第2話
ぱりぱり しゃくしゃく
ぱりぱり しゃくしゃく
みわたすあたり みどり みどり
みはてぬほどに みどり みどり
わかば わかば ぼくわ ばかだ
わかば わかば ぼくは わかば
ぱりぱり しゃくしゃく
ぱりぱり しゃくしゃく
ファミリーイレブン浜ヶ咲西花町店内。
レジカウンターに突っ伏した青年。店員だろう。首元から夥しい量の血が流れ、床まで滴っている。既に呼吸は無い。
「俺が、早く駆けつけていれば……!」
波星は拳を固く握りしめた。端正な顔立ちに似合わない、ぎりりと音のするような殺気。
その震える作業着の肩が、ぽんとはたかれる。
「まぁ、そう気負わず楽にやれって。若いのに。禿げるぞ?」
浅黒く、ひょろっとした青年。波星と同じ青い作業着。同僚の藤上である。
「大丈夫だ。もう禿げかけてる。」
真顔で答える波星に、藤上が噴き出した。
「何が大丈夫だよ。気にしてるくせに、素直じゃないねえ。」
「今度金入ったら育毛剤おごってやるよ。箱で。」
今度は波星の背を勢いよく叩く。
「おら、働け。10分後に補充がくる。」
「……了解」
波星は高圧洗浄機のスイッチを入れた。
モーターの駆動音と共に、迸る水流が見る間に血溜まりをかき消していく。
藤上も、悪いやつではないのだ。口は悪いし、倫理というか、人としてどうかと思う部分もあるにはあるが、あれで面倒見はいい。気遣ってくれているのだろう。口は悪いが。
「補充って何です?」
人懐っこそうな顔の新入りが訊ねる。波星は作業に集中するふりで無視した。
「ほら、手伝え。お前は脚の方持て。奥にあと3つあるぞ。」
藤上が店員の死体をカウンターから引きずり起こす。新入りは顔を顰めながらも藤上に従い、死体を店の外へ運びに出た。
波星は少し息を吐く。
波星たち、通称A勤の業務は清掃だ。しかしその内容は少々特殊である。
この世界には旧ミライ人、と呼ばれる存在がいる。普段は人間として暮らしているが、時折暴走し、人間に危害を加える。そうした事態の収拾にあたっているのが波星ら、プロリファレイト社の下っ端である。
まぁ、実態は収拾というより隠滅なのだが。
現代日本で社会問題となっている少子高齢化、ひいては労働力の不足。それらを解決するための切り札の一つが『異次元のミライ計画』だった。
少子化の根本である少産少死型社会を改め、多産多死型社会へ移行することで労働力の不足を補い、社会の若返りを図ろうという発想。
その実現に向け、人材派遣大手のプロリファレイト社はある研究を進めていた。
人間のような少産少死型とは逆の多産多死型生殖で繫栄してきた生物たち、主に昆虫等の小動物の形質を人体に取り入れることで、多産と短期間の世代交代を可能にする。
……非合法の人体実験である。そして、実験には失敗がつきものだ。さらに悪いことに、失敗作の形質は外部へ漏れ出し、知らず知らずの内に多くの人の体内へ侵入した、らしい。
原因は分からない。ただ、寄生虫などを媒介し、異なる生物種間で遺伝子が転移するという現象はある。遺伝子の水平伝播、だったか。それに近いことが起きたのではないか、というのがプロリファレイト社の見解だった。
そうして各地へ散らばった失敗作たち。ミライ計画の出来損ない。それが「旧ミライ人」である。つまり、身から出た錆。
本来なら人道上許されることのない、重大な過ちである。しかし、それを告発しようとした者はことごとく行方不明として「処理」される。旧ミライ人達の起こした事件も同様だ。
そして今日も、見せかけの平和が保たれる。
「まあ、こんなところか。」
波星は額の汗を拭う。
床もレジカウンターも元の白さを取り戻していた。血に染まっていた光景が噓のようだ。
慌ただしい足音が聞こえた。「補充」が来たようだ。
彼らと入れ違いに、波星は店を出る。
駐車場には2台のワゴン車が停まっている。波星達のものと、「補充」達のもの。その2台と店内とを新入りがキョロキョロ見比べては、青ざめている。
「先輩、あ、あの、さっきの人達……」
「補充」達が配置についたようだ。ファミイレの制服を着た彼らの姿は、先ほど店から運び出された死体達と瓜二つだった。
何度見てもあまりいい気分はしない。
ミライ人。旧、ではない完成形だという。
アブラムシの形質を取り込んだミライ人の単為生殖によって生まれた人々。間に合わせで生み出されたために、所々挙動不審で意志薄弱。寿命も2年生きればいい方らしい。
労働力不足の解消、そしてゆくゆくは人類の大半を彼らミライ人に置き換え、企業や国に2年ごとの買い替えを促すことにより多額の利益を得る。それがプロリファレイト社の狙いだろう。
「こんなものが、未来か。」
波星は呟く。この理不尽を、壊さなければならない。
波星は静かに闘志を燃やしていた。
藤上は、店の入口の傍で煙草を吸っていた。煙がゆらゆらと昇り、空へ溶ける。先刻とは打って変わって晴れやかな青空が広がっていた。温かな春の日差しが心地良い。平穏。そんな言葉が似合う、何てことないいつもの午後だった。
「そういやあいつ、どうしたんかね。」
てっきり藤上と同じA勤の配属になると思っていたが、どうも来る気配がない。それどころか、あの日以来何の連絡もなしだ。……月収300万なんてデタラメで騙したことに腹を立てたのかもしれない。今時そんなうまい話に飛びつくあたり、やはりあいつは相当なアホだ。いいやつではあるが、ちょっと先が思いやられる。
「ま、どうでもいいけど。」
他部署のことはよく知らないが、あいつも何とかやってるだろう。……まさか、ヤバいと聞くD勤ということも無いだろうし。
「うまくやれよ、蟻牧。」
灰皿に、煙草の灰が落ちた。