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20話 残された疑惑


微かな音が、眠りの淵にいた海翔の意識を引き戻す。

くぐもった低い声が、どこか遠くで響いている。

それが夢の続きなのか、現実の始まりなのか……海翔本人にはまだわからなかった。



「まさか、生きてたのか?」「誰も見てないのかよ……」


声はだんだんと近づき、はっきりとした怒気と動揺を帯びている。

誰かが足早に廊下を駆けていく音。端末の通知音。ざわざわと不穏な気配が、空気の奥深くにまで染み込んでいた。


海翔は重たいまぶたを押し上げるようにして起き上がった。

昨夜なかなか寝付けなかった疲れが体に残っている。だが、その異様な空気は否応なしに意識を覚醒させた。


「まさか、何かあったのか……?」

そう海翔は言葉を漏らすと、まだ隊服にも着替えていないまま、海翔は簡単な身支度をして急いで部屋を出た。

すぐに、白衣の研究員のひとりが血相を変えて走ってきた。彼の姿を見るなり、立ち止まる。


「白波くん……! 大変だ。あの“怪人”が……」


「あの……怪人? イヲティスに何か有ったんですか?」


「いや違う! 昨日倒したあの不気味な怪人が突如跡形もなく……消えたんだ!」


そう話すと、研究員は再び駆け出していった。

残された海翔の胸に、冷たい不安がじわりと広がっていく。


シーレイヴを纏ったイヲティスが倒した怪人。

エイビスの者とも違った未知の生命体…

厳重な封鎖区画に“収容”されていたはずの、あの怪人が……いなくなった?


信じられない思いを抱きつつ、海翔が通信端末を確認すると、通知がひとつ届いていた。


石倉:至急、遺伝子研究部まで来てくれ。



遺伝子研究部の主任、石倉からの呼び出しだった。



海翔は急いで石倉のいる所まで駆け足で向かい、勢いよく扉を開けた。

室内では、石倉が端末を操作しながら、落ち着いた声で状況を告げる。


「隔壁ロックは破られていない。警報も鳴っていない。……だが、中にいたはずのあの個体は、跡形もなく消えていた」


海翔は眉をひそめた。

「じゃあ……実はまだ生きていて、扉を壊して逃げたわけじゃないって事ですか?」


「“逃げた”なら、その通り扉が壊れたり何らかの痕跡があるはずだ。だが、それすらない。……まるで最初から存在しなかったように消えている」


部屋の隅で資料を抱えていたリン研究員が、口を挟む。

「監視カメラも妙でした。映像の一部が飛んだように、姿が抜け落ちている。偶然のノイズとは思えません」

その声は穏やかだが、言葉の選び方に妙な引っかかりがあった。


海翔は、なぜ自分が呼ばれたのかを察しながらも問いかける。

「それで……俺をわざわざ呼んだのは?」


石倉は端末から手を離し、まっすぐ海翔を見た。

「イヲティスくんの行動記録だ。昨夜のうちに確認したが……一時的に所在が不明になっているようだ」


胸の奥がざわつく。

「それって……まさか、イヲティスを疑ってるってことですか?」

語尾に滲む怒りを、海翔は抑えきれなかった。


「断定しているわけじゃない。ただ、“行動が確認できない時間”と、“怪人が消えた時間”が重なっている。それは事実だ」


「海翔くん」リンが軽く首を傾けて言う。「疑うというより、確認が必要というだけです。彼が潔白なら、それが一番いいじゃないですか。……もしそうでなければ、それもまた事実として受け入れる必要があるだけですよ。」


「イヲティスは、そんなことしません! あの怪人を倒したのは、イヲティスなんです!」


石倉は頷く。

「君がそう信じているなら、それを証明してやればいい」


海翔は口を閉ざし、数秒の沈黙ののちに立ち上がった。

「イヲティスに直接聞いてきます」


そう言ってその場を後にする。扉が閉まる音が響き、足音が遠ざかっていった。


しばらく沈黙が落ちた後、リンがふっと息を吐く。

「あの反応、悪くありませんね。感情で動く人間は、状況によっては扱いやすいです。」


石倉が視線を向ける。

「リン、それはどういう意味だ?」


「意味なんて。僕はただの研究員ですよ、主任」

柔らかく微笑むその表情は、相変わらず人懐っこい。しかし、その瞳の奥には冷たい色が潜んでいた。


石倉はわずかに眉を寄せたが、追及はせず、再び端末へ視線を戻した。



海翔は息を切らしながら長い廊下を走った。

イヲティスがそんなことをするわけがない、そう信じてはいる。

だが、どこかで冷たい不安が背をなぞる。


その時だった。角を曲がった先で、鋭い声がぶつかってきた。


「おい、白波!」


立ち塞がったのは、セナ隊員だった。

険しい目で海翔を見つめている。


「案の定、だな。こうなることは最初から分かってた」


「セナさん、イヲティスを疑ってるんですか?」

海翔は昨日の食堂での事を思い出しながらセナを睨み付け言った。



「疑ってるわけじゃない。最初から“そういう存在”だと言っている」

セナはゆっくりと前に一歩進む。


「やつは“人間”じゃない。元は海の奥底から現れた、未知の存在。

たとえ今どんな姿をしていようが、本質は変わらん。信じるの信じないは……お前の自由だがな」


「そんな言い方、やめてください。イヲティスは俺の、いや俺たちの仲間です」

海翔はセナの顔をじっと睨み付けながら言った。


「仲間か。“それ”に裏切られたとき、お前がどうなるか……せいぜい後悔しないようにな」


静かに、だが冷たく言い捨てて、セナは去っていった。


海翔は唇をかみしめながら、再び走り出す。

イヲティスに、直接自分で聞いて確かめるために



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