1章 不籍の神との出会い 1
「おい、ポンコツ。起きろ!おい!」
さして心地いいとは言えなかったまどろみから引き戻すように、頭を叩く痛みを伴いながら、上から幼い声が降ってきた。
「いたたた。やめてくださいよ。コガさん。」
我ながら思うが、寝ぼけた声を出しつつ目を開けると、黄金色の髪をした幼い姿をした女がうすぼんやりとした瞼の向こうから見えてきた。
かぶりを振って意識を取り戻して視界を定めていく。
そこにはコガと呼んだ少女がその外見や声の年齢に見合わない凶悪な顔をたたえて、自分の命の危険を感じるような巨大な槌を振りかぶっているところであった。
「ちょっ!うわぁっ!」
急いで身を縮めて避けると、頭のすぐ上を大槌が通り過ぎ、寄りかかっていた大木に大きくめり込んでいくのが見える。
その小さな体にどれほどの力があるのか分からないが、その槌が生み出した破壊の後は恐らくは自分の知るだれよりも膂力はあるのだろう。…そんなに知り合いが多いわけでもないが…。
「…殺す気ですか!?」
「安心しろ。峰打ちにするつもりだったからな。」
槌に峰打ちも何もないのでは、と思うがそれを言っても理不尽な言葉と暴力が返ってくるだけ、ということをコガに会って数日で既に学んでいるため、それ以上は言わない。
ひとまず、頭の上にぱらぱらと落ちてきた木くずを払いのけながら改めてコガを見る。
黄色の髪に整った顔をした幼い少女が外套を羽織っている。その少女の大きな特徴は誰が見ても一目瞭然、頭の上にちょこりとある狐の耳と、外套に隠れて見えないがふわりとし、それでいてぴんとした尻尾である。
この広い大陸のどこかに住んでいる草原の民、獣人族の特徴らしいが、自分を含めた村の大人たちも獣人族を直接は見たことが無いらしく、よく分からない。
「それにしてもポンコツとはひどいと思います。俺だってフェルトって名前があるんです。」
「知らん。ポンコツはポンコツだ。それより、早く出発するぞ。もう、野宿は嫌だ。」
かぶりを振るその姿は年相応だ。
「俺だって嫌ですよ。でも、そもそもコガさん寝ないじゃないですか。野宿もへったくれもないですよね。
しかも、歩くのは俺なんですよ?」
「言い訳するな!」
今度はどこから取り出したのかハリセンを使ってなんべんも頭をひっぱたいてくる。
余計な言葉を返してしまったから、この痛みの嵐はしばらく続くだろう。背中にしがみつきながら、器用に頭頂へ向けて的確な一撃を繰り返すコガを無視して手早く荷物をまとめる。
旅になんて数えるほども出たことが無く、鍛えてすらいない体で慣れない野宿を3日も続けたからか、体のいたるところが痛みを訴えてくる。
朝もやの涼しい空気が辺りに満ちて、健康的な旅好きであればさわやかな朝だと思うのだろうが、あいにく自分は健康的にも旅好きにもどちらにも該当しない。
外套を着たまま寝ていたものだから、体が少し汗ばんでいる。
立ち上がって少し伸びをすると、その汗ばんだ自分の体を緩やかな風が抜けていき、一時の涼をもたらしてくれた。
◆◆◆
ここは『龍邦の大森林道』、
この世界、この大陸に生きる人々は外見的特徴で4民に分けられて、『山の民』『草原の民』『森の民』『何有の民』になる。ちなみにフェルトの身体的特徴は『何有の民』のそれだ。
本来、人々はそれぞれの民の名に冠されている場所に村を興すものだが、この森の先にある『自由の龍邦』と呼ばれる村だけは、違う。
山も草原も森も全部、その村に恵みをもたらしている。
でも、だからこそ、そんな村の周りは大きく、そして、過酷な自然が周囲を囲んでいる。
行商人たちはその村に行くためには、様々な道からどれか一つを選ぶことが求められる。
過酷な道の代名詞とつかわれる、『龍邦の峠道』、『龍邦の暴れ川』、『龍邦の大洞道』、さらに『龍邦の大森林道』。
この森では誰かが道の目安を作っても、1週間たてば命豊かな生い茂る木々がその目安を埋めていく。
太陽を目安にしようとしても、高く育つ木樹木やそこから生い茂る葉が許してくれない。
この森を進むのに求められるのは、過酷で長い森林の、道なき道にあっても同じ方向を目指し続けられる力。
それでも、他3つの龍邦に至る道で最も人が往来しやすいと言われている、そんな場所。
龍邦の人々が一人前と認められる条件は一つ。無事に『龍邦の大森林道』を越え、また龍邦に戻ってくること。
でも、この森は厳しいだけじゃない。
四季を通じてあらゆる実りを森に住まう全ての命に分け与え、大木に生まれるうろは旅する命に一時の平安をもたらす。
険しく、過酷な森はあらゆる旅人を拒むようだけど、くじけそうな旅人を救うのも、そんな森。
◆◆◆
「おーそーいー。早く出るぞ。今度こそ、柔らかいとこで寝たいんだから。」
筋肉痛と固い地面で寝たことによる痛みで手早く準備なんてできない。言い返してもまたもや叩かれるだけなのでフェルトは黙々と片づけを続ける。
コガは叩くのを中断して器用に背中の上から頭の上へと移動すると、頭の上から耳を掴んできた。
「むーしーをー、するなー!」
「ぎゃぁ!」
耳に直接大声を叩き込まれて、今日日聞かないような悲鳴を上げてもんどりうつ。こういうことを繰り返されるせいで野宿が増えているんだぞ、という言葉が出かかるが言っても聞きはしないんだろう。
「泣くぞ?いい加減、相手をしろぅ。」
頭を振って起き上がると、今度は懐に潜り込んできて目を潤ませて見上げてくる。
愛らしく、それでいていつもはきりりと立つ耳を萎れさせて目を潤ませながら見つめてくる。
…これには勝てない。勝てるはずがない。
観念して、無言でコガの頭をなでつつ耳の裏をかいていく。
「おぉぉぉ。撫で方はポンコツとは言えない…!やっぱりフェルトはすごいな。あぁぁぁぁ。」
ものすごい勢いで膝の上でふやけていくコガを見ながら、これが原因で遅れているんだよなぁ、と頭の片隅で考える。
数時間歩いてはこのように、構ってくれと甘えてくる。そのたびに撫でまわしていると結局、旅程が遅れていく。
だが、わかっている。こんなに分かりやすく気持ちよくなってもらうと自分もなんかどうでもよくなってきてしまうのだ。
(やばい。これはまた今日も…野宿かもしれない。)
フェルトは村の大人から聞いていた、自分の村から1週間もすればつく隣町に2倍の時間をかけてしまうことを予期せざるを得なかった。
「む?ポンコツ。撫でとる場合か!?」
「いや、いきなり飛び起きてナンスか!?」
器用に外套から尻尾を出して尻尾ではたかれる、ふわりとした毛は柔らかいものの勢いのせいでやさしさのかけらもない。
「妖霊が来てる。準備しろ。」
「いや、準備しろって言ったって…!」
「そういうところがポンコツなんだ。いいから思い描いて構えろ。」
ぐしぐしと尻尾で顔をはたかれながら起き上がってコガが見つめていた方角を見る。特に何も変わったところは見えなかったが、木々の向こうで白いはずの朝もやが黒く染まって小さな渦を巻いていた。
「うっっ!妖霊!!」
「だからそうだと言っている。早く構えろ。」
渦はどんどん小さくなり、拳大の大きさになると、瞬く間に広がって四つ足の獣を模しているが、醜悪な化物の姿になる。
この世すべてに生きる命たちの天敵、妖霊が姿を現したのだ。
この大陸で交易が貴重である所以の存在たる妖霊は、龍邦の周囲には少ないと聞いているが、それでもゼロではない。そして妖霊の力はたとえ小さくても人ひとり引き裂くなんて、花を手折るかのような容易さなのだ。
フェルトはコガに促されるまま、村にいた大人たちの見よう見まねで剣を持った自分を想像する。するとコガは粒子になってフェルトの手元に集まっていく。
「むぅ、だからポンコツなんだ。ま、いい。だからコガがいる。」
不満げなコガの声を聴きながら、フェルトは想像を続けて瞬きをすると、目を開けるといつの間にか手に風を渦巻せた剣が現れた。
現れた大剣は想像のとおり、見た目は簡素で重厚感があるが、その見た目にかかわらず重さを全く感じさせず、驚くほど自分の手になじむ。
妖霊がこちらに気づいて牙を剥いて、飛び掛かってくると同時にフェルトは手元の剣に命じられるまま、想像の通りに剣を振りぬく。
途端に巨大なつむじ風が通り抜けるような音が目の前で轟く。
剣にまとった風が刃となって妖霊に向かって突き進む。その風の刃は妖霊の体を両断すると、二つに分かれた妖霊は黒い霧となって消える。
「いつ見てもすげぇ…。」
「すごいのはフェルトじゃない。コガだから。間違えるなよ。」
いつの間にか人の形に戻ったコガがフェルトにしがみついていた。わかってますよ、とコガに返しながら破壊の跡をみる。
妖霊がいた場所の後ろにあった木には大きく傷が残っている。さすがにこれほどの力を自分のものと思うことはできない。
「なでろ。さっき足りてなかったし、今、コガはがんばった。」
ぐりぐりと頭を押し付けてくるコガの表情は見えない。
「わかってます。コガさん。俺はコガさんのおかげでなんとかやれてるんです。なでるくらい…。」
柔らかく撫でていると、コガはふみゅ~と息を吐きながら弛緩していく。ぴんと張っていた耳や、外套のそとから分かるように立っていた尻尾が撫でられるにつれて少しずつ垂れていく。
撫でている身としては自分の手で安らいでくれるならうれしい。
もはや、急ぐ道理なんてないのだから、とその場に胡坐をかいてコガの求めるままに撫でていく。
かわいらしい反応を立てながら抱き着き、もっと、と催促するように抱き着いてくるコガにフェルトの口元も意図せず綻ぶ。
暴力的になったかと言えば、いきなり甘えてくる、そして自分を守る不思議な存在、という、そんな気まぐれで横暴、だがその見た目や仕草はとても愛らしい。
そういう不思議な存在の少女と、旅に出たことが無い男で二人旅をしている。
なぜ、この少女と自分が旅をしなければならないのか、それはコガという少女が只者ではないからである。
コガという存在は一言で表すと『産まれたての神』…らしい。
膝の上でくるまって、額をフェルトの腹に押し付ける姿からは一切の威厳を感じることはできないが、どこから生み出したか分からない大槌を取り出したり、あり得ないほどの馬鹿力をもち、さらに人では到底生み出すことが出来ない力をもたらしてくれる。少なくとも人知を遥かに超えた存在であることは間違いない。
ぐしぐしと耳裏の毛が深くなっているところを撫でていると気持ちいいのか、更に頭をこすりつけてきて、そのままふやけた声を出しながら強く抱き着いてきた。自分に撫でられていたり、おいしいものを食べていれば非常に愛くるしい存在なのだが…、
「!!コガさん!?キマッてる、キマッてるから!ちょっと力を緩めて!死んじゃいます!!」
万力のように腹を締め上げられ、フェルトはあまりの痛さゆえにコガの頭を叩く。
非常に愛くるしい存在なのだが、どうにもこうにも自分の手には余る。どちらかというとひたすらに迷惑な存在なのであった。