9話 共存の道
海翔は所長室を出た後、父の手帳をしっかりと抱えながら隔離室へ向かった。長い廊下を歩くたび、彼の中で使命感と戸惑いが入り混じった感情が渦巻いていた。扉の前に立つと、深呼吸をして気を整える。
隔離室の中は静かだった。扉が開く音に反応して、イヲティスがゆっくりと顔を上げる。そのオレンジがかった瞳が、じっと海翔を見据えた。
イヲティスは少し間を置き、真剣な表情で口を開いた。
「そういえば、まだ名乗っていなかったな。俺の名前はイヲティス。海の底に生まれ、長い間そこで生きてきた者だ。」
海翔は一瞬戸惑いながらも、その名前を反芻した。
「イヲティス…か。」
「俺の名前は、白波海翔。海洋生命研究機関WOLLの部隊に所属している。」
海翔が名乗った瞬間、イヲティスの表情が一瞬、何かに気づいたように変わった。少しの沈黙を経て、彼は静かに言った。
「やはり、君だったか…。」
海翔は驚きを隠せず、一瞬足を止めたが、すぐに室内へと踏み込んだ。
驚きと疑問の入り混じった表情を浮かべながら、イヲティスを見つめた。彼の口から次に出てきた言葉は、海翔が予想だにしていなかった内容だった。
「海翔、君が来ることは、ある程度予想していた。」イヲティスは静かな口調で続ける。
「それもこれも、君の父親のことが関係しているからだ。」
海翔は言葉を失い、瞬間的に息を呑んだ。「父が…?」
イヲティスはその反応を見て、少し微笑んでから言葉を続けた。「君の父親、白波海征には、かつて命を救われたことがあるんだ。」
その言葉に、海翔は思わず目を見開いた。
「父が…?君を助けた…?」
イヲティスは静かに頷き、過去を語り始めた。
「15年ほど前のある日、俺は内乱に巻き込まれ、地上に漂着した。そのとき、たまたま海洋調査をしていた君の父親が俺を見つけ、命を救ってくれたのだ。」
海翔は言葉を失ったまま、イヲティスの言葉に耳を傾けた。
「彼は俺を『人間ではない』と知りながらも、恐れたり拒絶したりはしなかった。むしろ、俺の存在に興味を持ち、なぜ内乱になったのかについても聞いてきた。」
イヲティスは目を伏せ、一瞬ためらうようにしてから語り始めた。
「我々エイビスの民は、長い間、人間と距離を置きながらも海を共有して生きてきた。しかし、どんな種族にも意見の相違は生まれる。海を守り、共存を求める者たちもいれば、海を汚し、自分たちを脅かす人間を根絶やしにすべきだと主張する者たちもいた。」
海翔は眉をひそめながら言葉を挟む。
「つまり、その対立が内乱を引き起こしたってことか。」
イヲティスは頷いた。
「そうだ。 そして、俺の父もまた人間と共存を願っていた。しかし、攻撃的な思想を持つ者たちは、共存を裏切りだと考え、容赦なく攻撃を仕掛けてきた。俺が地上に流れ着いたのは、その戦いの中での出来事だ。」
「君の父親は、恐れることよりも、真実を知ることを優先する人だった。俺がどんな存在であれ、命の価値は同じだと考えていたんだろう。そして、彼は俺からエイビスのことを聞き、人間とエイビスが共に生きる道を探ろうと俺に言った。」
海翔はその言葉に息を飲み、視線を手帳に落とした。
「父が…そんなことを…。だけど、それでもその共存を実現させるのは難しい。人間だって、同じ人間同士で争うことを止められないんだから。」
イヲティスは海翔の目を真っ直ぐに見つめた。
「確かに、簡単なことではないだろう。だが、君の父親はその可能性を信じていた。そして、俺もまたそれを信じたいと思っている。」
「そんなことが…。」
海翔は少しの間、手帳を見つめてから、再びイヲティスに向き直った。
「でも…父はもういない。」海翔の声は小さく、重い。
「事故で…亡くなったんだ。 共存の道を実現させることなく。」
イヲティスは黙って海翔を見つめ、しばらくの間、何も言わなかった。彼の目にはわずかな感情の波が見えたが、その表情はすぐに固まった。
「…君の父が亡くなったのか?」
イヲティスは一瞬目を見開き、驚きの色を隠せなかった。
「それを今聞くとは思わなかった。」
イヲティスはようやく口を開き、声に少しの沈黙を挟みながら言った。「だが、共存する未来を実現するのは、君の手に委ねられている。君の力で、彼が信じていた可能性を証明するんだ。」
海翔はイヲティスの言葉をじっくりと受け止め、しばらく無言で立ち尽くしていた。その後、ゆっくりと頷き、心を決めたように言った。
「正直に言えば、まだ自分が父のようにやれるか分からない。でも、これだけは言える…父が追い求めたものを俺も知りたい。そのためなら、前に進む覚悟はある。」
イヲティスはその言葉を聞き、静かに頷いた。
「君のその答えがあれば十分だ。共に人類とエイビスの共存の糸口を見つけよう。」
「だが最優先は、俺の仲間の一時的な暴走は止まったが、これで終わったわけじゃないはずだ。」
イヲティスは冷静に言った。「俺は反逆者として見なされる可能性もある。」
「もしそうなったら、エイビスは黙ってないだろう」
海翔はイヲティスの言葉を受け、静かに頷いた。「わかってる。暴走は完全に止まったわけじゃないはずだ。次に何が起きても、俺はお前を守る。」
イヲティスは目を見開き、少し微笑んだ。
「俺には反逆者としての立場もある。でも、君の力が必要だ。」
「父が信じていた未来を、俺も見てみたい。でも…そのためには、まだ自分の力が足りない気がする。」海翔は少し迷いながらも言った。
イヲティスはその言葉に黙って頷き、軽く微笑んだ。「焦ることはない。お前のペースで進めばいい。」
海翔は少しだけ肩の力を抜き、改めてイヲティスに礼を言った。「ありがとう。とりあえず、父が残したものを探してみるよ。」
そう言うと、海翔は静かに足を踏み出し、部屋を後にした。




