不籍の神との出会い 7
「おれは、行くよ。だから、本来知っておくべきはずだったことを教えてほしい。」
決めてしまえば、心持は軽い。未だ真剣に話を続けている両親や村長に対して声をかける。
「フェルトは黙っていなさい。あなたは16なのよ。…?」
母はにべもない返答をしつつ振り向いたが、自分がコガと手をつないでいるのを見て色々と悟ったようで、ゆっくりと後ずさる。
「フェルト、お前は…行くのか?」
父が呆然と呟いた。
両親のその姿は、言葉を失った、という表現がしっくりくる。
覚悟というには大仰だし、怖くないかと言われれば怖いと答えてしまう。でも、だからといってコガ一人で行かせるなんて選択肢は自分の中には、結局無いのだ。こんな自分にでも助けを求めていた声がしていた。そしてその声に応えた以上、やらなければ後悔する。
自分の思いが見えたのだろうか、二人はあきらめたように肩を落とした。
「そう、か。フェルト、私たちが知っていることは全て話そう。」
村長は静かに話し始めた。
この村は依代が使えない誰かを待つために最初に作られ、そのために村は依代が無くても不便が無いように作られた、ということ。
この村は第二次種族戦争の争いの末、世界が滅びかけることになり、その種族戦争のきっかけとなった不籍の神を鎮めるために禁域の神殿とともに8族が協力して作った、ということ。
神殿の鎮める力はいつか弱まり、世界はまた不安定になってしまうから、不籍の神にきちんと籍を与えなければならないが、それは神の加護を受けていないもの、つまり依代を使うことができない誰かでなければいけない、ということ。
しかし、依代を使うことが出来ない者しか旅に出られないため、行くのであれば一人の旅になってしまう。
「で、資格があるかどうかは神殿で判定できるようにするが、その役目はとても過酷であるため、きちんと選んだうえで行くかどうかを決めなければならない。だそうだ。」
フェルトの中でエリアスの話を聞いてぼやかされていたところが埋まっていく。エリアスは指輪が不安定な状態が続けば世界が滅ぶ、と言っていた。不安定、といっても分からないが。
「正直に言えば、先々代の村長の頃にはこの話は信じられることは少なくなっていた。依代が使えない人なんて見たことも聞いたこともなかったからな。
それこそ、不籍の神についての話を当時説明されていなかったから、疑う者の方が多かったのだ。村長の書を公開することで、不籍の神の存在や種族戦争の記録を見聞きある程度この話が信じられるようになったのだが、な。
私たち自身も指輪の誘惑なんて、半信半疑だったのだが、なかなか、こたえた…。あえて、指輪のことを知らせようとしなかった先祖たちの考えの意味が分かったよ。」
ガウフの嘆息で説明が終わった。
「俺は、本当になんとも感じないんだけど…。」
「いや、私には逆にそれが信じられないよ。そして…だからこそ、言い伝え通りゼスやヨアンナを一緒に行かせるわけには行かない。」
「そんな!フェルト一人で行かせるというのですか!?」
「ヨアンナよ、よもやあの声が聞こえなかったと言わせないぞ?不籍の神という言葉を知る者は誘惑される。私はフェルトの掌の上にあった時の、あの恐ろしいまでの誘惑は忘れることはない。」
それはとても困る、一人で大森林を超えるなんて村でもよっぽど腕の立つ人か熟練の行商人くらいだ。
「一人じゃない、コガがいる。なにより、コガがいれば大丈夫だ。」
「いや、コガさん。大森林って知らないでしょ。龍邦の大森林道と言えば大の大人でも音を上げるような過酷な道なの。旅の装備を持って一人で行くなんて大変ってもんじゃないの。」
諭すようにコガに目線を合わせて語っていると、
「ふん!」
「あごがっ!!
膝蹴りをあごに見舞われたせいでフェルトは悶絶する。
「いいか、コガがいれば大丈夫なんだ。フェルトは一人じゃないし、心配なんてする必要が無い。いいな!?」
心配する必要ないって森林道の険しさを知らないでしょ、とか食事とかどうするの、とかいろいろ言いたいことはある。
…あるのだが、詰め寄るように言うコガの迫力に屈してフェルトは痛む顎を抑えながら、「わかりました」と、かくかくと頷くことしかできなかった。
コガとフェルトの不思議な関係にガウフ、ゼス、ヨアンナが言葉を失っていると、
「村長!大変だ!!緊急なんだ!!」
突如、息をぜえはあと切らしながら転がり込んでくるように緊急を知らせる声が室内に響いた。
ただならぬ様子に室内の空気は一変し、緊張が走る。
「どうした!」
「妖霊が!しかも、大きいんです!神殿の奥から出てきました!」
「なんだと!馬鹿な…!?
まずは急いで自警団を集めろ!…大型の妖霊とは…、武器となる依代を集めるんだ!フェルト、お前はここで待っていなさい。後で話そう。」
村長や両親が家を飛び出ていくのを眺めているしかない。
「妖霊ってなんだ?」
服のすそを引っ張りながらコガが問いかけてきた。
「実は俺も詳しくは知らない。ただ、どっからともなく出てきて、気のすむままに暴れたらまたどっかに消える、って感じらしい。」
「ふむ。で、なんであんなに騒いでるのか?放っておけばよかろう?」
「うーん…。なんかとにかく近くにいる人を襲おうとするから、妖霊避けの依代を使って村の外から中に入れないようにしているんだけど…。」
「神殿ってあれか?コガがいたとこか?」
「そうそう。よくわかったな。」
「当然だ。コガだからな。」
自慢気にコガが胸を張る。よく見ると心なしか耳がぴくぴくと動いている。
蠱惑的に揺れる耳にうずうずとした触りたいという欲求を全身全霊でこらえる。
「しかし…、ふむ。妖霊は危険なのか?」
「…んー、それこそ旅をしてれば結構頻繁に出てくるから、そうでもないかな?小さいのだったら準備していれば5人くらいでなんとかなるし…。」
「準備してなくて、大きかったら?」
「それは…。」
今はまさに準備してなくて大きい、という状況なのだが、あまりに現実感が無い状況のせいで答えに困る。
「答えられないか?…それで、フェルトはどうするんだ?」
「そりゃ、依代が使えない俺が行っても誰の助けにもならないし、ここにいろって言われてんだから、ここにいるしかないんじゃ?」
「ならいい。コガもここにいるしな。」
正直に答えると、コガはふん、と鼻を鳴らして村長の家にあるものをのぞき始めた。そんなコガを横目に手持無沙汰を感じつつ、外に出なけれないいだろう、と窓の開き戸を開けて外を眺める。
考えれば村の外に出るというのは楽しみではあるのだ。行商人の持ってきた本によれば、ガラスと呼ばれるものがあってわざわざ戸を開けなくても外が見えるなんてものがあるらしい。
換気以外で窓というのは使うものではないと思っていたが、外が見えるなら移り変わる景色を楽しむことができるというのはいいものだろう、と思う。
そんな呑気な考えをしながら外を眺めるていたが、思ったより村の外は緊急事態のようで大人たちは走り回っている姿がそこかしこ中に広がっていた。小さな子を避難させるためにまとまって集会所へ移動している姿や、少しでも身を守るための道具をかき集めて神殿の方に向かっていく。
自分の思い出せる限り、妖霊避けの内側に小型でも妖霊が出たという話は聞いたことが無い。
騒がしい外に焦りや不安を感じるも、かといって外に出る勇気なんてない。手持無沙汰のまま、手近な椅子に座って、目をそらすように手を組んで、その手元を眺める。
「ふむ。」
ふと、声が聞こえると、視界の下から黄金色の耳がひょこりと飛び出てきた。その耳の持ち主はするりと組んだ手の内側をすり抜けてフェルトの膝の上に飛び乗ってきた。
「いや、ふむ、じゃない。何してんの?」
「フェルトが座ったからな。」
「いや、座ったからって理由になってないから。膝から降りなさい。」
「不敬だぞ。」
「ずつぅきっ!」
ごすっという音と共に、鼻に向かって的確に繰り出された頭突きに悶絶する。そのままフェルトの膝を椅子に座るように座って、足をプラプラとさせ始めた。
しばらく鼻の頭の痛みが治まるまで鼻頭を抑えていると、
自分のすぐ目の前に黄金色の耳がひょこひょこと揺れる。時に左右に、前後に、ゆっくりと時にぴくり、と誘惑するように不規則に揺れながら形の整った耳が目の前で踊る。
耳は根元から中ごろまでは髪の毛と同じ奇麗な黄金色だが、耳先に行くにつれ、これまた麗しい黒色に変わっている。
撫でるべきか、撫でざるべきか。
先ほどまでに抱いていた不安はどこへやら、フェルトの目はじぃっとコガの耳にくぎ付けになる。気づけばふさふさの尻尾もフェルトの膝をぱたりぱたりと柔らかく叩いている。
撫でるべきか、撫でざるべきか…。
「む?撫でないのか?」
誘うかのような耳の動きににうずうずとしていると、声をかけられた。
振り向いてこちらを覗くコガの表情はいたずらを試みるような顔を、していた。