないよ。あくまで今は、こちらで暮らしてもらうだけだ。早く我が家の空気に慣れてもらうためにね」
——何故、急に……。
思考がまとまらず、頭の中で言葉がぐるぐると回る。
このまま頷いてしまうわけにはいかない。グレンは必死に口実を探し、どうにか思いとどまらせようとした。
「急にそのようなこと……父も妹も戸惑うはずです」
「その点は心配いらない。マクニース伯爵にも、シーラにも、既に話は通してある。二人とも快く了承してくれたよ」
その言葉を聞いた途端、心臓がぎゅう、と締め付けられる。
妹と離れる——ただそれだけのことが、どうしようもなく耐え難い。
いずれ必ず訪れる未来だ。
それが少し早まっただけに過ぎないというのに。
なのに、どうしてこんなにも強く、拒絶してしまうのだろうか。
「ですが——」
「マクニース公子」
遮るように名を呼ばれ、グレンは言葉を呑み込んだ。
オリバーは穏やかな笑みを消し、真っ直ぐこちらを見据える。
「同居を早めたい理由は、もう一つある」
そう言って、人差し指を一本立てた。
深緑の瞳に、先ほどまでになかった鋭さが宿る。
「それはね——君から、シーラを遠ざけるためだよ」
意味が理解出来ない。
それでも嫌な予感がして、胸の奥を冷たいものが撫で下ろしていく。
「な……ぜ……?」
オリバーはしばし沈黙し、探るような視線を向けてきた。
「……君、シーラのことが好きなんだろう?」




