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第4話 夜が明けて

 小鳥たちのさえずりと柔らかな木々のざわめきが聞こえる。あたたかな陽の光に照らされて、ゆっくりと意識が浮上した。

 ゴロリと寝返りを打つと、朝のさわやかな風に乗って、香ばしいパンが焼ける匂いとトマトにキャベツと焦がしニンニク混ぜて煮込んだような甘辛い匂いがする。パチパチと油がはぜる音と穏やかな鼻歌が朝の報せを運んでくる。もう少しこの心地よい感覚に浸っていたくて布団にもぐりこんだ。


 そうして夢と現のはざまで揺蕩っていると、誰かがゆっくりと近づいてくる気配がした。同時に香ばしく甘辛いにおいも強くなる。久しぶりに嗅いだいい匂いだなぁと思っていたところで、ふと見知らぬ男と相対したことを思い出した。


 ガバリと慌てて身を起こす。


 さっと右を向くと、驚いた表情でこちらを見る男と視線がかち合った。




     ***




 様子を確認しようと思い、出来立ての自分の朝食を持って寝袋に近づくと、突然少女がガバリと起き上がった。驚きでびくりと立ち止まり、少女を凝視した。

 サッとこちらを向いた少女と視線がかち合うと、その子はハッとした顔をした。


 そして


 正座をした状態で頭を下げてこう言った。


「ありガとまシタ」


緋倭斗は驚きで手に持っていたお皿を取り落としそうになった。慌ててお皿を掴みなおし、唖然とした顔で再び少女を見る。

 一体この一晩で何があったというのだろうか。昨日の警戒心は一体どこへ行ってしまったのか。

 そんな疑問が頭の中でぐるぐると巡る。あまりの驚きで声も出せず口を開いては閉じ、開いては閉じと繰り返していると、少女はさらに驚くべきことを言い出した。


「ブシツケなお願い、シかシ、私、聖王国リーキンダムのことば、ムズかしい。私、可能カ、ハナすの、キョウツウ語。」


慌ててブンブンブンッと首を縦に振ると、少女は頭を下げたまま更に続けた。


『私はアイシャ・イル・リベと申します。昨日は行き倒れているところを助けていただきありがとうございました。また、命の恩人に対し無礼な態度をとったこと、心よりお詫び申し上げます。出来得る限りのお礼とお詫びを差し上げたいと考えておりますが、身一つで流れてきた身。差し上げられるものを何も持っておりません。代わりと言っては何ですが、何かお手伝いできることはございますでしょうか。』


驚きのあまり、顎が外れるかと思った。あまりにも流暢で丁寧な共通語だった。昨日の獣のような振舞いや片言の聖王国語が嘘のようだ。昨日のことは抜きにしても、幼い少女が紡ぐ言葉とは思えない。

 少女はなおも言い募る。


『それともやはり物品の方がよいでしょうか。少しお待ちいただけるのでしたら、何としてでも働いてお返しいたします。』


そう言って、少女は沙汰を待つように黙した。

 緋倭斗は外れそうな顎を何とかカパリと元に戻して、手に持っていた器をそばに置いた。受けた衝撃が大きすぎてしばらく動揺が収まりそうにない。昨日から異常だらけの少女だったが、それ以上の異常がまだあるとは思っていなかった。


 普通、平民は共通語を話せない。共通語とは貴族やお金持ちの商人が国境を跨いだ交渉を行う際に使用するものだ。その言語をこんなにも流暢に話せるというだけで、高度な教育を受けていることが垣間見える。

 更に驚くべきことに、少女は片言とはいえ聖王国語を話し、それを苦手と言ったのだ。母国語を含めれば、少なくとも3か国語は喋れるとみて間違いない。


 緋倭斗はゆっくりと腰を落とすと、動揺を隠すように一つ咳払いをした。


『頭を上げて』


そう言って少女の肩に手を添えると、その子は恐る恐るといった風に顔を上げてこちらを伺い見た。


『何かをもらうつもりはないよ。言っただろう。僕は冒険者だ。困っている子を助けるのも冒険者の仕事だ。だからこれも仕事の一つで、君が気にする必要はない。どうしてもお礼がしたいというのなら、今後君が大きくなって誰か困っている子を見つけたときに、恩返しだと思ってその子を助けてあげて。』


安心させるようにゆっくりと語り掛け、にこりとほほ笑むと、少女はジワリと目に涙を浮かべた。そうして、少しうつむきながら


『このご恩は一生忘れません。』


ぼそりとそう言うと、次第にヒックヒックとしゃくりあげながら泣き出してしまった。


 緋倭斗は泣き出してしまった少女にどう対応すれば良いかわからず戸惑った。なんせ少女と接した経験はほとんどなかったのである。慰め方なんて知っているわけがない。しばしの間、オロオロと右往左往した後、泣いている少女の隣に腰を落として、背中をゆっくりとさすることにした。


 そうして少女はひたすら泣き続けた。




 それからしばらくして少女は泣き止むと、おなかの虫を盛大に鳴らした。あまりの音に思わず笑ってしまうと、少女は申し訳なさそうにシュンと縮こまってしまった。いたずらが見つかった子犬のようなその姿に、悪い悪いと言って先ほど持ってきていた自分の朝食を差し出す。


『たくさんあるから好きなだけ食べな。』


そう言うと、少女はしばしの逡巡の後、お礼を言いながら受け取った。また少女のお腹がぐるりと鳴る。相当お腹がすいていたのだろう。

 緋倭斗も一緒に朝食を食べようと自分の分も取りに戻った。途中でちらりと後ろを振り返ると、少女はキラキラとした嬉しそうなまなざしで一心にスープの器を眺めていた。その微笑ましい様子にフッと笑みがこぼれる。


 自分の朝食も器についで戻ると、少女はまだ食べ始めていなかった。緋倭斗を待っていたのかもしれない。両手を組んで食前の祈りを捧げ、食べる様子を見せてやると、少女も同じようにお祈りしたあと食べ始めた。


 久しぶりのまともな食事だったのか、少女はしきりにおいしいおいしいと呟きながら食べていた。しまいにはボロボロと大粒の涙までこぼしている。それでも食事にありつけるのがありがたいのか、涙を拭おうともせず、一心不乱に口に入れては咀嚼している。


(これは相当な訳ありだなぁ……)


そう思ったが、不思議と嫌な気持ちは沸いてこなかった。




 朝食の後、食器類や寝袋を片付けながら、緋倭斗は自己紹介をすることにした。


『改めまして。俺は緋倭斗だ。冒険者をしている。』


驚かせないよう、さりげなく昨日は持っていなかった腰の剣を見せる。


『年は13。出身はここ聖王国。好きなものはチキンステーキとハンバーグで、趣味は気ままに旅すること。あと釣りと料理。まあ料理といっても作るより食べる方が好きなんだけどね。最近は近くの端魔里之街に滞在しててね。仕事でこの慈愛の森の調査をしてるんだ。』


そこまで言って、フッと一息つく。少女は一言も聞き漏らすまいといった様子で真剣に聞いていた。


『君の名前をもう一度聞いてもいいかい?』


そう言うと、少女はコクリと頷いて語り始めた。


『アイシャ・イル・リベです。9歳です。』


その言葉に緋倭斗は少し驚いた。6, 7歳ぐらいかと思っていたのだ。9歳にしては発達が遅れているように見える。


『見ての通り、私は人族ではありません。獣人族の竜人一族です。生まれは聖王国リーキンダム東天人帝国イスト・マルスラの国境にある村ですが、訳あって最近まで東天人帝国の首都に住んでいました。』


それを聞いて、


(やはりか。)


と緋倭斗は思った。出会った当初は気づかなかったが、少女は明らかに人族にはない角と尻尾を持っていた。頭からは細く短い木の枝のような角が生え、陽の光を受けて黒曜石のようにキラキラと輝いている。臀部からは太く長いトカゲのようなうろこに覆われた尻尾が生えており、緊張しているのか、今はビタンッビタンッと地面を叩いていた。


 だが、竜人族という一族は聞いたことがなかった。


『そうか…… アイシャ、って呼んでも大丈夫かな?ご両親は今どこに?』


そう聞くと、アイシャはコクリと一つ頷いて、目を伏せた。苦しそうに唇を真一文字に引き結び、こぶしを握り締めている。


『両親は、1年ほど前に、亡くなり、ました。

頼れる、親戚も、友達もっ、いませんっ……』


そう言ったアイシャの悲哀に満ちた姿に、緋倭斗は胸が締め付けられるのを感じた。この様子だと魔族だか盗賊だかに村を滅ぼされたのかもしれない。そういえば旅を始めたばかりの1年ほど前に、とある魔族に5つの村が滅ぼされたという噂を聞いたことがある。なんでも怒り狂っていた魔族が報復のために殺戮行為を繰り返したのだとか。その魔族は未だに捕まっていないらしい。

 アイシャはそこの村の生き残りかもしれなかった。

 自然と眉間にしわが寄るのを感じた。魔族の被害を聞くと、いつもやりきれない気持ちになる。怒りに震えそうになる心を何とか落ち着けて、緋倭斗は話を続けた。


『酷なことを聞いて悪かったね。俺が想像もできないぐらいこれまで大変だっただろう。』


そう言うと、まだ涙の跡が残るアイシャの目元に、また涙が浮かんだ。このまま慰めてやりたい気持ちが沸き上がるが、これからのことをおざなりにすることはできない。


『これからのことなんだけどね。俺は一度、拠点にしている端魔里之街に戻ろうかと思ってるんだ。ここは辺境だけど端魔里之街は結構大きい街でね。ギルドも孤児院もある。良かったらアイシャも一緒に端魔里之街に行って、そこでこれからどうするのか、ゆっくり考えていかないか。』


できるだけ穏やかに聞こえるように尋ねる。


 アイシャはうつむいたままじっと考え込んでいたかと思うと、


『はい。』


とか細い声で返事をした。


 そうして2人で端魔里之街へ行くことが決定した。

3/29 聖王国の読み方をリーキンダムに変更しました。

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