蒼竜になるよ、えっちゃん
その言葉を聞いて、アンナも驚きを隠せずにいる。
「龍竜族って、人間がドラゴンに変身出来るっていう?! どっかの国が全滅させたって自慢してなかった!?」
「いるって事は生き残ってたんだろ。とりあえずお嬢は中にっ!?」
蒼い竜は長い首を動かし、顔の先を海賊たちの体に当てて海へ突き飛ばした。
あまりにも違い過ぎる体格差。竜に向かって短剣を振りかざす海賊もいたが、刺す前に海に落とされていた。
アンナは青い顔をして、絶望を呟く。
「嘘でしょ、こんなの、こんなの聞いてない……!」
バンっ!
ハンスが銃を撃った。
竜の鱗と鱗の間に、小さな穴があいた。そこから少量の赤い血が飛び出す。
竜は痛みを感じたのか一瞬だけ目を瞑ったが、すぐさま首を動かし。頭突きをしてハンスを海へ落とした。
他の船員たちも同じように、ぼちゃん、ぼちゃんと次々に海の中へ放り投げられていく。
平然としているのはエミリッタだけで、最後に残ったアンナは船の上で一人怯える。屈強な男達があっという間に突き飛ばされたのだ、少女一人がどうにか出来る訳がなかった。
蒼い竜は海の中へ潜る。
逃げたのかもしれない。そう油断出来たのも一瞬だった。
ドンっ!
船の底から音が響いた。どう考えても竜が船に向かって体当たりしている音としか考えられなかった。
ドンっ、ドンっ、ドン、ドン!
船がかなり大きく揺れる。アンナは顔を青くしていた。巨大な船を揺らすような力を持つ竜だ。いつ転覆してもおかしくない。アンナも辛うじて泳ぐ事は出来るが、海の中で竜に襲われて助かる可能性が、そう高いとは思えなかった。
ざばぁっ。
蒼竜が顔を出し、水が噴水のように落ちていく。船の中にも水が入り込んで、魚がぺちぺちと甲板の上で跳ねる。
竜の鋭い眼光を見て動けなくなったアンナは、船の淵に掴まって敗北を認めた。
「ご……ごめんなさぁああい!」
アンナは泣き声を上げるも、蒼竜は聞く耳を持たない。アンナの身長と変わらないくらい大きな口をあける。
確実に一口で食われる。そう思ったアンナは、ギュッと目を瞑った。
そんなアンナの前に、一人の少女が立った。いつまでも食われない事に疑問を抱いたアンナは目を開き、彼女の背に目を向ける。
蒼竜もジッと、アンナの前に立った少女を見つめた。
「えっちゃん……」
竜はデュークスの声で、アンナの前に立つエミリッタの事を呼ぶ。竜が喋った事に驚いたアンナだったが、それを声に出す事は出来なかった。
アンナを守るようにして立つエミリッタは、両手を横に広げた。勇ましさはない。ててーん。そんな擬音が聞こえてきそうな見た目だった。
蒼竜は口を閉じて、エミリッタに向けて鼻息をかけた。ふわりと白髪の毛先が浮き上がるも、エミリッタはよろける事なく。アンナの前からも退かない。
エミリッタは目線だけで「もういいよ」と訴える。蒼竜も退かない。互いに動かないまま、十秒は見つめ合った。
蒼竜はため息を吐いて、体を引いた。
すると突然光りが輝き、消えたと同時に人の形したデュークスが甲板の上に降り立った。髪の毛が水で湿って、先端が少しだけ下を向いている。
「もう、甘いなぁ。えっちゃんは」
エミリッタは優しく笑うと、短パンのポケットから布に包まれた何かを取り出し、アンナに差し出す。
アンナは涙目のまま布を広げた。黄色い石を星の形にしたネックレスだ。大粒の石ではないが、アンナによく似合いそうだった。
「……くれるの?」
頷くエミリッタは、アンナの頭を撫でた。デュークスは頭の後ろで腕を組んで、エミリッタの通訳になる。
「怖かったね、ごめんね。だって」
エミリッタの優しさに心打たれたアンナは、ぶわっと涙を流す。
「うわーん、ありがとぉおおおっ、意地悪言ってごめんね? もう言わないから。えっちゃんだっけ? 決めたわ、アンタは今日からアンナの親友!」
アンナはエミリッタの体に抱きつく。俺だって抱きついた事ないのに、とデュークスは二人を引っぺがした。
「ちょっと! えっちゃんに引っ付かないでくれる!?」
「何よ、アンタの許可なんて必要ないでしょ! 人の事散々脅かしてっ!」
「先に仕掛けて来たのはそっちだろ!」
デュークスとアンナは言い争う。エミリッタは困った顔をしながら二人を宥めた。その時だ。
「アンナーーっ!」
髪を一つに結んだ女が、船の中に入り込んできて叫んだ。アンナに似た顔立ちではあるが、アンナ以上に豊かな胸を持ち、勇ましさが溢れている。
彼女の背後には蒼龍が海へ落とした者達が上がって来ており、皆びしょ濡れになっていた。
アンナは顔を引きつらせて、デュークス達から離れた。
「まっ、ママ!?」
女はアンナから帽子を取り上げ、自身の頭にかぶる。アンナとは違い、丁度いいサイズ。とてもよく似合っていた。
「アンタって子は、またアタシの帽子かぶって遊んで!」
そう言って女はアンナの体を掴み、思いっきり彼女の尻を叩いた。
「痛っ、やっ、やろうども! ママを止めなさい、止めて!」
痛みを感じたアンナが泣いても、誰も止めない。船員達はアンナ達の目の前に座り、彼女を慰めた。ハンスだけは叩かれ胸揺れる光景をジッと見ている。
「流石に団長を止める事は出来ないっす」
「許してお嬢、後でお菓子あげるから」
「たゆんたゆんじゃん」
アンナの尻は十分以上叩かれ。流石のデュークスも哀れに思い、アンナを叩いている女を宥める。
「あの、もう反省してるっぽいしさ。そろそろ止めてあげて」
デュークスに顔を向けた女は、ようやく手を止めた。アンナは余程痛かったのか、両手で尻を抑えている。
女は「ったく、油断も隙も無いよ」と言ってため息を吐くと、デュークスとエミリッタを交互に見た。
「ところでーーアンタら、龍竜族?」
長い机椅子が置かれた船室。デュークスとエミリッタは真ん中の席に座らせられた。
船員達に全てをチクられたアンナは、船室の端で正座させられている。
「事情は分かった。うちのバカが悪かったね。もう手は出させないから」
アンナの母親、アリシアはデュークス達の正面に座り、頭を下げた。
「まぁ、えっちゃんも気にしてないみたいだから。いいよいいよ」
デュークスの答えを聞いて、アリシアはアンナに顔を向ける。
「だってさアンナ、感謝しな。ただし、反省もするんだよ。いくらアタシら海賊って言っても、理由もなく相手を傷つけちゃあダメだ。誇りは持ちな」
「ありがとーーえっちゃーーん!」
エミリッタの隣に移動したアンナは、満面の笑みで彼女に抱きつく。アンナの胸元では、星のネックレスが光っていた。
デュークスは再び、エミリッタからアンナを引き離そうとしている。完全な嫉妬である。
「お、おい! えっちゃん困ってるだろっ」
「は? 何でアンタに言われなきゃなんないの?」
それぞれがエミリッタの両腕を掴んでいる。争いに巻き込まれたエミリッタは、とても悲しそうな顔をしていた。
アリシアはフッと笑う。
「アンナ、離れてあげな。この世には恋人に自分以外の奴が引っ付いてるのが嫌な奴もいるんだよ」
母親に反抗すればふたたび尻を叩かれるかもしれないと、アンナはエミリッタから離れた。
「心の小さい男!」
だが反省はしていないようだ。アンナは舌をべっと出した。
心が小さいと言われたデュークスだが、何故か上機嫌になった。顔の表情が緩みきっている。
「まだ恋人じゃあないんだけどさ! まぁそう見えちゃうのか、まいったね!」
「何だ、違うのか。じゃあアンナが抱きついてても問題ないね」
アリシアからの許可を得たアンナは、再びエミリッタに抱きつく。
そう言われてしまっては、デュークスが離れさせる事も出来ずに。アンナを引きはがしたい気持ちを、グッと堪えた。