葬列
昭和二年 十一月二十六日
周に会えたのは、結局、あれが最後になった。
十一月二十三日から二十四日にかけて生まれたのは双子の男児で、一人産んだら、瀬原衆の産婆が逃げ出した程の難産だったらしい。
残りの一人は長が取り上げたそうだが、周は助からなかった。
其の、日を跨いでの産みの苦しみの後、長と、男の赤子二人が残されたのである。
初は、黒い喪服姿で戻って来た兄達を、義姉の景と、妹の仲と一緒に、泣きながら迎えた。
過去に、揃って巫女だった事の有る、景も仲も、周と懇意だった。
しかし、長の妻の葬送ともなると、通夜や葬儀に集まる人で、まるで館が破裂しそうな有り様だという。
其れで、長の一門、瀬原衆の住む下方限の住民を優先して、周の実家の吉野本家以外は、上方限からは、清水家、坂元家、実方家の本家の男性以外は参加を遠慮する事になったのである。
初は、自身も黒い喪服を着た儘、一人で庭に出た。
そして、友を見送る事すら叶わない、自分の気持ちを持て余しながら、庭の犬槇の生け垣の傍に立った。
庭に在るもので弔意を示しているのは、自身の喪服くらいのもので、風は強いが、冬の晴れた空は美しく、犬槇の針の様な葉は冬も緑で、垂らして、風に煽られる儘にさせている初の髪も瑞々しく、死は、遠い事の様に思えて、急に会えなくなってしまった周についても、実感が持てない。
―こんな別れ方をするとは、思ってもみなかったわ。信じられない。本当に、嘘みたい。あの館に、庭からコッソリ御邪魔したら、こんな御天気の良い日だから、縁側に出ていてくれるのではないかしら、って。
しかし、初が、生け垣の隙間から、そっと盗み見た本通りは、時折、白い喪服の人と黒い喪服の人が行き交って、普段とは違う出来事が起きている事を示していた。
―上方限の人は黒い喪服で、下方限の人は白い喪服だから、直ぐ分かるわ。
何故違うのか、初には理由が分からない。
ただ、其れ等の、色彩を失った人々の往来が、全て周の為である事、ただ其れだけが、初の救いだった。
初は、立っていられない気分になって、生け垣の傍に座り込んで、顔を覆って泣いてしまった。
―無事生まれたら、出産祝いを何にしようかしら、何て、ウキウキと考えていて。本当に、こんな別れ方をするなんて、思いもしなかった。
そうして、初が一人で泣いていると、未だ喪服姿の俊顕が傍に来て、隣に座ってくれた。
初は、泣き顔を上げて、何故、と言った。
「如何して、こんな事に…」
「若過ぎたのだろう。未だ、双子を産める様な体になっていなかったのだ」
長兄の慰める様な声音に、初は、涙を少し零すと、そう、と言った。
「若過ぎたのね」
―そう思う事にしましょう。其れが事実でも、そうでなくても、何方でも構わないから。
『何故』に答えが貰えたのである。『理由』を作ってもらったのだ。理由が有れば、其のせいにして生きていける。
―若過ぎたから、ね。そう思いましょう。
そう思わなければ、如何して友を失って、生きていけよう。
―あんまり、早かったからね。若過ぎたから。
本当は、初も知っていた。
幾ら出産年齢が早くても、無事に御産が出来る人も居れば、十人産んでも平然としている人も居る。
だが、其処には、今は目を逸らしていないと、初は息が出来ない。
其の人達は周ではなかった、ただ其れだけの事なのだ。
今、其れ等の現実を見る意味は、初には無い。
全力で目を逸らして、ゆっくり息をしなければならない。
息をしながら、初は、一呼吸毎に涙が溢れ出すのを止められなかった。
妹二人が夭折してしまった時と同じだ。
死とは理不尽なのだ。
時として、理由も与えてくれない程に。
だが、優しい此の兄は、初の『何故』に、理由を作ってくれた。
死の理不尽にだけは、如何しても慣れる事が出来ない初だが、其れを、初が生きない理由にしてはならないのだ。
幸せだ、と、周は言っていた。
如何しても、子が欲しかったと言っていた。
其れだけは、周は、叶えたのだ。
命懸けで。
―ゆっくり息をしよう。今は涙が出ても構わないから。息をするのを止めては、いけないのだわ。
染料が高価という事も有り、黒い喪服の普及は明治以降で、江戸時代は白い喪服の方が一般的でした。
明治11年の大久保利通の葬儀から、黒の大礼服が、上流階級において喪服と認識されたそうで、和服では、男性は紋付地黒の羽織袴、女性は黒色の紋付が着用されるようになりましたが、地方では、昭和四十年代でも、白い喪服の地域が有ったようです。