第5話
しょうじょは いった
「こうきしんさえあれば いつだってしあわせでいられる」と
せいねんは いった
「じんせいは あきらめでできている」と
嶋浅ひとみが、死んだ?
わけがわからない。
塾からの帰り道、同じクラスの嶋浅ひとみが居て。
待ち伏せしてた?らしくて。
キモいから「どいて」って言ったら何かブツブツ文句言ってきて。
ウザいから「死ね」って言ったら急に泣き出して。
腕を掴もうとしてきたから、振り払った。
そしたら嶋浅ひとみの頭が虫?みたいな感じになって。
思わず私は悲鳴を上げた。
そこから先は覚えてない。
気付くと制服のブラウスが赤黒い液体で濡れていて。血塗れの男が私の方へ手を差し伸べていて。男の背には昆虫のような翅が生えていて。怖くて。でも、とても綺麗で。
こいつが、殺ったんだ。
ほとんど本能的に悟った。この男は危険だと。
逃げなければ。早く。でないと嶋浅ひとみの二の舞になる。
私は走った。リュックがいつもより重く感じる。普段より妙に息が苦しい。左腕が鈍く痛む。もしかすると、折れているのかもしれない。骨折なんてしたことないから、分からないけど。
足が痺れ、最早自分が歩いているのか走っているのかも分からない。
アスファルトが、電柱が、看板が、街が白く光っていた。いつの間にか、夜が明けていた。
途端に、内臓が押し潰されるような吐き気が喉元まで込み上げた。街路樹に手をつき、そのまま寄りかかるように蹲る。
「おーい」
遠くから、声が聞こえた。
「なあ、聞こえるか?」
肩を軽くはたかれる。
「ううう……」
大鳶芽衣子は目を開けた。
20代くらいの気弱そうな男と、同じく若い二人の女。双子だろうか、二人の女は顔も背格好もそっくりで、同性の芽衣子でも見惚れるような美人だった。
「どうするよ…?救急車呼ぶか?」
「もう呼んでる。でも、私の身元が割れると面倒だから……逃げるよ!」
「了解です。お母様」
「ちょっ、マジか……!」
3人の足音が遠ざかって行く。
ちょっと……ちょっと待ってよ!!
声を上げようとしても、死にかけた蝉の鳴き声のような、微かなうめき声が漏れるばかりだった。
芽衣子は途方に暮れた。
「でさー、さっきから気になってたんだけど、その……?」
蟻牧は、『残機』とそっくりな女に視線を向ける。
「あー、あれ?娘だけど。」
『残機』はこともなげに答えた。
「娘……?」
「そう、昨晩産まれた。」
「はぁ……?」
『残機』と顔も背格好も瓜二つの女。彼女はどう控えめに見ても10代後半から20代前半に見えた。とても昨日今日生まれたようには思えない。
「単為生殖ってやつ。まぁ促成栽培だし、多少の機能は省略されてるけど、パーツの互換性に問題は無いはず。言語処理能力も少し不安定だけど、簡易AIチップ載せてるから、ざっくり意思疎通は可能よ。」
「パーツ……?AI?」
「言ったでしょ?『残機』だって。戦闘によってキミや私の身体が損傷を受けた場合の移植用予備パーツ。そうね……スペアとでも呼んでおこうかな。」
「手足を折られようが、心臓を抉られようが、あのコ達のを移植融着すれば問題ない。さすがに首を切られた場合は頭を挿げ替えることになるから、人格消滅しちゃうけど。」
「心臓って……移植したら、その、スペア?は……。」
「当然、死ぬよ。まぁ、また殖えるし?」
「な……」
蟻牧は絶句した。
「何だそれ……?!ないのか?倫理とか、人権とか!!」
「ない」
『残機』は即答した。
「相手は化け物なんよ?倫理とか、人権とか、そんなの一々言ってて勝てるわけないじゃん。」
「それは……」
首筋が急速に冷えていく。
「それに、私もキミも、もう人間じゃないし。」
『残機』が微笑んだ。
「ママー!」
『スペア』が声を上げた。
「やめてよ、ママって言うの。……恥ずかしいから。」
『残機』が少し顔を赤らめながら、『スペア』の方へ向かう。
「お母様、見て!もるふぉ!」
「もう!お母様じゃなくて、姉さんって呼びなさい!」
「姉さん!見て!見て!」
『スペア』が花壇を指差す。花の合間に、1頭のモンシロチョウが休んでいた。
「綺麗ね……。分かったから、騒ぐのはやめて。」
ばたばたと腕を振り回していた『スペア』は、不貞腐れたようにそっぽを向く。そんな態度に、つい蟻牧の頬が緩んだ。
「な、何ニヤけてるのよ!キモチワルイ……!」
『残機』も笑っていた。
こんな平穏な日々がずっと続けばいいのに。
蟻牧は何となく、そう思った。
いつの間にか、すぐ近くに『残機』の顔があった。
蟻牧の耳元で囁く。
「キミが重傷を負えば、スペアが死ぬ。その意味、分かるね?」
脅しだ。そう思った。
「人権だの何だの言うなら、怪我しないこと。私も援護はするけど……生き残って。絶対に。」
ひらひらと、白いものが空へ舞い上がった。いつもと変わらぬ青い空に、1頭のモンシロチョウが羽ばたいている。その姿は次第に遠ざかり、やがて雲の中へ溶けて消えた。
白い光が、瞼の裏を照らす。
「………!」
芽衣子は目を開けた。いつの間にか眠っていたらしい。
見覚えのない白い天井が、ガタガタと小刻みに揺れる。そういえば、さっきの人達は救急車がどうとか言っていたっけ。
助かったのか。私は。
「わかりますか」
グレーの服を着た男が、芽衣子の瞳を覗き込んだ。
ぎこちなく微笑み、手を差し伸べる。
その声に、態度に、眩しい光に。
不意に、昨夜の記憶がフラッシュバックする。
「あ、あ、あ、あ………」
男の腕に、ぽつんと赤黒いシミが現れた。シミは見る見るうちに広がり、やがて全身を塗りつぶす。生温く、どろりとした感触。それは、芽衣子の指先から腕へと這い上がり、肩へ、胸元へと迫る。
溺れる。
芽衣子は激しく咳きこんだ。
白い光がチカチカと明滅する。頭が痺れるように痛む。
「あ、あ、あ、あ……!」
自分の声が、どこか遠くから聞こえる。
いつだったか。
「綺麗な声だね」
嶋浅ひとみはそう言って、屈託なく笑った。
お世辞を言えば、いじめが止むとでも思ったのだろうか。小賢しい。けれどほんの少し、ほんの少しだけ、嬉しかった。
あ、あ、あ、―――
その声が、しわがれ、歪み、ノイズ混じりに割れて反響する。
血塗れの男が、怯えたようにこちらを見た。
美味しそう。
何故だか食欲が湧いた。
芽衣子の口が、いつの間にか針のように細く、鋭い形に変化していた。
芽衣子はそれを、男の胸に躊躇なく突き刺した。
どくん。どくん。どくん。
鼓動に合わせ、濃厚な血液を吸い上げる。そういえば、昨夜から何も食べていなかった。道理で、すごく、おいしい。
突如、芽衣子は何者かに肩を掴まれた。救急隊員の男が、芽衣子を取り抑えようとしていた。
そこにも、いたんだ。
食事を邪魔された怒りよりも、新たな餌を見つけた喜びに、芽衣子はにっこりと微笑んだ。