手首だよ、えっちゃん
その場に残ったデュークスに、フェルロットが声をかけた。
「ハンスお兄様のご友人というのは気になりますが、エミリッタさんと恋仲というのも聞いておりますし。ここは協力して差し上げます」
「ありがと。ちなみに、えっちゃんも文字読めないと思うんだけど」
「問題ありません。今、子供用の教材で教え込んでいるところです」
「なら大丈夫か。俺も頑張る」
「他に伝言は? 一言だけなら伝えて差し上げます」
「一言か……じゃ、愛してるって伝えといて」
フェルロットは真顔になった後、恥ずかしそうな顔を見せた。
「ならば……シリウス様にも、同じお言葉を伝えておいていただけますか?」
「分かった。じゃあよろしく」
早くここから出るために、デュークスはすぐに自分達の部屋まで戻った。
部屋ではシリウスがロンと一緒に、課題を解いていた。
「愚兄は行きましたか」
「うん。あとフェルロットもいたんだけど」
シリウスは顔を青くさせて、デュークスに詰め寄った。
「まさかフェルロットが愚兄と共に出ていったという事で!?」
「いや? アンナ……ハンスの仲間を連れて来ただけっぽいね。二人ともハンスの協力者なんだろ?」
「あぁ、そういう……その、協力者かどうかはお答え出来ません」
ハンスの偽装工作に関わっているとバレたら困るからなのか、シリウスは知らないふりをしているらしい。
デュークスもそれ以上ハンスの事は言わなかった。
「そうだ、フェルロットから伝言を頼まれたんだけど」
「……彼女から?」
「うん。愛してるって」
シリウスが嬉しそうな顔をしたのは一瞬、すぐに不機嫌そうな顔になった。
「貴方が彼女の口からそのように聞いたと思うと、大変不快です」
「いや聞いてないよ。俺がえっちゃん……恋人にそう伝えるように頼んだら、シリウス様に同じお言葉をって」
「そうですか……」
彼女の伝言を素直に受け取ったシリウスは、嬉しそうにしている。
「フェルロットの事、好きなんだな」
「まぁ、婚約者ですので。そうでなくとも、愚兄の婚約者である時から、ずっと」
もしやハンスは、その事に気づいていたのでは?
と思ったデュークスだが、言うのも野暮だなと黙っておいた。
「俺にも、えっちゃんっていうかわいい子がいてね。婚約者と言っても過言ではない」
石は噛んだし、いずれはするしね! 嫁にね!
と、デュークスは浮かれまくっている。
シリウスは表情を歪めた。何か思うところがあったらしい。
「えっちゃん……兄がヒンさんと呼んでいた方は?」
「あぁ。ハンスだけそうやって呼んでるんだよ。品格のヒンだって。納得できる」
「……あの、失礼ですがヒンさんという方は胸の小さい方なのでは?」
「本当に失礼だな。確かにえっちゃんの胸は小さいが、それ以上に良いところがいっぱいある」
「いえ、そうではなく。愚兄が女性に対して品格があると言うとは思えないので……おそらく、貧相だと言いたかったのではないかと」
「貧……貧!?」
勉強の出来ないデュークスも、貧相の意味は分かる。思い返してみればハンス自身は品格の品だとは言ってなかった。とはいえ、流石に許せなかった。
「絶対ここを出て一発殴る」
「止めません。という訳で」
シリウスはデュークスに、紙の束を渡した。
見ればハンスが解き終えた課題の山だった。遠まわしに、丸写しにしろと言っている。
椅子に座ったデュークスは、まだ未記入の紙に手を付けた。
「シリウスも手伝ってくれてもいいよ」
「自分にも課題がありますので」
そこまでは協力してくれないのか、と残念に思いながらも。
きっとシリウスだって、フェルロットと一緒に出て行きたいのだろうなと察して。
「分かった。自分でやる」
「よい心がけです」
デュークスはエミリッタのため、ひたすら丸写しをし始めた。
文字の意味は分からない。ただハンスが書いた文字と、同じような形を書いていく。
「デュークスくん、仲良くしようか」
ロンはそう言いながら、隣に座り。ハンスの課題を写し始めた。
「現金な奴だな。まぁいいけど、ここ出てからも仲良くしない? 殺しにかかってくるのもやめてね?」
「それとこれとは、べ・つ」
ウインクでかわいこぶるロンを見て、デュークスは思わず吹き出した。
「マフィアでも、やる事は俺と変わらないのかよ」
「いいから早く出ようよ。じゃないと殺せない」
「お前、本当に俺達殺す気ある? 本当に殺す気なら、ここで殺すんじゃない?」
「おれがお前らを殺そうとしてるのは、あくまで親から言われてるからだもん。おれらはお前らを恨んでいる訳でも、娯楽で殺したい訳でもない。だからここでは殺さないよ。殺すなら、殺したら褒められる場所でないと」
「生きづらい家族だな」
「まーね。逆らったら命はないけど、逆らわなければ寝床も食料も確実。だったら後者でしょ」
「そこは同意できないけど、ここから出たいのは俺も同じだから。その間は優しくしてあげてもいいよ」
「まぁ優しい」
デュークスとロンは顔を見合わせて、ニヤリと笑う。生きる環境さえ違ったら、二人は普通に仲良く出来たのかもしれない。
シリウスが手を叩いて、大きな音を出した。
「物騒な話は聞かなかった事にしますので、早く課題を行って下さい」
二人は課題に戻り、懸命に書き写していく。
課題を書き写して、丸一日経った。外では三日月が笑っている。
「手も疲れたし目も痛くなってきた……」
デュークスが書き写し終えた課題を、シリウスが回収する。
「少し休憩されては?」
「うーん。でもえっちゃんのために早く終わらせたいし……」
ドゴンっ!
何かが大きく、へこむ音が聞こえた。
「何の音……?」
音が聞こえて来たのは、外の方からだ。デュークスは窓に目を向ける。外には何人か人がいる。
「大変だっ、門が壊されたっ!」
外にいた者達の、慌てる声が聞こえて来た。
デュークスはシリウスと顔を合わせた。
「門って、あの入口のだよな? かなりデカい門だったのに、壊されたって一体……」
「分かりませんが、我々に出来る事はないかと。ここは大人しく学園側の対応を待ちましょう」
シリウスは興味がなさそうに、課題を持って外へ出て行った。
ロンもどうでもいいのか、次の課題を書き写し始めている。
デュークスだけが破壊された門に興味を抱いていたが、エミリッタに会いたいがために課題の書き写しに戻る事にした。しかし。
「待って! 返して!」
聞き覚えのある声が聞こえて来た。
そんなはずない。そう思いながらも、窓の外に目を向ける。
見覚えのあるドラゴンが目の前を飛んでいた。
その背中には、妹が乗っている。
「マナ?! グラスも、何でここに!」
「デュークスお兄ちゃん! 会えて良かった、助けて! 盗られたの! シャードお兄ちゃんの石!」
驚いたデュークスは、マナの手首を見た。
ブレスレットにされていた石は、確かに無くなっていた。
「盗られたって、誰に!」
「分かんない。お花に水をあげようと思って、外に出たら、地面から……地面から人の手が出て来て!」
「地面からぁ?」
「本当なの! その手がブレスレットを引きちぎって、凄いスピードで逃げて行ったから。グラスさんにお願いして、追いかけてきたの! そうしたら……」
マナは地面を指さす。
よく見れば、地面からは人の手首だけが生えている。
手首はシャードの石を握り締めたまま、踊るように動く。その跡はまるで、モグラが通った跡のように見えた。
「何だあの手首……というかあの跡、墓荒らしの!?」
「そうなの! だから絶対捕まえなきゃ。シャードお兄ちゃんの石だけでも、取り返さなきゃ!」
ロンがデュークスの隣に立ち、困った表情をマナに見せた。
「ちょっとお嬢さん。人の預けた石、盗られないでくれる?」
「ま、マフィアの人!」
「あれが盗られたまんまじゃ、外出た時にマズいね。デュークスくん、とりあえず取り戻しに行こうか」
ロンは窓から外へ飛び出す。
「言われなくても!」
デュークスも窓から飛び出て、地面から生える手首の前に立った。




