甘酸っぱいよ、えっちゃん
翌朝、目を覚ましたデュークスは反省していた。
彼女とキスをしたいと思い始めて、なかなか寝付けなくて。
真夜中に何故か照れていた彼女を見ている間も、おやすみと言う直前も。
デュークスは常に、キスをしたいと考えていた。謎におやすみと二回言ってしまったのは、そういう事である。
隣にはエミリッタの姿もマナの姿もない。
どこに行ったんだろう、と思った時。
マナがひょっこりと顔を出した。朝になってすぐ着替えたのか、既に自分の服を着ていた。
「あっ、おはようお兄ちゃん。やっと起きたー?」
「マナ……おはよ。えっちゃんは?」
「とっくに起きて、あっちでジャム作ってくれてるよ。ハックさん、パンが焼けるの。私も作り方教わっちゃった」
「そうか……ハック、良い奴だよな」
「うん。良いと言うか、凄いよね」
デュークスはあくまで「異性として」と言いたかったのだが、マナは「食べる事が好きな兄は、パンが作れるだけでハックを良い奴と言っている」と受け取ったらしい。
早速起き上がったデュークスは、マナと一緒に毛布を畳む。
ハックの奴、早速距離を近づけようとしているな。毛布を片付けながら、デュークスはそう思った。
彼の頑張りに、デュークスは思わず口元を緩ませる。
昨夜夕飯を食べた部屋へ行くと、エミリッタがデュークスに顔を向けた。彼女は「おはよう」と口を動かして、パクパクと挨拶をする。
ハックの頑張りに影響されて、俺も頑張らないと。なんて思っていたデュークス。
「お、おはよう。えっちゃん……」
挨拶はしたものの、ここからどうやってキスに持って行けばいいのか分からなかった。
少なくとも、マナやハックがいる今は違うかもしれない。
もっと二人きりになって、月夜が綺麗な。言わばロマンティックな状況下でなければ。
そこまで考えて、しばらくの間は無理なのでは? とデュークスは軽くショックを受けていた。
「どしたのお兄ちゃん。えっちゃんも不思議そうにしてるよ」
マナもエミリッタも、デュークスの顔をジッと見ていた。
「いや、その。パンが焼けるハックは凄いなって思ってた!」
「うん? そうだね」
誤魔化したデュークスだったが、マナはまた言ってるのかと思っていた。
だがハックは、デュークスが自分の良さをマナにアピールしてくれているのだと思い、勝手に感動している。
「お褒めの言葉、感謝する。さぁ、ぜひとも味わっていただきたい。久々に作ったものだが、自信はある」
「ありがと。えっちゃんも、ジャム作ってくれたんだって?」
デュークスが問うと、エミリッタは得意げな顔をして。お椀を両手で持ち、中に入ったジャムを見せてきた。赤い木の実で作った、甘そうなジャムだった。
「いいね、それもうまそうだ。じゃあいただくとしようか。叔父さんは?」
「昨晩は話に夢中になってしまってな。今日はゆっくりしたいらしい」
ハックは少し申し訳なさそうに言った。
叔父はそう言っておいて、ハックとマナに気を使っているだけなのかもしれない。とも思ったデュークスは、ひとまず机の前に座った。
エミリッタが作ったジャムを机の中心に置き、その周りにハックが焼いたパンを置いて行く。四人は机を囲むようにして座った。
デュークスは当然のようにエミリッタの隣に座った。
エミリッタはマナを手招きし、自分の反対隣りに座るよう誘った。マナは喜んでエミリッタの隣に座る。
そうなると必然的に、ハックはマナとデュークスの間に座る事になる。
「し、失礼」
全てはエミリッタの計算通りであった。
心の中でエミリッタを褒めたデュークスは、胸の前で両手を合わせた。
「いただきまーす」
マナとエミリッタも同じように両手を合わせ、挨拶をした後。それぞれパンを口にする。
デュークスはまず、そのままのパンの味を楽しんだ。
丸い形をしたパンを噛んだ瞬間、小麦の香りが広がった。もちもちとした食感を楽しんでいると、段々と甘味が感じられるようになってくる。
「凄いよハック、うまいじゃん!」
「それは良かった」
デュークスの隣で、エミリッタがソワソワし始めた。
ハックが褒められたなら、次は私の番。そう言いたそうにしていた。
彼女のリクエストに気づいたデュークスは、そんな彼女を可愛いと思いながら。
スプーンを使って、パンに少量のジャムを乗せた。そして思いっきり齧り付く。
甘酸っぱいジャムは、パンの甘味を引き立てて。相性はかなり良かった。たまに木の実のゴロっとした食感が残っているのも楽しかった。
「えっちゃんのジャムもうまいね……!」
褒められて嬉しかったようで、エミリッタはかなりニコニコしていた。
逆にデュークスは動揺し始めていた。笑顔を見たからというのもあるが、彼女の唇が非常に艶やかに見えたからだ。
きっとジャムがついたのだろう。いつもより少し赤くなっているようにも見える。
今キスしたら絶対甘いんだろうな……。
なんて事を一瞬だけ考えたデュークスだが、すぐに首を横に振って。
思考回路を、ハックの方へ戻した。今はまだ、その時ではないと我慢する。
「ハックのパン、もっと食べたくなるな。きっとこれなら、他の人もうまいって言うよ」
「そこまで褒められるとは。実に有難い。我はまだ未熟者……ではあるが、皆が美味と言って下さるのであれば、喜んでパンを焼こうぞ!」
「いいね。なんなら、パン屋にでもなれば?」
「……パン屋?」
ハックは目を丸くしていた。そんな話になるとは夢にも思っていなかったらしい。
だがデュークスは大真面目な顔をして頷いた。
「だって、もう今までの仕事はなくなっちゃったわけだし。新しい仕事につくのも良いんじゃない? 畑とかで自給自足生活でもいいけど」
今までは貴族の命令だったとはいえ、ゼンの監視を任されていたハック。ゼンも貴族もいなくなった今、彼の新しい人生が始まろうとしている。
デュークスにとっては、可愛い妹を大切にしてくれる相手が何もしていないのも不安、という希望があったからだが。
「パン屋さんかぁ……なんか楽しそうだし、私お手伝いしようかな」
マナが何てことなさそうに言った。
だが三人はかなり驚いていた。マナの方から手伝うなんて言葉が出て来るとは、誰も思っていなかったからだ。
「どうしたマナ。そんなにパン好きだったか」
「まぁ好きだけど。私も今後を考えたら、お仕事探したいし。ハックさん一人じゃ大変だろうから。ちょうどいいかなって」
平然と答えているマナだったが、彼女は彼女なりに考えていた。
両親もいなくなり、兄には彼女がいる。ならば自分も、一人で生きていくすべを探さなくては、と。
彼女もまた、新しい人生が始まろうとしていた。
願ってもいない声に、ハックは頭を下げた。
「ぜ、ぜひともお願いしたい!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
にっこりと微笑んだマナの顔を見て、ハックは顔を赤くさせた。
「なっ、ななななななならば早速、パンの修行をしよう!」
「じゃあ早速お手伝いしましょうか?」
「い、否。マナ殿には販売時の接客を願いたい! 我では怖がる者もいるかもしれぬ。それに、その、マナ殿のような……美しい方が売った方が売れるに違いない!」
「そうですか? ありがとう……ございます」
ストレートな言葉を聞いて、マナも照れているようだった。
ハックは照れながら、台所の方へ立った。
下手に突っ込んだら悪い空気になってしまうだろうと、デュークスは空気を読む。
「ごちそうさま。さて、俺も頑張るとするか。昨日言ってた変身を試そう。えっちゃんとマナも来てくれる?」
エミリッタは頷くと、手に持っていたパンの欠片をすぐに口の中へ入れた。
マナも頷いて、動揺を隠すような反応を見せた。
「う、うん。まだ私がやる事ないみたいだし。私もお兄ちゃんの変身、見たいな」
デュークスはニッと笑うと、エミリッタとマナを連れて外へ出た。
「まずは赤と青を噛んでみようかな」
デュークスは早速、赤色と青色の石を掴み。
両方同時に噛んだ。
いつもより強い光が輝いて、エミリッタもマナも思わず目を瞑った。
しばらくして、彼女達が目を開けると。
目の前にいたのは、紫色の龍だった。




