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第7話

 

 やさしさを じょうみゃくちゅうしゃして

 さいこうそくで ひたはしる

 はるのゆうぐれ



 「死んだってよ、あのコ。ほら、お兄ちゃんが庇った。」

 「……」

 波星は無言でトーストを齧る。

 頭が痺れるように痛む。

 「駅前で派手に暴れたみたいよ。大勢、無関係な人も巻き込んで。」

 「……」

 「何か言ったらどうなの?」

 「うるさい。」

 「お兄ちゃんのせいだよ?暴走しそうなの分かってて見逃した。」

 「……黙れ。」

 波星は水の入ったコップを取ろうと手を伸ばす。

 「甘いよ。お兄ちゃんは。もっと殺して、殺して、殺さないと。」

 「死ね」

 波星の手が触れた瞬間、コップが弾けた。ガラス片と水滴が、キラキラと朝の光を反射して舞い踊る。

 ガラス片で皮膚が切れ、血塗れになった右手を見詰める波星。

 「……また出力があがったらしい。」

 「にゃはは。お兄ちゃんって、ほんと馬鹿だよね。」

 「そういうところも、からかい甲斐があって可愛いんだけどさ。」

 一人きりの食卓。

 両親も妹も死に、独り身には広い部屋だけが残された。

 いつ頃だろうか。淡い生活臭の残るその空間に、妹の紛い物が棲みついたのは。

 波星は部屋の一点を睨みつける。

 楽しげにポニーテールを揺らし、足をバタつかせる妹、夕姫(ゆうき)。あの頃と変わらない、制服のブラウス姿が眩しい。

 「ミライ人も、旧ミライ人も、プロリファレイトも、みーんなぶっ殺しちゃえばいいんだよ。そしたらお兄ちゃんは、英雄になれるよ。」

 「黙れ。」

 或いは、それは両親を、妹を、多くの友人達をプロリファレイト社に奪われた波星誠一の本心なのかもしれない。だが、2年前に殺された夕姫が、そんなことを知るはずもない。

 「えへへ」

 夕姫の紛い物が、波星の顔を覗き込む。小馬鹿にしたような表情。透き通った大きな黒い瞳。

 波星はガラス片を摘み上げ、軽く弾いた。

 「痛っ」

 夕姫の白い頬に、一すじ赤い傷が走る。

 「とっとと失せろ。千切りにされたくなければ、な。」

 冷ややかに微笑む波星。

 「ひっどーい!実の妹に暴力振るうなんて!最低最悪人でなしド屑お兄ちゃん!!100万回死ね!!禿げろ!!もげろ!!」

 ここぞとばかりに悪態をつく夕姫。

 しかし、千切り宣告が効いたらしい。

 夕姫の姿は空気に溶け込むように薄れ、やがて消えた。

 波星は流しで右手の血を洗い落す。既に出血は止まっていた。日に日に自然治癒力が強まっている気がする。軽く息を吐く。緊張が解け、どっと疲れが押し寄せた。

 不意に、テーブルの上のスマホが震えた。

 どうせプロリファレイト社からだろう。

 人手不足なブラック企業あるあるで、非番の日であっても偶に緊急の呼び出しがかかる。しかし、毎回呼び出しに応じていると都合のいいコマとして扱われ、休みなく働かされることになる。適度に応じて貸しを作りつつ、時々強めにゴネるのが理想のシフトを手に入れるコツだ。一瞬迷ったが、今回は応じることにする。

 予想通りの業務内容。昨日の『西浜ヶ咲(にしはまがさき)駅前ロータリー炎上事件』の後処理……目撃者の口封じである。口封じと言っても殺しはしない。ターゲットを気絶させ、脳に作用する薬を注射するだけである。しかし、昨日の記憶だけをピンポイントで消す薬は存在しない。そのため、急激な海馬の委縮を誘発し、記憶障害を引き起こすという手荒な方法になる。どうにも気乗りのしない、後ろ暗い仕事だ。

 波星はリュックに生乾きの制服とスポーツドリンクを詰め込み、部屋を後にした。


 「お届け物でーす!」

 平凡なマンションの一室、玄関先に配達員風の青年が二人。

 快活そうな青年、挟見(はざみ)がチャイムを鳴らし、声を張り上げる。

 「居ませんか?居るんでしょ?この時間に居ることは分かってるんスけどねぇ?」

 一見陽気そうな、しかしどことなく威圧的な物言いに、青年のガラの悪さが滲む。

 「ハハッ、居留守使ってやんの。開けろ、ナミスタ。」

 ナミスタと呼ばれた青年、波星はリュックから黄緑色の液体の入ったスプレーボトルを取り出した。波星はボトルから伸びたバンドのようなものを右手首に巻き付け、ボトルを固定する。

 「仮融着(かりゆうちゃく)

 小さく呟く。声紋認証確認。バンドに緑のランプが点った。バンドの内側から飛び出した管が針のように波星の手首に刺さり、液体が血管に流れ込む。激痛。

 「くっ……!」

 痛みに耐えつつ左手でボトルのキャップを開け、玄関ドアと床面の間に液体を噴射する。ノズルから伸びた粘性の高い液体がドアと床面の僅かな隙間へどろどろと吸い込まれ、数秒後、がちゃり、と内側からドアが開かれた。

 「やっぱいつ見てもキショいわ……」

 挟見が若干引いたように、ドアノブにこびりついた液体を眺める。

 プロリファレント社が開発した、ある種の簡易人体拡張システム。生体組織を模した人工組織を皮膚や骨、神経等と融合させ、余剰肢として用いることを可能にしたものである。但し、仮融着はあくまで簡易なもので、完全に人体に適合するわけではない。そのため、強引な仮融着は拒絶反応による激痛を引き起こし、融合自体も一分と持たずに切れてしまう。

 「じゃ、次はお前な。」

 「あー、ピッキング習得した方が楽な気するわ」

 軽口を叩きつつ、部屋へと足を踏み入れる二人。

 「お邪魔しまーす!……って、ん?」

 リビング内に視線を巡らせる狭見。

 「いねえな」

 視線を巡らせながら、寝室の方へ向かう。

 鍵はかかっていない。波星が慎重にドアを開けた。

 「え……」

 がくりと項垂れ、座り込んだまま動かない中年女性。ターゲットだった。首にはロープが巻かれ、先はクローゼットの取っ手に結ばれている。

 女性の許へ駆け寄る波星。しかし、女性は既に息絶えていた。

 自殺か。波星は直感した。

 しかし、ターゲットを見つけた時には死んでいた、などという事態は今まで見たことも聞いたことも無い。しかも、事故や病気ならともかく、昨日今日でそう簡単に人が自殺するものだろうか。

 「ふーん、口封じかねぇ」

 挟見が呟く。

 「まぁ何せ、ターゲットが消えたんなら手間が省ける。早く上がれてラッキーデーだわ」

 波星が挟見を睨みつける。

 「お前……人が死んでるってのに」

 ヘラヘラと笑う挟見。

 「死んだ奴気にすんのなんか、時間の無駄ろ?生きてるうちは生きてるモンだけ見ときゃいいんだよ。」

 「……」

 「落ち込むなって。俺ら何も悪くねえんだから。」

 波星の肩を叩く挟見。

 「とっとと撤収すんぞ」

 確かにこうなった以上、この場から一刻も早く去ることが先決である。遺体を放置したまま去ることには若干良心が痛むが、下手に通報すると二人の立場が危うくなる。背に腹は代えられない。波星は挟見に従い、撤収作業に入る。不法侵入の痕跡消去。とはいえ、やることはドアノブの指紋の拭き取り程度である。

 ドアノブ……波星には妙に引っかかることがあった。

 何故、ターゲットは頑丈な寝室出入口のドアノブではなく、耐荷重の低そうなクローゼットの取っ手を選んだのか。結果的に死ねたのなら、別にどちらでもいいのかもしれない。自殺であるならば。だが、もしそうでなければ。

 寝室の出入口を塞ぐと困る、理由があるとしたら。侵入の痕跡を残さず、窓のない寝室から出るにはこの出入口ドアを使うしかない。丁度、今の波星たちのように……。


 「遅ぇよナミスタ」

 挟見が玄関前にしゃがみ、仮融着の準備をしていた。

 『口封じかねぇ』

 先刻の挟見の言葉が、波星の脳裏をかすめる。現時点の波星には、あれが自殺でないという断定は出来なかった。しかし、挟見は遺体を一目見ただけで他殺と言い切っていた。早とちりかもしれない。だが、それにしても違和感がある。この男は、何か知っているのだろうか。


 「仮融着!」

 挟見がボトル付きの右腕を構え、次の瞬間苦痛に悶える。

 「痛っつー!何じゃこの欠陥品はぁー?!」

 呼吸を荒げ、涙目になりつつも何とか玄関ドアの戸締りを終える。

 「お前、地味に凄えんだな……」

 挟見が驚きと尊敬の混じった表情で、波星の方を見る。

 「はあ、そうかもな」

 波星は雑な相槌を打ち、リュックを背負い直した。

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