なんて言ったの、えっちゃん
宿屋の中に入って行った二人は、受付にいた若い女に一枚の紙を見せられる。
「当店のプランはこちらになっております」
「これって風呂があるよって意味であってる?」
紙に書かれた文字を指さしながら言ったデュークスだが、勿論文字は読めていない。勘で言った。
若い女は笑顔で頷く。
「はい。お風呂と食事が一緒になったセットプランです」
「おぉ、それはそれで良いね。えっちゃん、ここにしようか」
エミリッタは頷いて、金を払う。
「それでは荷物をお預かりしますので、お先にお食事をどうぞ」
若い女の後ろから、店の者と思われる男達が出てきた。
「すごいね、至れり尽くせりだ」
デュークスは店の者達に意識を向けている。エミリッタの事をあまり意識しないようにするためだ。
店の者はデュークスからリュックサックを預かりーー床に落とした。中から黄色い石の塊がゴロンと落ちる。
「も、申し訳ございません! 想像以上に重くて、い、いえ。失礼致しました」
「あー、この石いっぱい入ってるからねー。ちょっと重いかもねー」
「ちょっとって重さじゃ……い、いえ! 綺麗な石ですね。もう落とさないよう丁寧に扱います。お、おい手伝ってくれ」
デュークスが一人で運んでいたリュックサックを、大の大人が二人係で運ぶ。エミリッタのリュックサックも、同じように二人係で運ばれて行った。
「もしかして俺達って力持ちだったんかな?」
エミリッタは首を傾けるしかなかった。
今までの比較対象が龍竜族だった彼らにとって、今回の旅では普通の人間との違いをことごとく知らされていく。
荷物を預けた二人は、食堂という名の部屋へ連れて行かれた。
大きな部屋の中に、いくつものテーブルが並んでいる。デュークス達は窓際の席に座った。
「こちらの中からお選び下さい」
店の者は文字だらけの紙を見せて来た。恐らく料理名の書かれたものを見せられているのだろうと気づいたデュークス達だったが、勿論読めない。
わざわざ料理全て説明させるのも申し訳ないくらい、多くの文字が並んでいる。
こんな事になるなら、最初から文字が読めないと言っておけば良かった。デュークスはそう後悔した。
「えっちゃん、どれでもいい?」
そう尋ねられても、紙には絵もない。エミリッタも困った表情で頷いた。
デュークスは恥を忍んで、店の者へ正直に言った。
「何も分からないのでおススメ下さい……俺は何でも食べます、えっちゃんは納豆と、目の前で焼くようなものが苦手です……」
「か、かしこまりました」
店の者は文字が書かれた紙を持って、奥の厨房へ入っていく。
デュークスは眉を八の字に曲げた。
「文字が読めないのって、もしかしなくても不便だね? でも俺覚えられる気しないんだけど」
エミリッタも眉を八の字に曲げて頷いた。
二人は里の大人達から、数の計算や物の名前は教わっていた。里の外に文字というものがある事も教わっていたが、文字の詳細は誰も教えてはくれなかった。
里にいた大人達は皆、里の外で暮らす気がなかったので文字の読み書きを知りたいと思う者がいなかった。つまり、大人達も皆文字を知らなかったのである。
そんな大人達と同じように考えていたデュークス達も、まさか里の外を旅する事になるとは思っても居なかった。
そんな二人の前に、良い香りが近づいて来た。
「お待たせしました。こちら当店おススメのハンバーグです」
熱そうな鉄板の上で、丸めた肉がこんがり焼かれている。添えられた野菜も色鮮やかだ。
いつもの二人なら喜んで食べたのだが、以前恐ろしい目にあった彼らは若干の抵抗を見せた。
デュークスは店の者に、恐る恐る確認を入れる。
「……これドラゴンの肉とかじゃないよね」
「え、えぇ。豚ひき肉です。ドラゴンの肉なんて見た事ありません」
「はぁー良かった、いただきます!」
急に満面の笑みになった二人は、食事を頂く。店の者は困惑気味にその場を去った。
「次からはにドラゴンの肉も禁止って言おう」
エミリッタはハンバーグをナイフで切りながら、大きく頷いて同意を示す。
彼らは知らなかった。この世界では、そもそもドラゴンの肉を食べる事の方が珍しいという事を。
食事を終えた二人は、部屋へと案内された。今夜二人が泊まる部屋だ。
壁には湖の絵が飾られており、天井についているのはシャンデリアだった。値段のわりに豪華な部屋に見える。先ほど預けたリュックサックは、ソファの上に並べられていた。
そして部屋の左右に並んでいるシングルベッドは、頑張れば一つのベッドに二人で寝れない事もない。
デュークスは笑顔だった。だが内心は非常にドキドキしていた。
二人の背後に、店の者が畳まれた布の束を持ってやって来る。
「こちら部屋着とタオルの貸し出しサービスです……失礼、もう少しお部屋の冷房を弱めましょうか?」
実際の部屋がそこまで広くないせいもあるのか、確かに少し冷房の効きが強いように感じた。夜になればもっと寒く感じるだろう。
弱めてもらうよう頼もうかと考えたデュークスだが、ある事を閃いて断りを入れた。
「いえ! 大丈夫です、寒くなったら一緒に寝るんで!」
「そ、そうですか。壁に操作ボタンがありますので、もし弱める時はご自由に操作して下さい」
そう言って店の者は操作ボタンを示すが、デュークスもエミリッタもボタンの一つ一つが何を表しているのか全く分からなかった。ボタンの横に説明の文字が書かれているようだったが、勿論読めない。
エミリッタが操作方法を尋ねる前に、デュークスは宿の者を褒めた。
「しかし随分気前の良い宿だね。ただ眠れるだけじゃなく、ご飯も服もついて来る」
「ありがとうございます。家族風呂は何度でもご利用いただけますが、部屋着とタオルの貸し出しはこちらのみとなっておりますのでご注意下さい」
説明の中に出てきた聞きなれない言葉に、デュークスは思わず真顔で質問をする。
「待って、家族風呂って何?」
店の者は、紙見せて説明したが? という顔をしながらも説明を続けた。
「当店大浴場のない宿となっておりまして、代わりにお部屋の外に個別のお風呂がございます。家族風呂とは言いますが、同じお部屋で泊まられているカップル様でも一緒にご利用いただけます」
「……カップル歴より幼馴染歴の方が長いんですけど大丈夫ですかね?」
「も、問題はありませんが、どうなさるかはお客様にお任せ致します」
お辞儀をした店の者は部屋を出て行き、二人きりになる。
チャンスだ。デュークスはエミリッタに顔を向けた。
「と、いう事らしいよ。えっちゃん。俺としては何ら問題ないと思うんだけども」
照れた顔で言ったデュークスに対し、エミリッタは無表情で首を振っていた。
あるよ、まだ早いよ。そう言いたそうにしていた。
「だ、ダメ? やっぱり? でもこう、せっかくだし、あ、背中流す?」
にゅっ、とエミリッタは舌を出した。赤い色をした短めの舌は、小さな口から少し出ている程度。
きっと首を横に振る以上の拒否を表しているのだろうが、デュークスはただただ可愛さを感じていた。そのままキスの一つや二つぶちかましても良いだろうか、と思う程に。
思った程度で留まる事が出来たので、心のどこかでは彼女の意思を大事にしなければと分かっているのだろう。
「ダメなんだね?」
エミリッタは舌を出したまま頷いた。彼女はアンナの真似をしたつもりだったのだが、デュークスには伝わらなかった。
「見た事ない拒否り方をされた……長年一緒にいるのに、まだ俺の知らないえっちゃんがいるのか……」
一緒に風呂に入れない上に、キスも出来ない。その上、彼女の事を理解しきれていない自分がいた事にデュークスはなんとなくダメージを受けている。
エミリッタは口を閉じて、人差し指を一本立てる。
「分かった分かった。一人でゆっくりお入り」
落ち込むデュークスを放置し、エミリッタは一人でお風呂に入る準備をする。ここで彼に構うと長引く事になるので、扱いとしてはこれが正解である。
準備を終えた彼女はデュークスの顔を覗き込んだ。愛らしい顔が目の前に来て、デュークスはうっかりトキめいた。
そんな風に思われているとは思ってもいないエミリッタは、パクパクと口を動かす。
突然の出来事に、デュークスは彼女の口の動きを読めなかった。
「今なんて言ったの?」
エミリッタは笑みを浮かべたまま、部屋を出て行った。




