色づく地肌
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、「ブラックダイヤモンド」を知っているかい?
ああ、いや映画のタイトルじゃないよ。とあるリンゴの呼び名だ。
リンゴの色といったら、たいていの人が赤なり緑なりを思い浮かべるだろう? でもブラックダイヤモンドは、その呼び名の通り黒。厳密には濃い紫色に染まるリンゴを指すんだ。
ごく一部の高地でしか栽培ができないため、めったに市場へ姿を見せることはない。あまりの希少さに、現在提供されている画像は合成なんじゃないか、という声もちらほらと顔を出す。
日本でも品種によっては、このブラックダイヤモンドに似た、黒みを帯びていくのだとか。特に涼しい地域だと。
色が違う、というのは果実以外に生き物でも問題が起きやすい。人間でも肌の色の差別は根強いし、動物の中でも色違いは嫌でも目を引く。
どうして僕たちは、ここまで色の違いに注目してしまうんだろうか?
そのことについて、少し前から調べてみたんだけど、ひとつ興味深い昔話を仕入れてね。よかったら聞いてみないかい?
むかしむかし。現在の東北地方にあたる奥羽の片隅に、六郎という男がいた。
平安時代にこの辺りに逃げてきた、落人の血を引くと親に言い聞かされて育った彼は、家業たる果樹の栽培を行っていた。リンゴもその対象のひとつだったんだ。
日本におけるリンゴ栽培が本格化したのは、明治時代のことといわれている。逆を返せば、「本格」でない細々とした栽培は、中国から伝来してきた奈良時代以降、行われていたということ。もっとも涼しい環境である東北に限られたことだけどね。
リンゴはその物珍しさから、売りに出すとそこそこの値で売れて、六郎が生計を立てるには十分だったという。
そしてある年の明け。
剪定にのぞむ六郎は、ここしばらく強烈な日差しに照らされっぱなしだった。
新しく植えた樹たちの主枝の先端を狙い、切り詰めていく。こうしておくと、あとあと枝が太くなり、側枝がとる角度も広くなる。ついでに降雪にも耐えやすい枝に育つ。
六郎が試行錯誤しながら学んできた手順だった。
そうして何日も日に当たるものだから、あっという間に六郎の肌は浅黒くなってしまう。少し会わずにいた友人からも、少したじろがれてしまうくらいだったという。
リンゴは直射日光に弱い。このままの陽気が続くと、果実に負担をかけるかもしれない。
六郎は例年にも増して気を遣ったが、摘果の時期を迎えても、葉摘みの時期を迎えても、月の多くは日差しの緩まることのない、好天が続いた。夜になっても、星が見えない日の方が少なかったのではなかろうか。
肌を日に焼きすぎたのか、六郎はだいぶ前から体中にひりつく痛みを抱えている。葉摘みはリンゴ全体に日差しをあて、色づきのムラを防ぐ手だが、今回ばかりはあまり葉をのぞく気にはなれない。
――最悪、「玉回し」だけで調整をかけるか。
収穫する前に、玉となったリンゴの果実を軽く回し、全体の色づきを整える工程だ。最悪、色づきが良いものだけを、先にえりすぐって採ってしまい、収穫を複数回に分けることも六郎は検討し始めていた。
だが、いざ収穫の時を迎えて六郎は頭を抱えてしまう。
選び抜いて育てたはずのリンゴたち。そのおよそ4割が焦げ付いたように、黒い肌をさらしていたからだ。
わずかな赤み、青みすらも残さない真っ黒。これが一晩にして成ったというのだから、六郎の心労は察して余りある。
もちろん、売り物として出すわけにはいかない。かねてからの予定通り、見た目の整った連中を「すぐりもぎ」して、市場へ出していく。当初こそ、これまでの積み重ねもあって、売り上げは良かったものの、第二弾、第三弾ともいではついでいくにつれ、少しずつ売り上げは悪化していった。
おいしくなかったんだ。
六郎自身も味見をしてみたが、これまでのように蜜を内側へ閉じ込めるような、「玉」の固さを感じなかった。
手で触るまではいい。それが皮を越えて果肉に歯を立てる時、触れた端からボロリボロリと崩れていくなど、あるものか。わらか炭かのように、剥がれ落ちたその奥には、どこまでいっても蜜はなく、ただただ白い地平が広がるばかり。
ダメもとで、黒いリンゴに手を出してみたが、これはもっと悪い。無味に無味が重なって、半紙をかじっていた方がまだましではないかと思わせる。
今回はさんざんにやられたと、六郎は歯がみをしたそうだ。
来年こそはと、じきに訪れる剪定時期へ向けて準備を進めていたとき、ある珍事が六郎の知るところとなった。
ここのところ、飼育している馬たちがやたら肥溜めに興味を示すのだという。しかも、大半が六郎の持つ肥溜めに対してだ。
リンゴは植え付けてから数年は大食らいだ。六郎も心得ていて、肥は多めに確保するようにしている。それはつまり、自分が「花を摘んだ分」も多分に残っているわけだが……。
タチの悪いことに、馬たちは六郎のお通じが良く、肥を足した翌日に首を向けることが多かった。飼い主が引き戻してくれて、まだ大事には至っていないものの、このままだと本当に首を突っ込みかねない。
そこで六郎は、はたと思いついてしまう。
馬は甘いものを好む。数年前、自分が育てたリンゴを買い、ごほうび代わりに馬へ与えているのだと、とある飼い主が話してくれたことがあった。
もしや……と、一仕事終えて汗をかいた折に、垂れ落ちる自分の汗を拭って、なめてみる。
甘かった。自分の舌を疑いたくなるほど。それが二なめ、三なめになって確信に変わる。これはリンゴの味だと。
その日は長く、長く体を洗って汗を落としたものの、翌日にはまた台無しになった。
例の強い日差し。
剪定しながら、大量に汗をかいて一息つく六郎のそばを、一頭の馬が主につられて通りかかったとき。
馬が首を下げたかと思うと、ガッといきなり六郎の頭へかじりついたんだ。
手拭いを頭に巻いていなかったら、そのまま頭蓋にかみつかれて、骨も砕かれていたかもしれない。飼い主が手綱を引いたときには、すでに馬が六郎の頭から手拭いをかじり取り、美味そうに何度も何度も咀嚼しているところだった。
自分のよだれでべちょべちょに濡らしながら、すでに手拭いはズタボロになっているにもかかわらず、馬は飽きずに何度も噛み続けている。
飼い主に平謝りされる六郎だったが、この一件でなお確信を強めたらしい。
どうやらいま、自分がリンゴで、リンゴが自分になっているのではないかと。
その日から、日差しはウソのように引っ込んでしまった。いち早く訪れる冷たい風は、リンゴにとっての良い環境といえたが、このときばかりは歓迎できない。
いまのリンゴは自分なのだ。下手に汗と一緒に、内へ閉じ込められるようなことがあれば、ますますこの症状はひどくなるのではないか。
六郎は家の外でも内でも、進んで汗を流すように努めた。そのたび、昨年は味わうことのできなかった、リンゴの芳醇な香りが漂うのだが、気を乱したりはしない。
今回は日の当たらない日が多いこともあって、浅黒い肌も少しずつ色が引いていく。再び収穫の時期を迎えるころには、六郎はもとの白色に近い肌を取り戻していた。
その年に成ったリンゴたちも、例年通りの赤や緑。黒色のものはひとつも現れることはなかった。その味もまた、昨年に自分の汗で味わったような、甘い蜜をたっぷり含んだものに戻っていたという。
生涯、六郎はリンゴの色のみならず、自分の肌の色も気にかけ続けたのだとか。