第11話
「なぁ、お前」
アパートを出た所で、藤上が波星に切り出した。
「無理してるだろ」
「……」
無言で俯いている波星に構わず、藤上が話を続ける。
「分かるんだよ。お前が何か背負い込んでるのは。悩んでるなら言えよ。」
「……」
「お前のことだから、女絡みじゃなさそうだな。仕事のことか?転職の相談なら聞くが。」
藤上が苦笑した。
「俺もな、正直マジでムカついてんだ、プロリファには。ったく、とんだブラック企業だよ。……何せ人の身体勝手に弄って、化け物にしやがるんだからな。」
波星が視線を上げる。
藤上がシャツの胸をはだけた。藤上の浅黒い肌を突き破り、一対の黄緑色の槍が姿を現す。アブラムシの脚。
反射的に身構える波星。その目に鋭い光が宿る。
アパートの柱の陰から、ヒエノがじっと波星を睨んでいた。
「そう怖い顔すんなって。」
波星の肩をばしばし叩く藤上。
「A勤に居た頃から薄々ヤベー会社とは思ってたが、まさかバイトを化け物に改造して、化け物にぶつけるとはな。どこの特撮番組ですかっての。」
おどけた口調の藤上。しかしその表情は暗い。
「波星、お前はとっとと逃げろよ。……俺みたいに、化け物にされてからじゃ遅い。D勤には近付くな。」
波星は何か言いたげに藤上を見て、すぐに俯いた。
「……帰る。一人で。」
振り絞るように、波星が言った。
「あ、あぁ……大丈夫か?その傷は……」
「問題ない。」
藤上の返事を待たず、早足で歩き出す波星。
波星の態度に気圧され、藤上は立ち尽くす。
「あんまり思い詰めんなよな……。」
藤上の呟きは夜闇に溶けた。
波星は帰宅と同時に左胸を押さえ、暗い廊下に倒れ込んだ。
呼吸が荒い。
鼓動がやけに煩く響く。
再生力が上がっているとはいえ、急所を撃たれたダメージを甘く見ていた。無理もない。普通の人間なら即死していた筈だ。
不意打ちとはいえ、警戒を怠らなければ避けられたはずの襲撃。
その後の自分の反応はさらに不味かった。痛みに気が逸れ、反撃が遅れた。
あの時、藤上が現れる前に2人を殺していれば。
いや、藤上がいる状況でも、2人を殺す機会は幾らでもあった。適当な口実で2人を藤上から引き離せば。
或いは、藤上とヒエノという女も含め4人纏めて。直接聞くまでもなく、あの状況で現れたという事実から、藤上もまた戦闘用に改造されたアブラムシ型ミライ人であることは推測できた。
なのに、波星には誰一人殺せなかった。
傷のせいだけではない。
不意に現れた元同僚の藤上と、その知り合いらしい蟻牧というアブラムシ型ミライ残機の青年。表情豊かなアブラムシ型ミライ本機の女達。
そして藤上に促され足を踏み入れてしまった、蟻牧の部屋。そこには確かな人間の生活感が漂っていた。
波星が無意識に、否、ある程度意識的に避け続けていたもの。
波星が敵視し、殺し続けているミライ人達、さらに暴走した旧ミライ人達にもまた、波星と同じ「生活」があったこと。
彼らを殺すということは、その生活を、何気ない日常を奪うことだ。分かっていた筈なのに、覚悟していたはずなのに、逃げていた。
考えないようにしていたその事実を、まざまざと見せつけられてしまった。
動揺してしまった。
たとえどんな事情があろうと、彼らがD勤のミライ人である以上、波星にとって倒すべき敵であることに変わりない。けれど、今の自分に殺せるだろうか。あの部屋の住民である青年を。そして先日まで同僚だった藤上を。
「あ……あぁ……」
波星は呻いた。
心臓を抉られるような痛みは、傷のためだろうか。それとも……。
こんな時、夕姫なら何と言うだろう。迷わず殺せと言うだろうか。
たとえ紛い物でもいい。今までの自分は間違っていないと肯定してくれる、背中を押してくれる存在が欲しかった。
「……出て来いよ。見てるんだろ?」
波星の呼びかけに応える者はいない。
波星は仰向けになり、両手を広げた。
「肝心な時に、無視かよ。」
苦笑する波星。その頬を一筋の涙が伝った。
「おーおー、派手にやったねぇ」
静まり返った深夜の商店街に、動く人影があった。
ラフな服装の快活そうな茶髪の青年、挟見だ。
挟見は持っていたステンレス製タンクの蓋を開け、マダニ型旧ミライ人達の死骸が散乱する床に中身の液体、ガソリンを撒いていく。
夥しい数の死骸は全てマダニ型。つまり彼らと交戦したはずのアブラムシ型は、マダニ型を殲滅して無事逃げ延びたということか。
挟見は目を細め、冷静に分析する。
せいぜい2、3人でこれだけの数を倒せるとは、アブラムシ型も案外馬鹿にできないかもしれない。そう考えたところで、ふと、挟見は天井を見上げた。
アーケードの屋根に大穴が空いていた。丁度人が1人通り抜けられるサイズだ。
挟見の口もとに残忍な笑みが浮かぶ。
「……ナミスタ、お前か?」
暴走した旧ミライ人と、それらを処理するために派遣されるアブラムシ型ミライ人。その両者を叩き潰すために生み出された試作ナミテントウ型のピース、それが波星誠一という存在だ。
この場所にヤツが現れたのだとしたら。この大量のマダニの死骸もヤツの仕業なら理解できる。
しかし、それならアブラムシ型の死骸が無いのは不可解だ。仕留め損ねたか、或いは、わざと逃がしたか……。
「繭鉢に報告だ。洗脳レベル、ブチ上げねぇとな。」
挟見は呟き、空になったタンクを投げ捨てた。
不意に、自転車のブレーキ音が響いた。
商店街の入り口付近に少年が1人。自転車を降り、呆然と佇んでいる。
「目撃者か。」
挟見は振り返るまでもなく、その存在を知覚した。
少年の身体が宙に浮かび、上半身と下半身の位置がズレた。
横一文字に切り離された上半身と下半身がバラバラに落ち、一瞬遅れて断面から血が溢れ出す。
「不憫だねぇ。同情するよ。」
挟見は何の感慨もなく呟いた。
挟見の腰部から長い茶色の尾が伸びていた。硬質で先が鋭く、内向きに弧を描いた二股の尾は巨大な鋏を思わせる。エゾハサミムシのハサミだ。
挟見は血の付いたハサミを揺らしながらアーケードの支柱を一気に駆け上り、屋根に空いた大穴から跳躍した。
挟見の背が割れ、身長よりも大きな一対の翅が飛び出した。力強く羽ばたき、高度を上げる。
去り際、挟見は胸ポケットから出した金属製ライターに火を点け、大穴に投げ入れた。
数瞬後、爆発音と共に商店街全体が炎に吞み込まれた。




