パン祭りだよ、えっちゃん
パンは踏まれた事によって、ぐにょりと形を変えた。柔らかい生地に、黒い足跡が刻み込まれる。
「なっ……!」
非道な行動を見て、ハックは悔しそうな表情を浮かべた。
「何でそんな事するの!?」
声を上げたのは、ハックと同じように悔しそうな顔を見せるマナだった。
男達はマナをバカにするように笑っている。
「何だ? まるで食べ物を粗末にしたみたいな顔して。こんなの元々、食べ物なんて言えないだろ」
「ははっ、違いねぇ」
怒りの表情を露わにしたマナは、胸元を掴んだ。今まではそこに、彼女の龍竜族の石があったのだろう。
変身出来ないのであれば、せめて叩いてやりたい。そう思ったのだろう。
マナは手を振りかざした。
しかし、そんな彼女の手首をハックが掴んだ。
「マナ殿。お気持ちは嬉しいが、そこまでしなくていい」
「どうしてハックさん、何で止めるの!?」
「貴方の美しい手を汚したくないからだ!」
汚したくないというのは、男達に触れてほしくないという事だろう。
しかしマナは、表情を歪めた。きっと、貴族に触れられていた時の事を思い出してしまったのだろう。
「そんなの気にしないでよ、私はもう……汚れてるもん。私、ハックさんが思ってるほど美しくないもん!」
マナの目尻には涙が浮かんでいる。
ハックも彼女が貴族の嫁であった事は知っている。きっと何かを察したのだろう。
彼女の手首を離し、手のひらを握って。向き合う形に体を動かし、マナの顔を見つめた。
「そんな事はない! 仮に汚れてしまっていたとしても、我にとってマナ殿は美しい。過去の事はどうも出来ないが、未来の事ならどうにか出来る。我はこれから先、マナ殿を不必要に汚れさせるような事はしたくない!」
マナの頬を、涙が伝った。
ハックの気持ちが嬉しくて、まるで氷が解けたような気持ちを抱いていた。
その様子を見ていた男達は、面白くなさそうな顔をしている。
「何イチャついてんだ、化け物が」
「そんな事より、早くこの場所を受け渡せ!」
デュークスは騒ぐ男達の事を気にせず、ハックの肩をポンと叩いた。
「ありがとなハック。でも俺的には、マナの怒る気持ちもよく分かるんだ。って訳で」
デュークスは石を噛んで、赤い竜へと変身する。
男達は突然目の前に現れた竜を見て、悲鳴を上げた。
「謝れ。じゃなきゃお前らも踏み潰す」
「すみませんでしたーっ!」
デュークスの怒りが込められた声を聞いて、男達は血相を変えて去っていく。どうやら口先だけの奴らだったようだ。
ハックはマナの手をゆっくり離すと、デュークスに頭を下げた。
「デュークス殿、感謝する」
どうやらハックも自分の作ったパンを粗末にされて、怒る気持ちがなかった訳ではないらしい。
「いいよ。俺がムカついただけだから」
ケラケラと笑う彼の元に、エミリッタが近づいてきた。一生懸命背伸びをして、デュークスの頭を撫でようとする。だが普通に撫でるには身長が足りず。その分デュークスがかがんで、頭を撫でさせた。
「えっちゃんもアイツらに怒ってたの? 褒めてくれるんだ、ありがとね」
エミリッタは頷きながら、デュークスの頭をさらに撫でた。
マナもハックから目線を逸らして、デュークスに顔を向ける。
「私からも。ありがと、お兄ちゃん。でも、紫竜じゃないんだ?」
「かっこよすぎて脅しにならない」
どうやらデュークスは紫竜を相当気に入ったようだ。
ハックは地面に落ちたパンを拾い上げた。踏まれてボロボロになったパンは、とても食べられそうにない。
「このパン……流石に廃棄するしかないな」
「あぁ、じゃあ食べちゃうね」
「えっ」
デュークスは竜の首を伸ばして、ハックの手の上に乗っていたパンを食べた。
「うまい。けど、ちょっと足りない」
「でゅっ、デュークス殿! 流石に落ちたパンを食べるのはいかがなものかと!」
「そう……? 確かに人の姿の時は食べないけど、今は竜の体だし。人を食べるより健全だと思ってるんだけど」
「それはそうかもしれないが、我はもっとうまいパンを食してほしい!」
「うまいパンはうまいパンで食べたいよ」
おどける様子のデュークスを見て、マナが笑った。
「ふふっ、あははは! やだもぅ、お兄ちゃんったら」
その笑顔を見たハックは、一気に顔を赤くさせる。やはりハックは、彼女の事を美しいと思っているらしい。
デュークスは人型に戻って、わざとハックの肩を小突く。
「どうしたハック。風邪か?」
「いっ、否! それより、デュークス殿にもっとうまいパンを食べさせなければ! そうだ、パンを、パンを作ろう!」
照れた様子のハックは、自身の顔を隠すように背を向ける。
「デュークス殿、ワシからも感謝する」
「いいって。ハックのパンがうまいから動いただけだよ」
叔父はニコリと笑うと、ハックに顔を向けた。
「ハック。そのパン、皆にも食べさせてやれ」
「皆にも……?」
照れていたハックも、叔父の落ち着いた声を聞いて冷静さを取り戻したようだ。
ハックは新しいパンを焼き、家の裏へと運んだ。
デュークス達も後をついて、一緒にパンを運ぶ。
開けた場所に、いくつかの石が重ねられている。きっとここが朧族の墓なのだろう。
デュークス達は温かいパンを、その石の前に並べた。勿論、捨てている訳ではなく。供えているだけだ。
「食す姿を目の前で見られないのは残念であるが……皆、温かいうちに食してほしい」
ハックはそう言いながら、石に手を合わせた。
その姿を見たマナは、悲しそうな顔をして呟いた。
「私もちゃんと、会いに行かなきゃね」
龍竜族の里も同じようになっているのだろうと、覚悟を決めたらしい。手を離したハックの隣に立って、小さく笑った。
「ハックさん。一緒にパン屋さんやりたいとは思うけど。まずは色々やらなくちゃいけない事もあるの。待っててくれますか?」
ハックは目を見開いて、大きく頷いた。
「無論! マナ殿の気持ちを最優先に考えよう!」
デュークスとエミリッタは、互いを見つめ。ハックとマナがうまくいきそうな事を嬉しく思い、笑いあった。
「それじゃあ一旦、俺達の里に帰ろう」
エミリッタもマナも、デュークスの言葉に大きく頷いた。
ハックは家の方を指さす。
「その前にパンを食していくといい。土産にもパンを持って行くとよい」
「いいね、パン祭りだ」
周囲に小麦の香りが広がって。
デュークス達は朧族の里で、楽しい時を過ごした。




