お泊まりだよ、えっちゃん
「お詫びに夕飯でも奢ろうか」
アリシアからの誘いに、デュークスは首を左右に振った。
「いや、もう済ませた後だから。気持ちだけで十分。宿も決まってるし、そろそろ戻らないと。えっちゃん、行こうか」
エミリッタはこくりと頷いて、デュークスと共に船を降りようとした。
だがアンナがエミリッタの腕を掴み、その足を留まらせた。
「だったら明日! 明日の朝ご飯を一緒に食べましょ!」
アンナの誘いに、エミリッタは笑みで答えた。
デュークスも同じように、にこりと笑って答える。
「ま、そういう事なら遠慮なく」
「何言ってるの? アンナはえっちゃんを誘ってるの。アンタは遠慮しなさいよ」
「なっ、なんで俺には冷たいんだよ!」
アンナは未だ彼の事を許していない。
娘の子供っぽい姿を見て、アリシアは思わず笑った。
「アンナ、意地悪するんじゃないよ」
「むぅ……仕方ないわね。恵んでやるわ」
渋々ではあるが、アンナはエミリッタの腕を離した。
「恵んでやるってのは腹立つが、まぁいいか。じゃあ、また明日」
そう言って、デュークスとエミリッタは海賊船を後にする。
二人は気づいていなかった。その一部始終を、覗き見られていた事に――。
宿に戻ったデュークスは、別室の方が良かっただろうかと後悔する。
ツインベッドではあるが、互いが腕を伸ばせば、おててが繋げる。それくらい近い距離だった。
荷物を置きに来た時もパッとは見たが、そこまで意識していなかった。
「とりあえず風呂だよな。宿のオバさん曰く、露天風呂があるってさ。しかも貸し切り状態だってよ。石鹸とかも置いてあるってさ。あー親切親切」
つい意識し過ぎて、饒舌になっているようだ。
二人は着替えを持って風呂場の前に到着する。並んでいる赤色の扉と青色の扉は、それぞれ男湯と女湯で分かれている事を意味している文字が書かれていた。
二人とも文字を読む事は出来ないが、色を見分ける事は出来る。それも事前に宿屋の女に確認していたため、間違って逆の湯に入るなんてベタな事はしない。
「じゃあえっちゃん、ごゆ、ごゆっくりね!」
青色のドアを開け早歩きで中へ入って行ったデュークスは、下がり眉で手を振るエミリッタの姿を見る事なく扉を閉めた。
風呂から上がったデュークスは、部屋の扉の前で大きく深呼吸をした。
エミリッタと別れてから、二時間以上経ってしまった。流石にエミリッタも、もう風呂から上がっているだろう。
彼は風呂に入っていた間も、塀向こうで音が聞こえる度にドキリとしていた。気持ちを落ち着かせるために、一度外に出て近くにあった湖で泳いだりもした。その後再び風呂につかり過ぎたせいか、指先がふやけている。
だが、そのお陰あってか平常心は保てつつある。
部屋の中に入ってしまえば、完全に二人きりになる。
一族の血のために、幼馴染以上の関係になれるチャンスであった。
「……よし!」
デュークスは覚悟を決めて、部屋の扉を開けた。
部屋の中は冷房の風が行き届いており、少し寒いくらいだった。一応部屋には温度を調整する機械と操作方法の説明書も設置してあったのだが、文字が読めない彼らには何も分からない。
ベッドの上に座っていたエミリッタは、パジャマ代わりに少し大きめなサイズの服を着ていた。膝上まで隠れている紺色Tシャツに、白の短パン姿だ。
デュークスも似たように黒いTシャツと七分丈のズボンを着ているが、圧倒的にエミリッタの方が可愛く見えた。
シャツの裾を掴んでいるエミリッタは、何故か下がり眉だった。
そんな顔を見てしまっては、一族の血どころの話ではない。
デュークスの中で、彼女を心配する気持ちの方が強くなった。
「どしたの、えっちゃん。何かあった?」
エミリッタは首を左右に振ると、デュークスの頭を指さした。デュークスの髪の毛はペタリとしていて、毛先からは今にも雫が垂れそうだった。
乾かさないと風邪引いちゃうよ、そう言いたいのだろう。
「放っておけば乾くってぇー、痛っ」
デコピンをくらったデュークスの額は、ほんのりと赤く染まった。
エミリッタはデュークスの頭にタオルをかぶせ、ゴシゴシと前後に動かす。
デュークスの顔の前に、エミリッタの顔があった。
腕を伸ばせば抱きしめられるし、下手すればキスさえできてしまう。そんな距離感に、彼は非常にドギマギしていた。
「えっちゃんが拭いてくれるの? そんな事されたら俺一生自分で髪乾かさないけど?」
ついふざけてみれば、彼女はぷくりと頬を膨らませた。
エミリッタはタオルから手を離して、デュークスの頬をつねる。
「いふぁい、えっひゃん、いふぁいれふ。ふぉめんふぉめん」
頬を引っ張られているデュークスの顔を見ながら、エミリッタは楽しそうに微笑んだ。
その後手を離してもらえたにも関わらず、デュークスの頬が赤かったのは。つねられたからという理由だけではないのだろう。
水気がタオルに移り、デュークスの頭はすっかり乾いた。
エミリッタも満足したのか、デュークスから離れて隣のベッドで横になっている。
食事も終え、入浴も済ませた。外も暗いし、あとはもう寝るしかない。
冷房の操作方法が未だ分からず、部屋の中は肌寒いまま。デュークスは夏用の薄い布団を片手に、真剣な表情を作り。
意を決して、彼女を同じベッドへ誘う。
「えっちゃん、ここの冷房寒くない? 風邪引いちゃうと困るしさ……俺んとこ来ない?」
そう言われて、一瞬目を見開いたエミリッタだったが……すぐに微笑み。
声は出せないまま、口の形を「お」「や」「す」「み」と変えていく。最後に口と共に目を閉じて、すぐさま眠りについた。
「え、えっちゃん? そんなすぐ寝ちゃうの? せめて枕投げ的なさ、ねぇ?」
幼馴染の二人は、今までも同じ部屋で眠った事だってある。勿論、遊んでいる間に眠ってしまったような、昼寝の時の話だ。
エミリッタはその時と同じように、安らかな顔で眠っている。デュークスの事は本当に何とも思っていないのかもしれない。
彼女の事を好いているデュークスからしてみれば、酷い生殺し状態だった。いっそ夜這いという手もなくはないが、嫌われてもいいやと思う気持ちもない。
どうするべきか考えようと、デュークスは目を瞑る。
だが考えている内に、彼はいびきをかいて寝むってしまった。泳いできたのは無駄ではなかったようだ。
***
デュークスが眠ってから三十分くらい経った後。
目を開けたエミリッタは、ジッとデュークスの寝顔を見つめた。
窓の外から光る月明りが、デュークスの顔を照らす。口の端からよだれを垂らした、なんとも締まりのない顔だった。
体を起こし、ベッドから降りたエミリッタは、隣の――デュークスの眠るベッドに潜りこんだ。