不籍の神との出会い 8
ごくり。
と生唾を、飲む。
「そ、…それじゃ…失礼して、」
恐る恐ると耳を撫でる。きれいに整った柔毛に覆われた耳の付け根を揉むように触れる。
柔らかい。触れた手が、快感を訴えてくる。
「ふふっ。」
くすぐったそうなコガの声が聞こえるが、それどころではない。
付け根を柔らかくつかんで、毛の流れに沿って耳の先まで撫でていく。せめて触れるなら不快感は与えたくない。柔らかく、それでいて慈しむように耳を撫でる。
「おおおぉ。」
身震いと共にコガの感嘆が響く。
そのまま、耳の付け根から頭部をやさしく撫でていく。撫でる。揉む。なでる。
「おぉぉお!」
ばっ、という効果音が似合うような動きでフェルトに向き直ったコガがフェルトに向き直る。
「フェルトはすごいな!つづけろ!」
随分とうれしいことを言ってくれる。
「いいんですかっ!!!」
喜んで更に気合を入れて撫でまわしていく。
ふと、何かを忘れている気がする。それもとても重大なことを、忘れている気が、する。
突如として巨大な何かの力が叩きつけられたような音が、窓の向こうから聞こえてきた。
「いや、何くだらないことやってんだ!俺!」
どれくらい時間がたったのか分からないが、急いで立ち上がると断続的に炸裂音が外から聞こえてきた。
「くだらないってなんだ!」
「ひでぶっ!」
どこから取り出したのかコガが尻尾型のはたきを手にもってフェルトの頬をひっぱたいてきた。
ひたすらに痛む頬をさすりながら外を眺めると、窓から見える家々の向こうから土煙が大きくたなびいていた。
固唾をのみながら土煙を眺めていると、またもや炸裂音が轟き、砂の柱がたつ。
家の外では、いつの間にやらあれほどいた人の姿は見当たらない。
またもや炸裂音が鳴り、爆発が起こる。続く爆発音は段々とその爆発が近づいてくるのを感じさせる。
フェルトはこれまで生きてきた中で、聞いたこともない音や、知らない景色を叩きつけられたせいで、窓枠を掴む手に力が入り、震える。断続的な戦闘音は近づいてくるにつれ、必死で戦う大人の姿が見えてきた。
逃げなきゃ、いけない…!フェルトが体を翻すと、崩れる家の向こうから母親が頭から血を流しながらも走っているのが見えた。
「母さんっ!!」
「フェルト!!そこから早く逃げなさい!」
「っ!!」
母の聞いたことが無い必死の声に身がすくむ。
「さっき、この村から全員避難することになったの!とにかく急いであいつの反対側へ!妖霊除けの結界で逆に閉じ込めるて身を守るの!」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「フェルト!しっかりなさい!この村は必ず取り戻すわ!だからひとまず避難しなさい!私はゼスの所に行くわ。」
古い記録では見たことがあった。
巨大な妖霊が生まれてしまった場合、下手をしたら町一つが亡ぶ、と。
でも、そんなことは今まで聞いたことは無かった。そのような不幸が自分に降りかかるとは思っていなかった。
がっしりと肩をつかまれながらフェルトは現実感を取り戻す。
「いい?みんなそれぞれ家族に伝えて回ってるの。洞道側に逃げるようにって。妖霊の大きさからすれば洞道には入れないからって!いいこと?急いで!」
そう言い放つと踵を返して遠く、煙の立ち上る方向に向かって駆け出して行った。
いきなり自分の家を失う、と言われて現実感などあるはずがなく、それを受け入れられるわけもない。
わけもないが、わかっている、逃げるしかない。…それしか、ない。
未練も戸惑いも心の奥に押しとどめて命じられるままにフェルトはコガの手を取って逃げようとすると、
「フェルト、それでは、いけない。それは、お前は望んでいない。」
フェルトはコガを引っ張った手から、逆に引っ張り返された。
どこにそんな力があるのか分からないが、不思議な圧力を小さな少女から感じる。
「フェルト、コガは、約束を守るためにここにいる。だから、」
「そんなこと言っている場合か!?大人たちでも抑えられないのに俺に何ができる!逃げるしかないんだよ!」
「聞け!フェルト!」
フェルトは焦りのまま怒鳴ると、その勢いよりさらに強く怒鳴り返された。
「私はフェルトの力になる。私を信じろ。守るために、私は産まれたんだ。」
冗談、と鼻で笑うことはできなかった。
「でも、俺は依代を使えなくて…。」
「違う。コガがいる。フェルトは、戦える。」
フェルトの迷いを目の前の少女は即座に否定する。
わかっている、ありえないと。
ただ、その目には信じさせたくなるような輝きを放っていた。
「お前がいれば…、助けられる、のか?」
「ふっ。今この場は呼称の不敬を許そう。フェルトが信じるのならば、信じて、くれるのなら…助けられる。
さあ!コガの手を取れ!」
見つめてくる金色の目はどこまでも真っすぐで…
柔らかな笑顔をたたえて恐る恐る伸ばしたフェルトの手を取るその姿は、
「あぁ、太陽みたい、だ。」
苦笑しながら、そう、思ったのだ。