竜王様、その悲鳴は「村の緊急警報」に登録されています
パァァァァン!!
乾いた破裂音が、静かな昼下がりの城に響き渡った。
敵襲ではない。
爆発魔法でもない。
それは、グラン・ドラゴ(竜王様)が無理やり履いた「細身のデニム」のボタンが、物理法則の限界を超えて弾け飛んだ音だった。
「……あ」
竜王様が、自分の腹を見下ろして呆然としている。
その足元には、無惨に飛び散った金属製のボタンが転がっていた。
彼の上半身はいつものヨレヨレのジャージ。
しかし下半身は、数百年前に人間社会で買ったという、ピチピチの黒いデニムパンツだ。
腹の肉が、ベルトの上に無慈悲に乗っかっている。
「エルマ……。これ、違うんだ。縮んだんだ、ズボンが。保管状態が悪くて」
「違います。あなたの腹が膨張したんです」
私は冷酷な事実を突きつけた。
「だいたい、なんで部屋の中でそんな窮屈なズボンを履いてるんですか? いつものジャージズボンはどうしたんです」
「いや……最近ジャージのゴムがキツイ気がして……。まさか太ったわけじゃないよな? と思って、昔の勝負服で確認しようとしたら……このザマだ」
ここ一週間、彼は『賢者の3分・背脂マシマシ味』にハマりすぎていた。
深夜の夜食、おやつ、そして朝食。
運動はゼロ。移動は基本、スライム型バランスボールの上。
太らないわけがない。
「いいですか、竜王様。あなたは今、人生の分岐点に立っています」
「分岐点?」
「『スリムでかっこいい竜王』か、『ただの太ったトカゲ』か、です」
「ぐっ……!」
竜王様が胸を押さえた。図星らしい。
「でもなぁ……運動とか、キャラじゃないし……。明日から本気出す……」
彼が言い訳を重ねようとした、その時だ。
「聞き捨てなりませんね!!」
窓ガラスがガタガタと揺れた。
いつものように、レオノーラが乱入してきたのだ。
今日はなぜか、迷彩柄のトレーニングウェア(どこで売ってるの?)を着ている。
「竜王様! そのたるんだお腹、このレオノーラが見過ごすわけにはいきません!」
「げっ、レオノーラ……帰れ、今日は気分が……」
「問答無用!!」
レオノーラは笛を「ピピーッ!」と吹いた。
「これより、『勇者式・地獄のブートキャンプ』を開催します! 拒否権はありません! 逃げたら即、結婚です!」
「やる! やります! 走ればいいんだろ!」
こうして、城の庭で地獄のトレーニングが始まった。
***
「ワン、ツー! ワン、ツー! 声が小さいです竜王様!」
「うぐ……! 死ぬ……肺が……燃える……!」
庭を走り回る竜王様の姿は、悲惨の一言だった。
動きやすいジャージズボンに履き替えたものの、その動きは鈍い。
レオノーラのメニューは、明らかに人間(というか生物)の限界を超えている。
『城周回マラソン100セット』
『バーベル代わりのゴーレム持ち上げスクワット』
『ドラゴン・ブレスによる腹筋呼吸法』
私は木陰で麦茶を用意しながら、その様子を見守っていた。
正直、ちょっと同情する。
でも、あのボタン弾け飛び事件を見たら、心を鬼にするしかなかった。
「まだまだ! 伝説の勇者は、このメニューを片足でこなしましたよ!」
「あいつら……バカなのか……!?」
竜王様は汗だくだ。
銀髪は肌に張り付き、顔は茹でダコみたいになっている。
でも、不思議と嫌そうじゃない……いや、死ぬほど嫌そうだけど、諦めてはいない。
たぶん、「太ったトカゲ」と言われたのが相当ショックだったんだろう。
そして、事件は起きた。
最後のメニュー、『マッスル・ストレッチ』の最中だ。
レオノーラが、固まりきった竜王様の体を強引に伸ばそうとした瞬間。
「いっ……ぐ……! ぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!!!」
竜王様の口から、絶叫がほとばしった。
それはただの悲鳴ではない。
竜の魔力が乗った、本気の咆哮だった。
空気が震える。
城の窓ガラスがビリビリと共鳴する。
鳥たちが一斉に飛び立つ。
「あ、すっきりした」
竜王様がケロリと言った。
「なんか、背骨の詰まりが取れたわ」
「素晴らしいです竜王様! その調子で……」
レオノーラが褒めようとした時、城の結界チャイムが連打された。
ピンポンピンポンピンポン!
「え? 誰?」
私が玄関に向かうと、そこには顔面蒼白の村長と、警備隊の人たちが立っていた。
「ひ、ひぃぃっ! 生贄の娘っこ! 無事か!?」
「え、はい。元気ですけど」
「さっき、凄まじい『竜の咆哮』が聞こえたんじゃ! あれは間違いなく、殺戮の合図! 村はもうおしまいじゃぁぁ!」
村長が泣き崩れた。
後ろの警備隊も、「遺書は書いたか?」とか言い合っている。
……あ。
さっきの悲鳴か。
私は笑顔で嘘をついた。
「あー、あれですか。あれは、竜王様が……くしゃみをしただけです」
「く、くしゃみ……?」
「はい。ちょっと花粉症気味で。だから村を焼くとか、そういうのではないので安心してください」
「そ、そうか……。竜王様も大変なんじゃのう……」
村人たちは、狐につままれたような顔で帰っていった。
危ないところだった。
筋肉痛の悲鳴で「人類との戦争」が勃発するところだった。
***
その夜。
「腹減った……」
ゲッソリとした顔で、竜王様がテーブルに突っ伏している。
目の前にあるのは、山盛りのキャベツと、ササミのボイル。
レオノーラ監修の『筋肉メシ』だ。
「これを食べれば、筋肉が喜びますよ!」
レオノーラは満足げにプロテインを飲んでいる。
「……エルマ。俺、ラーメン食いたい」
竜王様が、蚊の鳴くような声で私に訴えてくる。
その目には涙が溜まっている。
私はため息をついて、キッチンへ立った。
冷蔵庫から取り出したのは、隠しておいた『賢者の3分・あっさり塩味』。
それを半分だけ、小鉢に移す。
「今日だけですよ。頑張ったご褒美です」
私が小鉢を差し出すと、竜王様の顔がパァッと輝いた。
まるで、世界の秘宝を見つけた冒険者みたいに。
「うめぇ……! 五臓六腑に染み渡る……!」
麺をすする音が、静かな城に響く。
それを見て、レオノーラが「ああっ! ダメです竜王様! 炭水化物は敵です!」と騒いでいるけれど、私は止めなかった。
たまにはいいじゃないか。
少しぽっちゃりしてても、幸せそうに食べる竜王様の方が、平和でいい。
ボタンは……私がゴム紐に変えて縫い直せばいいだけの話だ。
「明日からは、ちゃんと走りますから」
「おう。……あとでマッサージ頼むな」
そんな約束をして、私たちの長い一日は終わった。
遠くの村ではまだ、「竜王のくしゃみ」についての対策会議が開かれているとも知らずに。




