11話 静寂の中、蠢く影
その夜、海中に一次退散したシェルアノスとカヴリノスは海の静けさの中に身を潜めていた。波の音だけが二人の間を流れる中、シェルアノスは口を開いた。
「イヲティスのやつ、本当に人間の味方をするつもりなのか?」
その声には、収まりきらない怒りと疑念がにじんでいた。
カヴリノスはそれを黙って聞いていたが、少し間をおいてから冷静に言った。
「そういえば少しは冷静になったのか? 朝とは違って、少し落ち着いているように見えるが。」
その言葉にシェルアノスは、思わず眉をひそめて言った。
「冷静……? ただ怒りに任せているわけじゃない。」
「シェルアノス……」
カヴリノスはため息をつくように名前を呼んだが、慎重に言葉を選びながら続けた。
「イヲティスが何を考えているのか、まだわからない。俺たちには……その理由を知る必要があるんじゃないの?」
「理由だと? 人間なんぞ、理由を聞くまでもなく敵だろう。 お前も見ただろ? あのゴミを捨てた人間を…
そんな奴らのために、この私に攻撃を仕掛けて来たんだ…」
シェルアノスは静かながらも冷たい声で言い切った。その視線は鋭く、遠くを睨んでいるようだった。
「それは……あんたが怒った気持ちもわかるよ。だけど、あの人間の少女にしようとしたことは……少し強引すぎたんじゃないかって、俺は思うけど」
カヴリノスの声には遠慮が含まれていたが、それでも彼なりの思いを伝えようとしていた。
「強引すぎた? あれは当然だ。人間どもが俺たちを見くびっていたから、少しわからせてやっただけだ」
シェルアノスは顔をしかめて言い返したが、どこか不安げな様子も垣間見えた。
「ごめん、言いすぎたかもしれない。でも、シェルアノスは俺たちの中で一番冷静なはずだろ? 俺はあんたのこと、ずっとそう思ってる」
カヴリノスは軽く頭を下げた後、やや躊躇しながらも素直に言葉を続けた。
「イヲティスは本当にあの人間と……」と、シェルアノスはぽつりとつぶやいた。その言葉には、まだ揺れ動く疑念と不安が混じっていた。
カヴリノスが静かにその言葉を受け止めている。無言のまま、二人の間に重苦しい沈黙が続く。
波の音だけが耳に届く中で、その静けさを破るように、ついにシェルアノスが口を開いた。
「もしイヲティスが完全に人間側に立つことを選んだなら、その時はエイビスに報告しないといけない。それが私たちの役目だろう、あいつが裏切るようなら。」
その言葉には、冷徹な決意とともに、何か深い失望が滲んでいた。シェルアノスはしばらく視線を遠くに向け、ゆっくりと息をついた。
シェルアノスの言葉を受けて、カヴリノスの心の中に決意が静かに積み重なっていった。イヲティスとの長い付き合い、 その絆があるからこそ、もし裏切りがあったとしても、最後まで向き合う覚悟があった。
「もしそんなことになったら、俺も覚悟を決める。 その時は…」
カヴリノスは静かに言葉を続けた。目の前に広がる暗闇の海を見つめながら、彼は心の中で誓った。イヲティスがどんな選択をしようとも、その先に待つ結末を受け入れる。それが自分の責任だと、長い時間を共に過ごしたからこそ強く感じていた。
夜はさらに深まり、二人の間に漂っていた静寂が破られた。遠くから聞こえたのは、金属を引きずるような不快な音と、どこか湿った響きを伴う奇妙な断続音だった。
「今の……聞こえたか?」
カヴリノスが低く問いかける。
「ああ。ただの波の音じゃない。どこか近くに何かいる。」
シェルアノスの声は鋭く、警戒の色を含んでいた。
音のする方角に慎重に近づき、シェルアノスとカヴリノスは、静かに水面を滑るように進んでいった。
波音に溶け込むように、彼らの視線は沖の灯台へと向かう。灯台の光がわずかに揺れ、遠くの廃倉庫群の影を照らしていた。
その光に照らされるようにエイビスの民とも違う見たこともない何かが現れた。どこか生物らしい質感を持ちながらも、人工的な意図を感じさせる佇まいだった。
青白い肌は光を反射し、霧の中でかすかに輝く。
その背後には、無言で佇む一人の男の影が見える。
「なんだ、あれは?」
カヴリノスが息を呑んだ。
「ただの人間じゃない。……いや、人間ですらない。」
シェルアノスは目を細め、じっとその異様な存在を全身で感じ取った。
謎の男はその青白い肌の生物を見つめたまま、静かに一言つぶやいた。
「行け……その力を見せてみろ。」
その指示を受けるかのように、近くに積まれた木箱へと腕を伸ばす。その動きは無駄がなく正確で、木箱はあっさりと粉砕された。周囲の設備も次々と破壊されていくが、それは無差別な暴力ではなく、まるで与えられた命令に従っているかのようだった。
「まだまだ不安定だな……だが、十分だ。」男は静かにそう呟くと、それの動きを再び注視した。
その生物が大きく咆哮を上げたその瞬間、男はゆっくりと手を挙げた。すると、まるでその動きに呼応するようにそれは動きを止め、静かにその場に立ち尽くした。
「帰るぞ。」
男の声が響くと、それは再び動き始めたが、その足取りは先ほどとは異なり、まるで何かに縛られているかのような緩慢なものだった。男は満足げな表情を浮かべると、振り返ることなく漁港を後にした。
カヴリノスが息を呑むように言った。「どうする?あれを見過ごしていいのか?」
シェルアノスはしばらく黙って水面を見つめ、冷静に答える。「まだ動くべきじゃない。あの男は明らかに何か企んでいる。」
「でも、もしまた現れたら?」カヴリノスは警戒を強める。
「その時だ。」シェルアノスはゆっくりと水中に手を伸ばし、沈黙の中で決意を固める。
二人は互いに目を合わせ、やがて同時に頷いた。
その後、何も起きないまま夜が更け、二人は警戒を続けながら、静かな時間を過ごすのであった。




