第4話
しょっかくをたてる
はりめぐらされたあみめにかかる
あまつぶひとつ
かぜにゆれる
とどかぬおもいがうかんできえる
なにもかも しってる
なにもかも しらない
しょっかくがはねる
あまつぶがおちる
波星は走った。
人気のない夜の住宅地。街灯が、波星の痩身を時折白く浮かび上がらせる。その背は丸く盛り上がり、シャツを裂いて透きとおった翅が生えていた。
アスファルトを蹴る度、波星は僅かに飛翔する。靴の先を30㎝程宙に浮かせ、滑るように駆け抜けていく。
左右のこめかみから、短いアンテナのようなものが跳ね上がる。しなやかに揺れる、2本の触角。
気配を感じる。敵は近い。
悲鳴が聞こえた。
波星は加速する。
前方600m
200m
50m
距離を詰める。
5m
屋根の高さまで跳躍する。
影が、波星に気付いた。うぞうぞと、胸部から黒い脚を伸ばす。顔を上げる。その黒い複眼が、粉々に砕け散った。声を上げる暇もなく、体液を噴出させ崩れ落ちる影。その胸元から、何かが転がった。
塾帰りだろうか。大きめのリュックを背負った少女。白いブラウスは血で黒く染まっている。
「うぅ……」
少女がもぞもぞと這い出した。軽傷で済んだらしい。
「立てるか」
波星は少女に手を伸ばす。
少女は怯えたように後退った。
波星の手袋からシャツの腕、肩の辺りまで、返り血で黒く濡れていた。
「あー……」
波星はシャツで血を拭った。再び手を差し出し、ぎこちなく微笑む。
「ヒィッ!」
少女は瞳一杯に恐怖を浮かべ、死に物狂いで背を向け駆け出した。
「心配なさそうだな」
波星は一瞬、寂しげに息を吐いた。突如、その触角が大きく揺れる。
「来たか……」
少女が走り去ったのとは逆方向の路地を睨む。気配には勘づいていた。
足音は二人。懐中電灯の光がふらふらと路地を照らす。
「はぁー、こんな夜中に仕事とか、勘弁してほしいっつの。」
「まぁそう言わず。さっくり片付けちゃおー」
若い男女の声。
緊張感の欠片もないその声に、波星は思わず舌打ちする。
素人とはいえ、仮にも戦闘担当だろうが。
波星の属する清掃担当の通称「A勤」とは異なり、暴走した旧ミライ人と直に対し、処理する「D勤」……。波星の倒すべきもう一つの敵……。
懐中電灯の明かりが不意に足を止めた。
白いシャツの前面を血に染め、背から翅を生やした青年の異様な姿が浮かび上がる。
二人の顔にさっと警戒の色が走った。
波星は逃げも隠れもせずに言う。
「処理対象はご覧の通り先に片付けた。テメェらがグズグズしてる間にな……。」
そのせいで人一人死ぬところだったんだぞ、と言いたかったが抑える。
「お前……旧ミライ人か?!何故暴走しない?!」
男が驚いたように声を上げる。
「さぁな……」
正直なところ、波星にもその理由は不明だった。しかし、戦うための力があるなら行使するまでだ。
波星の背が大きく割れ、黒く硬質な上翅が現れる。翅の中央に一対の赤い丸模様が毒々しく光る。ナミテントウの二紋型を思わせる姿だった。
波星は奥歯を噛み締める。
「申し訳ないが、消えてくれ」
苦し気に、しかし明確に殺意を込めて言い放つ。
「!」
女が、肩にかけたケースから小銃を取り出そうとする。その両腕が宙に飛んだ。腕を切り落とされ、唖然とする女の胸に、何かが突き刺さる。黒く長い、昆虫の脚。先程倒された旧ミライ人の脚だった。
「美奈!」
叫ぶ男の胸から黄緑色の脚が伸びる。
「警戒が甘い」
懐中電灯が転がる。
男が片膝をついた。女と同様、背に刺さった旧ミライ人の脚に腹まで貫かれている。
男の額に銃口が突きつけられた。
「言え。処理完了しました、と」
男は朦朧とした意識の中、呟く。
「しょ……り、かんりょう……し、ました……」
破裂音。男の首ががくりと垂れた。
波星は小銃を女の足元に放った。男は不幸にも流れ弾を食らった、そういう「設定」である。
命の終わりは案外あっけないものだ。
彼らは敵だが、罪はなかった。ただ利害の衝突があっただけである。死んでいたのは自分の方かもしれない、波星はそう思うことにしている。
処理完了の報告を受け、直に夜番のA勤が駆けつけることだろう。
D勤の二名は暴走した旧ミライ人と文字通りの死闘を繰り広げ、相打ちとなり殉職。これが波星のシナリオである。早々にこの場から立ち去らねばならない。
波星は踵を返した。
「……もしもし。あー、藤上くん?お疲れ様ー。」
「……悪いんだけどさ、キミ、配置換わってくれないかな?」
「……ちょっと欠員出ちゃってさー、今ピンチなんだよねー。」
「……あーそうそう。手伝ってもらえるとすっごく助かるんだけど。」
「……キミ若いし、動けるって上でも評判だから。」
「……いや、お世辞じゃないよホントホント。」
「……どこって、えーっと、D勤?」
「……いやキミならできるよー平気平気。体力さえあれば。稼げるし。割はいいと思うよー。」
「……お、いいねー。ありがとー。じゃ、今週……水曜あたり、一回本社来てよ。うんうん、了解。」
「……あ、そうだ。こないだキミが紹介してくれた子……蟻牧くんだっけ?彼も今D勤だから、会ったらよろしく言っといてよ。」
「……じゃ、水曜。頼むねー」
通話終了。
藤上はスマホを置き、溜息を吐く。
相変わらず、一方的に喋る上司だ。
しかし……勢いに圧されてつい承諾してしまったが、D勤とか言ってたか?
D勤……ヤバいという噂は本当だろうか。何でも、身体を化け物に改造されて、生きては戻ってこれないとか……。いやまさか、現代日本でさすがにそんなことはないだろう。
しっかし、蟻牧、あいつもD勤かー。会ったら殴られるかもな。
藤上は苦笑した。




