2 コンタクト
いつもお読みいただきありがとうございます!
第二話はリシェル姫と忠臣フランソワーズの視点です。
王女としての立場と、ひとりの少女としての素顔──
二人の掛け合いと秘密の外出が描かれます。
前回とはまた違った視点で物語をお楽しみください。
初夏の風が、王宮の庭園を吹き抜ける。
その風に髪を撫でられながら、リシェル=フォン=オベールは目を細め、微笑んでいた。
「今日は、どちらまで?」
問いかけたのは、忠臣であり幼馴染でもある第一王女直属の親衛隊隊長――フランソワーズ=クレマン。
「市場のほうへ行ってみようと思うの」
「承知いたしました」
フランソワーズは軽く頭を下げ、控えていた部下に耳打ちして指示を出す。そしてリシェルへ振り返ると、穏やかに言った。
「ご準備が整い次第、出立いたしましょう」
「ええ、お願いね」
青空を見上げるリシェルの横顔に、フランソワーズは思わず視線を奪われる。
陽射しに照らされた姫の笑顔は、まるで光そのもののように眩しかった。
* * *
馬車は王宮を出て、城壁の前へ到着していた。
ヴィルサントルには三重の城壁がある。国の最外郭となる大城壁、貴族と市民を隔てる壁、そして王宮を守る最奥の壁。そのうち街と貴族区域を分ける北門の前で、リシェルは唐突に告げた。
「ここからは歩いていくわ」
案の定、フランソワーズの顔が強張る。
「姫様、それは危険です。護衛を減らしたうえに徒歩など……」
「大丈夫よ」
根拠もなく断言する姫に、フランソワーズは嘆息する。
――また、この悪い癖だ。
「それにドレス姿では、一目で姫だと分かってしまいます」
「ちゃんと用意してあるわ」
にやりと笑い、リシェルはフランソワーズに耳打ちする。
「それにね、今日は……フランと私、ふたりだけのデートよ」
その言葉にフランソワーズの耳まで赤く染まった。
リシェルは「勝った」と小声で呟き、足早に城門をくぐっていった。
* * *
――パン屋の朝は早い。
窯に火を入れ、生地を練り、数十種類のパンを焼き上げる。
市場を抜けた先にある《ブラハム堂》は、パンだけでなく軽食やエールも出すため、食堂のような雰囲気を持っていた。
フレイ・ブラハム。三十五歳、元冒険者にして今は街で評判のパン職人。
その隣には、十五歳の少年がいる。
「父さん、今日もうまく焼けたよ」
「お、上出来じゃねぇか」
「オレも成長したでしょ?」
「ふんっ、まだ青二才のくせに」
軽口を叩き合いながら、父と子は厨房を満たすパンの香りの中で笑い合っていた。
* * *
市場を抜け、商業区域へと足を踏み入れたときだった。
「……ねぇ、フラン。いい匂いがするわ!」
鼻をひくひくさせてリシェルが足を止める。
フランソワーズは諦め顔で後を追った。
石畳の先に、香ばしい香りの漂う一軒の店が現れる。
看板には《ブラハム堂》とある。パンとエールの絵が描かれていた。
「ここだわ!」
リシェルは瞳を輝かせ、迷わず扉を開いた。
鐘の音が澄んだ響きを残し、二人を店内へ迎え入れる。
* * *
昼下がり。
食事を終えて片付けをしていたクレージュは、鈴の音に気づいて顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
そう声をかけた瞬間、目が合った。
――金色の髪。空を思わせる碧い瞳。
言葉を失った少年は、思わず見惚れてしまった。
「少年、無礼であるぞ!」
すかさずフランソワーズが叱責する。
クレージュは慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ありません!」
「フラン、やめて」
リシェルが制したことで場は静まり返る。
「このお店の方なのですね?」
「は、はい」
「パン屋……ですよね?」
「そうです。ちょっと食堂っぽいけど」
リシェルは微笑み、パンを選び始めた。
* * *
会計を終え、袋を受け取ったとき。
「私、リシェ……」
一瞬、言葉を飲み込み。
「……リルよ。あなたのお名前は?」
「お、俺は……クレージュです」
「クレージュ。素敵な名前ね。また来るわ」
そう言い残し、リシェルは微笑んで扉を後にした。
残された少年は呆然と立ち尽くし、やがて小さく呟いた。
「リル……」
胸の奥が熱くなる。
気づけば、食べかけの昼食のことなど忘れていた。
ただひとつの願いが、心を占めていた。
――また、会いたい。
それは、やがて大陸の未来へとつながる光の始まりであった。
いかがでしたでしょうか。
王宮の中でのやり取りを通して、リシェルの純粋さやフランソワーズの忠義心を
感じていただけたなら嬉しいです。
次回はいよいよ再び〈ブラハム堂〉へ──
クレージュとリシェル、二人の距離が少しずつ動き出します。
どうぞ次話もよろしくお願いいたします!