第十六話 出立
私は旅支度を終え、護衛の男一人だけを引き連れて、その朝、教会を後にしようとしていた。
「……やはり、行ってしまわれるのですね」
その時、背後から静かな声が響いた。
私はゆっくりと振り返った。
「……ええ、民と約束しましたから。護衛は何人か置いて行きますのでご安心ください。お話しした通り“お礼”の段取りは組んでおきましたので」
「……全く。なぜ、“一緒に来てほしい”と言わないのですか?あなたの旅には、私が必要でしょう?」
(え?)
私は困惑し、彼女の顔を見つめた。いつも通り——ジネットの顔は謎の自信に満ちあふれていた。
(私の旅に、ジネットが一緒に来ると?)
「ラファエル元大司教様が突然農村を巡れば、民はきっと戸惑うでしょう。……私、教会がなくなっても、聖女をやめません。あなたと民を、仲立ちして差し上げます」
(……確かに、一理ある)
“豊穣の聖女”の人気と知名度は、新たな信仰の形を定着させるのに大きな助けになるだろう。
「しかしあなたは、貴族や金持ちと結婚したがっていたでしょう?お礼として縁談も手配していたのに……本当にいいのですか?」
「……私はまだ二十歳です。この美貌と実績があれば、そこまで焦る必要はありません。それに、必ずしも貴族やお金持ちがいいのか……今回のことで、わからなくなりました。各地を回れば素敵な殿方に会えるかもしれませんしね!」
冗談めかしてはいるが……もしかしたら、彼女はようやく、真の意味で聖女になろうとしているのかもしれない。
私は、黙って頷いた。彼女となら、本物の信仰をこの国に根付かせられるかもしれない。自然と、口の端が上がっていることに気がつく。
……けれど。
「まあ、あなたにもチャンスを差し上げてもいいですよ?」
「……チャンス、とは?」
何だか、よくわからないことを言い出した。
「あなたも、大司教でなくなった、ということは結婚できるのでしょう?まあ、年は十も上ですから、私からすればすっかりおじさんですけれど、ラファエルさまなら、“いけなくはない”ですね」
(いやいやいや!……平然と、とんでもないことを言うな)
「……遠慮しておきます。先を急ぎましょう」
私は、護衛に声をかけ、教会を飛び出した。
「ま、待ってください!ラファエルさま!」
慌てて聖女が追いかけてくる。
……静かな旅のはずが、どうやら騒がしくなりそうだ。だが、不思議と、それが嫌ではなかった。
* * *
色んな村で、私たちは静かに迎えられた。かつての“豊穣の聖女”の巡行ほどの派手さはない。だが、聖女の仲介もあり、私たちはそれぞれの村で少しずつ民に溶け込んでいった。
特別ではなく、日常の中に根付く信仰。それが、私の求めていたものだったのかもしれない。存在しなかったはずの神が、村人たちの信仰によって具現化され、誰かを救うきっかけとなる。教会に入ったころには、想像もしなかったことだ。
人を救うのは、神ではなく、結局は人なのだ——だが、神という象徴がいることで、人は希望を持ち得る。私にできることがあるとすれば、それを助けることだけだと思えた。
* * *
ジネットの故郷である、フルリ村にも夏頃に訪れた。彼女の両親は善良で常識的な農民だった。暖かい村人たちに囲まれて、あのおかしな聖女ものびのびと育ったのだろう。
「ラファエルさま、見てください!これが、私が育てていた畑です。今でも“豊穣の聖女”の効果が続いているのか、ここは特に豊作みたいですわ」
彼女は自慢げに村外れの麦畑を案内してくれた。確かに、この畑だけ、異常に麦が実っている。
その時、目の横を掠めたのは茶色い影。林の奥から一人の青年がこちらの様子を伺っているのが見えた。
「……ジネット。彼は知り合いですか?」
「ああ、幼馴染のティボーですよ。あいつ、結婚したと言っていたのに、まだ私のことが好きなのかな?」
(いや、そんな様子ではなさそうだが……。むしろ……)
私は、ある予感を確かめるべく、ティボーを訪ねて行った。彼は、私を見ると戸惑いながらも家に迎え入れてくれた。
小ぢんまりしているが心地よく整えられた木の部屋で、彼の奥方が薬草茶を振る舞ってくれる。
「これは……!とても美味しいですね」
体に染み渡るような優しい味。首や肩のこわばりもほぐれていくようだった。
「うちの人が作ったんです。この人ったら、研究熱心で、何でも自分で器用に作ってしまうので」
その言葉に、ティボーは照れたように笑った。
(やはり……)
「……ジネットの畑が豊作だったのは、あなたが何かしたのではありませんか?」
彼はずっと畑の様子を気にしていた。ジネットではなく、畑をだ。
ティボーは驚いたように私を見た。
「……大丈夫です。あなたが何をしていようと今更“聖女”にケチがついたりはしません。きっかけが何であろうと、彼女は今、貢献してくれていますから」
彼は、真意を確かめるように私を見つめた後、観念したように息を吐いた。
「まいったなあ。今まで誰にも気づかれなかったのに、あなたにはお見通しなんですね」
「……あの時、畑を任されたジネットが失敗したら可哀想だと思って。こっそり畑に、研究していた肥料を撒いたんです。まさか……あそこまであの麦と相性がいいとは思いませんでしたが。その後も、こっそりずっと世話を……」
「あなたは、名乗り出ようとは思わなかったのですか?」
彼は、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「気づいたらジネットが聖女に祭り上げられていて……言えば彼女が恥をかくでしょうから」
彼の奥方は、嬉しそうな顔で彼を見上げた。
「ジネットさまが聖女になってくださったおかげで、私はずっと好きだった人と結婚できたんです。……彼女が村にいる限り、ティボーは、私のことなんて見てくれなかったから」
「……それに、聖女さまのお名前を借りて“豊穣の村の肥料”として近隣に分けました。ちょうど彼女の巡行と重なったこともあり、あっという間に評判になって——お代は研究費と村の共有金に回しています」
二人は幸せそうに微笑みあっている。
(まさか、聖女の奇跡の正体が、愛と肥料とは)
私は、思わず声を出して笑っていた。こんなに笑ったのは、生まれて初めてかもしれない。二人とも、呆気に取られたようにこちらを見ていた。
……この旅が、自分にとってどんな意味を持っていたのかが、ようやく少しだけわかった気がした。
(ジネット、あなた……一番いい男を逃したのでは?)
信仰とは、もっと清く、静かなものだと思っていた。けれど、この奇妙な偶然が、“豊穣の聖女”を創り上げ、ソレイユ神教の運命を変えたとしたら。
——本当に、神はいるのかもしれない。……とびきり、悪戯な神が。
無神論者の私が“聖女”というテーマに真面目に挑んだら、こんな結末になりました。
内面に深く潜るような分かりづらさもあったかもしれませんが、最後までお付き合いくださりありがとうございました。
正直、他作品に比べてもあまり人気はありません(笑)。ただ「信仰とは何か?」という問いに対しての自分なりの答えが示せたことと、この「穏やかな奇跡」については個人的には気に入っています。
もし、同じように気に入ってくださった方がいるなら、感想やレビュー・評価などで教えていただけたら嬉しいです。
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