最強の姑、襲来。あるいは「家政婦VS古龍」の仁義なき戦い
ズズズズズ……。
地響きだ。
またか。
私は洗濯物を畳む手を止めた。
この城に来てからというもの、地震、爆発、謎の振動は日常茶飯事だ。
「今度は何ですか? 勇者さんが壁を壊しましたか? それともまたボタンが弾け飛びましたか?」
私が玉座の間(今はリビングと呼んでいる)の方へ声をかけると、そこには真っ青な顔をしたグラン・ドラゴ(竜王様)がいた。
彼はスライム型バランスボールの後ろに隠れて、ガタガタと震えている。
「ち、違う……。このプレッシャー……この重圧感……。間違いない……」
「誰なんです?」
「母さんだ」
「へ?」
「マザードラゴンが……来たんだ!!」
ドォォォォォン!!
その瞬間、城の天井が煌めく光に包まれた。
天窓から、巨大な黄金の瞳がギョロリと覗き込んでくる。
『グラン、元気にしてたかい?』
脳内に直接響くような、重低音だけど艶のある声。
窓の外には、山脈よりも巨大な黄金色の鱗が見える。
デカい。
規格外だ。
竜王様が可愛らしいトカゲに見えるレベルの大怪獣だ。
「ひぃっ! か、母さん! いきなり来ないでよ! 連絡くらいしてくれよ!」
竜王様が情けない声で叫ぶ。
『クリスタル・ネットで連絡したじゃないか。既読スルーしたお前が悪い』
「王都の若者ですか……」
私は思わず突っ込んだ。
勇者の遺産文化に染まりすぎている。
シュゥゥゥ……。
巨大な竜の体からキラキラした光の粒子が舞い上がり、次の瞬間、光が集束して一人の女性の姿になった。
長い黄金の髪、真紅のドレス、そして扇子。
見た目は30代くらいの年齢不詳の美女だけど、まとっているオーラが違う。
歩くたびに、城の空気がピリッと引き締まるのがわかる。
「久しぶりね、グラン。相変わらず散らかってる……あら?」
マザー(姑)は部屋を見回して、目を細めた。
「意外と片付いてるじゃない。前来た時は、ゴミと脱ぎ散らかした服の山だったのに」
「そ、そうですか? まあ、俺も成長したというか……」
竜王様が得意げに鼻を鳴らした時、マザーの視線が私に突き刺さった。
「で、その貧相な生き物はなに? 新しいペット?」
「ひっ」
私は思わず直立不動になった。
値踏みするような目だ。
まるで王都の高級貴金属店に迷い込んでしまった村娘を見るような、あの上流階級特有の視線。
「あ、いや、そいつは……」
竜王様が口籠る。
頑張れ。
そこで「大事な人」とか言えば、好感度が爆上がりする場面だぞ。
「……あ、愛玩動物です!」
「は?」
私は思わず声が出た。
愛玩動物?
毎日ご飯作って、掃除して、パンツまで洗ってあげてる私を?
「嘘です! 家政婦です!」
私が訂正するより早く、マザーが私に近づいてきた。
扇子で私の顎をクイッと持ち上げる。
「ふうん。人間にしては、まあまあ身綺麗にしてるじゃない。でもグラン、こんな小娘に家事を任せるなんて、ドラゴ家の恥よ。私が連れてきた『エリート・ゴーレムメイド』の方が百倍マシだわ」
バチン。
私の中で、何かが弾けた。
恐怖? 違う。
プライドだ。
「小娘」はいい。「愛玩動物」も百歩譲って許す。
でも、私の家事を、私の掃除を、見てもいないのに否定された。
「……お義母様」
「誰がお義母様よ」
「訂正してください」
私はマザーの手を振り払い、一歩前に出た。
竜王様が「エルマ!? 何してんだ!?」と叫んでいるのが聞こえるけど、無視だ。
「私の掃除は、ゴーレムなんかには負けません」
「ほう?」
マザーが面白そうに笑った。
「威勢がいいわね。じゃあ証明してみなさい。私の『鱗』、磨けるかしら?」
マザーは腕をまくり、黄金色の肌を見せた。
一見すると美しい肌だけど、よく見ると細かい鱗がびっしりと並んでいる。
そして、その隙間には、長年のくすみ……『古龍特有の、こびりついた水垢』がこびりついていた。
「最近、どうも肌艶が悪くてね。エステの魔法でも落ちないのよ。これをきれいにできたら、家政婦として認めてあげる。できなければ……」
マザーがニヤリと笑う。
「私のコレクション(石像)になってもらうわよ」
「上等です」
私はキッチンへ走った。
持ってきたのは、魔法の杖でも聖水でもない。
『お酢』と『重曹』、そして『使い古した歯ブラシ』だ。
「な、なによそれ。そんな貧乏臭い道具で……」
「黙っててください」
私はマザーの腕に、お酢と重曹を混ぜたペーストを塗りたくった。
シュワシュワと泡が立つ。
これは、頑固な水垢や長年のくすみ汚れを落とす最強のコンボだ。
浴槽の頑固な黒ずみだろうが、伝説の古龍の鱗だろうが、汚れの原理は同じ。
そして、おばあちゃんの知恵袋はいつだって最強なのだ。
「そこから、この歯ブラシで……優しく、円を描くように……!」
シャカシャカシャカシャカ。
無心で磨く。
相手が世界最強の生物だろうが関係ない。
汚れがあるなら落とす。それが私の流儀だ。
「くっ……! な、なによこれ……くすぐったい……! やめ……!」
「まだです! 奥の汚れが泣いています!」
「あ、あんた……! いい加減に……ああっ! そこ! そこ痒かったのよぉぉぉ!!」
マザーの絶叫が響いた。
それは怒りではなく、マッサージを受けている時のような恍惚の声だった。
数千年の間、誰も触れられなかった鱗の隙間。そこに届いた歯ブラシの刺激は、彼女にとって未知の快感(癒やし)だったのだ。
十分後。
私は濡れタオルでペーストを拭き取った。
「……嘘」
マザーが自分の腕を見て呟いた。
そこには、鏡のように輝く黄金の鱗があった。
くすみが消え、本来の輝きを取り戻している。
「すごい……。魔法でも落ちなかったのに……。私の肌が、若返ったみたい……!」
マザーはうっとりと自分の腕を撫で回している。
そして、私を見て、今度は穏やかな目で微笑んだ。
「……合格よ」
「え?」
「あんた、いい腕してるじゃない。気に入ったわ。グランの嫁にはもったいないくらいね」
「い、家政婦です」
「どっちでもいいわ。ねえ、今度実家に来ない? 城の掃除、全部任せたいんだけど。日給はグランの小遣いの百倍出すわよ」
「母さん! 引き抜きやめてよ!」
竜王様が慌てて割って入った。
「エルマは俺の……俺の大事な……」
「大事な?」
マザーと私が同時に聞き返す。
「……大事な、管理栄養士だ!」
「肩書き変わってるし」
私は呆れてため息をついた。
でも、マザーは楽しそうに笑って、扇子を開いた。
「まあいいわ。今日はこれくらいにしてあげる。でもグラン、この子を泣かせたら……私が直々に『熱い抱擁』を贈りに来るからね」
そう言い残して、マザーは再び光に包まれ、巨大な竜の姿に戻って空へ帰っていった。
嵐が去ったような静けさが戻る。
「……寿命が縮んだ」
竜王様が床にへたり込んだ。
「ありがとう、エルマ。お前のおかげで助かった」
「お礼なら、洗い物してくださいね。お酢臭いんで」
「へいへい」
文句を言いながらも、竜王様が素直にキッチンへ向かう背中を見て、私は少しだけ笑った。
最強の姑に認められたなら、この城での生活も、もう少しだけ安泰かもしれない。
……日給百倍の話、ちょっとだけ心が揺らいだのは内緒だけど。




