不籍の神との出会い 3
「ぐっ、っつ。…いってぇ。」
背中やひじが擦り剝いたような痛みと、高いところから打ち付けられた痛みでフェルトはうめいた。
成人の儀のために用意された丈の長い革のローブのおかげで、落ちた高さから考えても奇跡的に怪我は少ない。上を歩いているときに穴があったようには見えなかったのだが、自分の手元に地表の草や土がある状況を見ると地面が崩れたのだろう。
顔をぬぐって遥か上、自分の背丈を5倍でも届かないだろう高さにある自分が落ちた穴を見上げる。穴の口はネズミ返しのようになっており、ここから落ちた場所まで装備もなしに登るのは難しいだろう。
更によく見てみると、自分が足を踏み外した場所は更に地表が薄くなっているようであった。
上では同じく儀式を受けていた友人たちが自分のことを案じる声が聞こえてきたが、同時に天井から土ぼこりが落ちてきていた。
「大丈夫!生きているし歩ける!けどここから登るのは難しいし、降りたりのぞき込むのは危険だと思う!」
声を上げて伝える。仲間たちが穴の周りから離れていくのが上の土ぼこりから感じられる。
「ここは昔使われていたみたいな跡がある!行けるところまで行ってみるけど、村に行ってロープを持ってきてくれ!」
穴の上から「わかった、待っていて。」と返事があり、音が消えて静かになる。
周囲を見ると空間は広く、恐らく昔に使われていたであろう石切り場所であったのが見えてきた。
自分が落ちた場所からは左右どちらにも空間が伸びているようで、砂ぼこりが高くまで舞っている。
外からの光は少ないが、はるか昔に使われていたのだろうが、昔の誰かが設置した『依代』のおかげなのか空間にはいくつかの明かりが淡く灯っている。
周囲は規則正しく直線に切られたであろう壁と、それを補強するための柱がひたすらに伸びており、その先は見えない。
「…これは…すごいな…。」
丁寧にしっかりと整えて切られた岩場はどこか荘厳さすら感じさせるものとなっており、自分の状況を忘れるほど、先人たちの技術に目を奪われてしまった。
禁域の山に石切り場があったことなんて大人の誰からも聞いていない。ということは少なくとも自分が生まれるよりもはるか前に使われていたのだろう。
いつかどこかで本で読んだ通り、唾を指につけて風の通りを確認すると、通路の両方どちらかからも風を感じて一安心する。
恐らく、仲間たちが大人を呼んだり、道具を持ってくるまで時間はかなりかかってしまうだろう。近くにあった尖った石で目印をつけて歩き始める。
少し歩いたが、それでも景色が変わらないため、心の中の不安が大きくなってくる。
「でかすぎる、な…。こんなところがあったなんて、村の歴史でも習わないぞ…。」
不安をかき消すように独り言をしながら歩き進める。ひとしきり歩くと、どうやら石切り場としては奥に行ってしまったらしく、切られた場所が少なくなってきた。
「入り口は逆だったかな…。しかし、真っ暗じゃなくてよかったけど、暗い。」
進むにつれて手入れがされておらず、通路が狭くなっていることから、失敗したな、とつぶやく。初めは見たことが無い景色や、村の人がいない場所という環境にわくわくとした感情を抱いていたが、進んでも変わらず、暗さを増していくため足取りが自然と早くなっていく。
風は変わらずに前からきているため外にはつながっているのだろう。どのようにつながっているのか、までは分からないが…。
そのまま進んでいると、いきなり壁に突き当たってしまった。
「うそだろ!?」
進むにいいだけ進んでいきなり正面に現れた壁に驚いた。
風が奥から流れているように感じていたのは間違いないため、信じられないという思いを抱きながら行き止まりの壁を叩く。
壁を叩くとどうやら後からふさがれたような造りになっていたのか、叩いた場所は少しずつぽろぽろと崩れていった。
全くの行き止まりではないことにひとまずは安堵しながら無心に手元の石で壁を掘っていく。
「まて、よ?わざわざ、ふさいでいたってことは危険って可能性があるんじゃ…。」
考えが及んだ時はすでに遅く、削れた壁は連鎖的に崩れ、大きな穴が開いてしまった。
思ったより勢い良く崩れたため、手で身を守るように縮こまるが、特に変化はない。恐る恐る開いた穴の向こうを覗く。
「…ここは?」
穴から先は伽藍洞になっているようで声がきれいに響いた。穴の向こうに身を乗り出すと、石切り場のような人の手の入った温かな空気ではなく、どこか人の手が入っていたと感じられない冷たい空気が流れていた。
足を下すと、石切り場とは打って変わった強い光が随所にある『依代』から放たれた。
「っつ!うぅ、まぶしいな!」
しばらく、いきなり充てられた光によって目の奥がちかちかとする。
「行使者がいなくても自動的に作動する『依代』なんて聞いたことなどないぞ…?しかもこんな明るい光を放つものなんて…、あるのか?」
目に飛び込んできた光景に混乱してしまう。
頭を振って視界を定めると、石切り場とは打って変わった雰囲気になっていた。
床は整えられて、壁や天井もきれいに装飾されている。
どこかから吹き込んできている風が出す、うぅぅ、という低い音が通路の奥から断続的に聞こえてきた。
「…?なんだ…?」
風の音の中に声のような響きが混ざっているように聞こえる、ような気がする。
―だれか…。
「呼んでいる…のか?」
―だれか…。だれか!きて!きて!
「ぎぇぇあ、うるさ!!
声と知覚した途端、耳元で叫ばれたかのような感覚が轟いたため、フェルトは悲鳴を上げた。
―きて!だれか!きて!
「だぁぁ!うるさい!うるさい!」
あまりの音量の大きさに耳をふさいだが、その幼い響きの声は、音によるものではないようで手でふさいだ耳の中で響いてくる。
―だれか!だれか!きて!
ガンガンと響く声が頭の中に鳴り響く。
頭の中に直接鳴り響く音のあまりの大きさにフェルトはめまいを覚えた。
ふらふらと壁に寄りかかって、体を支えて何とか立とうとするが、あまりに大きな音が聞こえているとまっすぐ立っていることすらままならない。
(逃げるしか、ない…。)
転がるように、這うように、ばたつかせるように手足を動かして進む。
―いかないで!きて!だれか!きて!
「なら!しずかに!さけべよ!」
フェルトは理不尽な音の暴力にさいなまれる中、頭を抱えながら叫んだ。すると、
―きて…、だれか…
「いや、静かになるのかよ。」
心の中で(いや、静かに叫べってなんだ?)と自分の心の中で突っ込みながら、様子をうかがう。
「で、どっちに行けばいいんだ?」
―こっち、こっち。だから、そっちじゃないっ!!
「ぶんぎゃぁあ!」
感覚的にこっちかな、と足を向けたところまたもや頭の中で大きく叫ばれてもんどりうつ。硬い石の地面に背中から落ちてしまったので、頭が痛いやら背中が痛いやらでうめく。
「わかった、わかった、こっちだな?くそっ、行くだけ行ってみてやる。」
―そう!こっち。こっち!
「あぁもう、わかった。だから叫ばないでくれって。行くから。」
フェルトは朦朧とする頭と自分の許容量を超えた状況に混乱しながら、ふらふらと歩みを進めていく。
後にフェルトはこの状況を、
あまりの頭の痛さに、もはや頭の中に直接声が響いているという異常事態に気づくことはできなかった。とにかく早くこの地獄から逃げ出したい一心で声に従うほか無かったんだ。と、遠い目をしながら語ったと言う。