〈回想〉雪の降る里
「デュークスー」
デュークスは母親に自身の名を呼ばれて振り向いた。
暇を持て余した幼い妹たちと共に、地面に絵を描いていた所だった。妹たちは木の枝を放り投げて、母親の足元に駆け寄る。
母親は赤ん坊を抱いているため、妹たちが抱きしめられることはなかった。それでも妹たちは嬉しそうに母親に擦り寄っている。
暇つぶしを中断されたデュークスも、その場に木の枝を置いて立ち上がった。
まだ生まれて間もない弟を片腕で抱きかかえた母親は、反対の手で布の袋を握っている。
「新鮮な野菜が採れたんだ、えっちゃんの所に持ってってやんな」
「はいよー」
デュークスは母親から、多くの野菜が入った袋を渡される。採れたばかりの鮮やかな赤色と緑色に、もう初夏が来たと痛感させられた。
赤い髪の赤ん坊は、デュークスが胸元に下げていた石を見つめ触ろうとする。
それに気づいた母親は、右手だけで赤ん坊の両の手を優しく包んだ。
「こらこら、それはお兄ちゃんの。お前には自分の石があるだろ?」
母の言葉を聞き、デュークスは自分の首と赤ん坊の首にぶら下がっている石を見比べた。
一方で赤ん坊の首には、赤色の石が一つ下げられていた。
「赤色の石だからな、俺と一緒できっと強くなれるぞ」
その言葉に、母は元気よく笑った。母親の首にも、彼らと同じ紐で青色と黄色の石がぶら下っている。
「だったらいいね。さ、頼んだよ」
母の言葉に背中を押され、デュークスは幼馴染の家へと向かう。母の横に立つ妹たちも、にこにこと笑いながら兄に手を振った。
森と採石場に囲まれた、小さな里。幼馴染の家は、もうすぐという所で。
先ほどまで汗ばむくらいの晴天だったというのに、急に曇り空が広がった。
ふよふよと何かが落ちてくる。
「雪……?」
そんなバカな。まだ初夏だぞ。デュークスはそう思いながら、空を見上げた。灰色の空を背景に、小さな雪の粒がゆっくりと落ちてくる。
何かがおかしいと察したデュークスは、家族を心配して家へと引き返す。
デュークスは足先が露出しているサンダルで走る。雪が降る中、半袖に七分丈のズボンという恰好はあまりにも異様な光景だった。デュークスが手に持ったままの袋が、左右に大きく揺れ続ける。
突然。目の前にあった石造りの建物から、深紅の髪色をした大柄な男が飛び出してきた。
デュークスが持つのと同じ、ひし形の青い石を首から下げている男は、体のあちこちが傷だらけになっていた。男の姿を見たデュークスは、思わず声を上げる。
「親父!? なんだよその怪我!」
「デュークス! 変身できるか!?」
「当たり前なこと聞くなよ。それより手当しないと」
「だったら逃げろ! 俺にはその当たり前ができない!」
焦っている様子の父親に、デュークスは首をかしげた。
「よく分かんないけど、医者の所に行こう!」
「いいから、早く、齧れ!」
「分かってるってば」
デュークスは自身の首にぶら下がっていた赤色の石をつまんで、齧る。だが何も起こらない。
眉をひそめながら、齧って、齧って、齧った。だがなんの変化もなく。
「なんで変身出来ないんだ?」
「やっぱり。お前だけじゃない、俺も、他の皆も……だったらしょうがない。走ってでも逃げろ。ここは危ない。どこでもいい、安全な所に!」
「親父だって」
「俺はもう無理だ。それに……危ねぇ!」
父は突然、デュークスを抱きしめた。勢いあまって、袋の中の野菜が、地面に落ちた。
「がっ、はっ……」
「親父……?」
父の体の重みで、デュークスは地面に膝を付けた。
父の肩の向こうに、鎧を着た兵士たちが見える。
「まだいたのか」
そう呟いた兵士の持つ手には、大きな剣が握られている。
兵士は父の髪の毛を乱暴に掴むと、自分の方へ引っ張った。もう抵抗しない父は、あおむけに倒れる。剣の先で父親の石についた紐を切ると、兵士は紐ごと石を拾い上げた。
その光景を見て我に返ったデュークスは、奪われた父親の石に手を伸ばす。
「ふざけんな、返せ!」
「同じ目にあいたいようだな、とっとと死んでその石寄こせ!」
デュークスにも剣を向ける兵士。狙いは石かと、デュークスは首から紐を外した。
「これは俺たちの大事な石だ。お前らみたいな訳分かんねぇ奴らには、ぜってー渡さねぇ!」
そしてあろうことか、石三つを紐ごと飲み込んだ。
「コイツ!」
兵士はデュークスの顔めがけて、高く振り上げた剣を勢いよく振り下ろす。
ボタボタっ。
白い雪の上に、赤い血液が垂れた。
「っあああああああああああああああ!」
「ひとまず撤退だ。急げ」
仲間がいたのか、兵士は誰かにそう告げる。
デュークスはその相手を見ることなく、顔を抑えて地面にうずくまった。あまりの痛さと寒さで、意識が遠のいていく。
静かに、雪が降り続けた。
ガラガランっ。
何かが崩れる音がして、デュークスは目を覚ました。目の前にあった建物が、黒く焦げている。
勢いよく起き上がり、周囲を見渡した。
デュークスの体の上に積もっていた雪が、ボロボロとこぼれる。
今は青空が広がり、雪そのものは降っていない。だが土の上には彼の身長を超す程の大雪が積もり積もっている。
彼の足元に、父親の体も落ちていた。
デュークスは父の体の上に積もった雪を払う。父の背中についた痛々しい傷跡を見ながら、両手を握り、下唇を噛む。
だが周囲に漂う焦げ臭いが、デュークスの足を前へ進ませた。
「誰かっ、誰もいないのか!?」
右目は開ける事が出来なかった。額から頬にかけて、縦線に伸びる痛々しい傷のせいだ。傷口の血は、まだ乾いていない。彼が着ている半そでシャツにも血が点々とついているが、そちらは茶色く変色し始めている。
目の前に広がるのは、悲惨な火事現場の跡のみ。建物は崩壊し、ほぼ黒焦げた炭と化している。一軒だけではない、少なくとも十軒がそうなっている。
異質だったのは、その周りが雪景色だった事。今までであれば雪だ雪だとはしゃぐことができただろうが、今は到底そんな気分ではない。
生きている人を探すために雪の中を歩いた彼だったが、見つけたのはまだ赤く光る小さな火種。近くにあった雪の塊を素手で掬い、火種の上に投げつけた。ジュっと小さく音を鳴らした火種は、一瞬の内に死んだ。雪で濡れた手は、ズボンで拭う。
「デュークス!? デュークスかい!?」
「えっちゃんのばーちゃん……!」
茶色の鞄を持った老婆は血混じりの雪を踏みつけて、デュークスを抱きしめた。彼女も薄手のワンピース姿だ、こんな季節外れの雪が降るなんて誰も思っていなかった。
「あぁ良かった、無事だったんだね」
「良かないよ、皆は」
「ワシも分からんよ。森から帰ってきたらこんな事になってた」
「そんな。そうだ、えっちゃん。えっちゃんも探さないと」
デュークスは周囲を見渡して、幼馴染の姿を探す。すぐ見える場所に、人の姿はない。老婆はデュークスの両肩を掴み、彼を宥めた。
「落ち着け。何があったんだ」
「雪が降って来た直後、鎧を着た奴らが襲ってきたんだ。あいつら魔法か何かを使ったのか、俺達全く変身出来なくて」
「変身って……石、お前石は!」
老婆は突然焦りだした。大切なものの安否を心配しているようで、額には汗が滲んでいる。
デュークスは右手を口の中に突っ込んだ。
先ほど飲み込んだ三つの石を、喉の奥から取り出す。ゲホッ、ゴホッとむせ込み、息を整える。唾液塗れの石を服の裾で拭い、自身の胸の前に身に着けた。
「意地でも守んなきゃと思って、奴らの目の前で飲み込んでやった。殺して取り出す程じゃなかったのかな。顔に傷はつけられたけど、そのまま帰ってたよ。俺じゃなきゃ死んでたね!」
石の繋がる紐を握りながら、デュークスは自身の胸をトンと叩く。だがその手は微かに震えていた。
老婆は彼の頭を撫でる。
「よくやったよ。守ったって事は、そいつらは石を狙ってたんだね?」
「あぁ。親父のは……殺してわざわざ紐切って持ってったから……」
「なら狙いは石と……ワシらの全滅か」




