黒龍だよ、えっちゃん
手首はシャードの石を持ったまま、平地の上を移動する。建物の曲がり角まで来たところで立ち止まり、石は少女に渡された。
黒い髪に黒いフードをかぶった、赤い目の少女。よく見ればフードの下は、エミリッタ達と同じ服を着ている。
少女は手首に向かって、弱々しい声を出す。
「これが欲しかったの? べべべ別に普通の石に見えるけど……」
「おい!」
「ぴぇっ!」
デュークスが声をかけると、少女は大きく肩を揺らし。ひどく怯えた様子でデュークスを見る。
「お前か、うちの里の墓を荒らしたのは。その石をどうする気だ! 返せ!」
「返せって言うかぁ……こっちのものらしくてぇ……」
「そんな訳ないだろ。だってその石は、死んだ兄の石なんだから!」
「そうは言ってもぉ……」
「とにかく、返してもらう!」
デュークスは手首から石を取り上げた。
「あ」
少女が声を漏らしたと同時に。
手首から下、腕、肩、耳、頭と、人の形をした何かが土の中から這い出て来る。
その何かは、体を大きく揺らしながら全身を外へ出す。
デュークスはその正体を知っていた。信じたくない気持ちが、首を左右に振らせた。
「シャード……兄……?」
目の前に立っているのは、死んだはずの兄だった。ただ皮膚の一部は赤紫に変色しており、腐敗した臭いもする。目は虚ろで、動きにも人間らしさがない。
マナの時のように、生きていたのか。一瞬だけ期待したが、そんなはずはなかった。シャードの死体は自分で埋めたのだから。
デュークスはすぐさま少女に目を向ける。
「シャード兄に何をした!?」
少女はデュークスと目を合わさず、怯えた様子を見せた。
「ちょっと呪文を唱えただけって言うかぁ……そのぉ……」
「何が目的だ、墓を荒らしたのも理由があるのか!」
「それは……探してたって言うかぁ……」
「探してた? 一体何を」
口ごもる少女に、ロンが痺れを切らした。
「何だって良いでしょ。とりあえず石を渡しな!」
ロンはそう言いながら、少女に向かってペンを投げつける。
取り上げられてしまったナイフの代替品は、殺傷能力こそないが少女を脅すには十分の力を持っていた。
「ひょえっ!」
ペンの先が彼女の腕に当たり、少女は石を落とした。
転がり落ちた石を、デュークスが拾う。
石を取り返したと安堵したのも一瞬。
兄は突然、デュークスに襲いかかってきた。
「やめろシャード兄、やめろって!」
シャードは牙を向け、デュークスに噛みつこうとする。
デュークスも石を持ったまま兄の頭を掴み、必死に抵抗する。
どうしてこんな事に。どうして兄に攻撃されなければならないのか。
そんな苦しみが、デュークスの力を半減させた。そのせいか。
バランスを崩したデュークスは、シャードの石を落としてしまう。
宙に浮いた石が、地面に落ちる前に。
シャードは石に飛びついて――齧りついた。
目の前が光に包まれ、デュークス達は一斉に目を瞑る。
再び目を開けた時、突如現れたのは。
体の腐敗した、黒龍だった。
先ほどよりも強い悪臭が、周囲を襲う。
それだけでなく、龍は建物に体をぶつけ。窓ガラスを割り、壁に変色した血をなすりつける。
黒龍に変身したシャードは、意味もなく暴れ飛び回る。
「シャードお兄ちゃん! 止めて!」
『変身を解け、さもなくば容赦しない!』
グラスがマナを背に乗せたまま、シャードの前に飛び出してくる。
黒龍は牙を剝きだして、グラスの腕に噛みついた。
『ぐっ、離せ!』
腕に食い込んだ牙を振りほどこうと、グラスは激しく動く。その衝撃で、マナが背から落ちた。
「きゃあっ!」
「マナっ!」
間一髪。デュークスはマナが地面に落ちる前に受け止めた。
黒龍はこちらの事など一切気にしていない様子で、グラスの腕から血を流させた。
デュークスは信じられなかった。
自分の知る兄は、意味もなく暴れたりはしない。
お調子者ではあったが、善悪の区別はつく、頼りになる兄だった。
そんな兄が自分の意思で暴れるはずがない。
マナをその場に座らせたデュークスは、少女の前に立ち。表情を歪めた。
「おい、シャード兄に何したんだよ。お前は、一体……!?」
「別に何をするって訳でもないんですけどぉ、名乗れって言われたら……クラル・リムリム……ネクロマンサーですぅ……」
シャードがグラスから牙を離した。
へらっと笑った少女、クラルの周りを、黒龍がグルグルと回る。
ロンが眉間にシワを寄せながら、マナの前に立つ。どうやら、龍達の戦いから彼女を庇ってくれているらしい。
「デュークスくん、なんとかしてよ。多分この学園であんな龍を何とか出来るの、君くらいでしょ」
「ロン……分かった。マナの事、頼んだぞ」
デュークスは赤い石を噛み、赤い竜へ姿を変える。
グラスの前に立ったデュークスは、口を大きく開けて。
兄に向けて、炎を吹いた。
黒龍はクラルから離れ、長い体をグルグルと動かす。その勢いによって、強い竜巻が引き起こる。
デュークスの炎は風の威力で、すぐに消されてしまった。
「これでダメなら……!」
一度人型に戻ったデュークスは、赤と青の石を同時に噛んだ。
続けて紫龍になり、黒龍に飛びかかった。
飛びながら体と体を絡ませ合い、ぶつけ合う。
爪を刺せば、血をまき散らし。
牙を刺せば、腐った卵のような酷い味が口の中に広がる。
月夜を背後に、二匹の龍が互いを傷つけた。
シャードはデュークスの首に巻き付き、締め上げる。
このままでは息が出来ない。そう思ったデュークスは、変身を解いた。
人型の小ささになったおかげで出来た隙間から脱出し、地面に降りる。
「赤竜でも紫龍でも止められないなんて……!」
だからと言って、このままにしておくわけにもいかず。
残る可能性を考えた。
自分の持つ石の中で、どれなら兄を止められるのか。
ふと、別の石の存在を思い出した。
「あの石、使ってみるか。もしかしたら、かなり強い力を発揮できるかも」
デュークスはその場から走り去り、自身の部屋へ窓から入る。
部屋の中ではシリウスが不安そうな顔を見せていた。
「窓から行くなんてお行儀が悪いですよ。外が騒がしいようですが、何かありましたか?」
「緊急事態。他の人にも、外には出ないように言って。あと、この間削った石ってどこやったっけ」
「石ならそこの棚の中に」
シリウスが指さした棚を開けて、小さく輝く石を取り出す。
デュークスは石を握り締めて、再び窓から外へ出た。
「デュークスさん?!」
驚くシリウスに心の中で謝り、デュークスはすぐにシャードのいる場所へ戻る。
黒龍はクラルの体に巻き付き、大人しくしていた。締め上げている様子はなく、どちらかと言えばハグに見える。まるでクラルの言う事は聞いているようだった。
「良い子良い子。大きくなって良かったねぇ、でも大人しくしてよぉ……」
クラルもシャードも、何を考えているか分からない。
また暴れられる前に、手を打たなければ。
デュークスは自身が磨いた、新しい石を噛んだ――次の瞬間。
急激に頭が痛くなった。まるで殴られたかのような衝撃が、何度も何度も襲い掛かって来る。
突然の吐き気も催して、デュークスは両手で口元を覆う。
「どしたの?」
ロンがデュークスの顔を覗き込む。額に大量の汗をかいているデュークスは、顔色を青くさせていた。
手の隙間から、血が流れだす。
「ちょっと!?」
驚いたロンの声を聞いてすぐ、デュークスの意識が遠のいた。




