言葉には、できないけれど
「水沢さん、あいつ、もう少し何とかなりませんかね」
木村くんはそう言うと、小さくため息をついた。彼はうちの部署で、今年入った新人の教育係をしている。「なんかめちゃめちゃ暗いし、営業部からも評判悪いんですよ」
「今年の新人はすごく優秀だって聞いたけど、何だかずいぶん大人しいよねえ」
部長からも不満の声が聞かれた。うちの部署に入って来た彼は確かに非常に優秀だ。仕事が早いし、こちらの求めているものを的確に理解してくれる。しかし、今年の新人――守谷くんは、必要なこと以外は話さないし、ほとんど笑わない。教育係の木村くんも、彼にどう接したらいいか困り果てているらしい。
「もう半年以上も経つのに、まともに話したこともないし……何考えてるか、わかんないんですよね」
「確かに彼、ちょっと話しかけづらい雰囲気あるよね」
私は以前、休憩時間にお弁当を広げていた彼に声をかけたことがある。
「守谷くんはすごく優秀だって聞いていたけど、すごい経歴なのね」
履歴書に書かれていた経歴は、驚くものだった。大学もかなりの難関だが、さらに在学中に司法試験に合格しているという。すると、彼はあからさまに不快感をあらわにした。
「そういう話、やめてください」
険しい表情のまま言い放つ。そのあまりの冷たい雰囲気に、返す言葉もなかった。
でも、私の彼に対する印象はあるときちょっと変わった。
彼は、部長から残業を頼まれ、保育園のお迎えに行かなければならず困っていた私のところに来て、自ら書類作成を代わってくれた。いつも金曜日は早く帰っている彼に大丈夫なのかと尋ねたとき、ちょっと恥ずかしそうに「……今日は、会えないって言われたんです」と答えた。毎週金曜日は恋人に会いに行っているという。そんな話をするなんて意外だった。見た目の印象ほど、気難しい人ではないのではないか。
「来週の金曜日の飲み会、あいつにも声かけておきましたから。水沢さんからも念を押しておいてくださいよ」「そうね……でも、就業時間外のことは強制できないしね」
守谷くんは金曜日には大切な予定がある。たぶん飲み会なんて来ないだろう。
翌週の初め、木村くんが少し興奮気味に私のところにやってきた。
「水沢さん、金曜日の飲み会、守谷も来るらしいですよ」
「ほんと? もしかして、強引に誘ったりしてない?」
「そんなことしませんよ。いまの時代、そういうのはNGですからね」
金曜日。部署のメンバー7人でテーブルを囲んだ。それぞれ好きな飲み物を頼んで、乾杯をする。私の隣に座った守谷くんは、ウーロン茶を口にしている。
「守谷くん、今日は予定、大丈夫だったの?」
適度に酔いが回り、まわりのメンバーが盛り上がるなか、小声で尋ねてみた。
すると、彼は伏し目がちに答えた。
「……こういう機会に誘われたら、ちゃんと参加しなきゃダメだって」
「彼女に、そう言われたの?」
「……はい」
お酒を飲んだわけでもないのに、少し顔を赤くしている。
「へえ、守谷。お前、彼女いんの?」
こちらの会話が聞こえたらしく、だいぶ酔っぱらった様子の木村くんが守谷くんの後ろに回って来た。まわりのメンバーも注目している。今年の新人のプライベートに興味津々といった感じだ。守谷くんはますます顔を赤くして、困ったように首を傾げている。
「……はい」
やっと聞き取れるような小さな声で、彼は答えた。
「……へえ、そうなんだ。彼女ってどんな人? 教えてよ」
木村くんは絡むようにそう言った。いくら酔っているとはいえ、さすがにちょっと強引だ。彼も気を悪くするだろう。以前の会話のときの、あの冷たい雰囲気が頭をよぎる。
すると守谷くんは少し表情を緩ませて、遠慮がちに答えた。
「……あの、声がきれいで……とても優しくて……かわいい人です」
一瞬、その場がしんと静まりかえった。メンバーは顔を見合わせる。
気難しそうな今年の新人。その彼から発せられた言葉はあまりにも意外で、誰も反応できなかった。守谷くんはいつもの表情に戻り、何食わぬ顔でウーロン茶を飲んでいる。
「守谷、お前、その……ちゃんと普通に会話できるんだな」
木村くんの言葉に、守谷くんは困ったようにつぶやいた。「やっぱり僕の顔、怖いですか?」「え?」「……怖くて話しかけづらいって、昔からよく言われるんですよね」
木村くんが思わず吹き出し、みんなも一斉に笑顔になった。すると守谷くんも恥ずかしそうに笑った。優しい笑顔。彼のそんな表情は初めて見た。
彼女は高校の先輩で、二つ年上。聞かれるままに嬉しそうに話す。彼はただ人見知りで、自分から話すのが苦手だったのだ。いつしか自然に、話の輪のなかにそっと彼はいた。




