少し成長した息子の話
「パ、じゃなくて兄様」
「こらリュカ、駄目だぞ。今パパと言いそうになっただろう。それは二人きりの時だけにしなさい」
マルクはどうかするとニヤけそうになる表情を引き締め険しい顔で注意するが、リュカの耳には届かない。
今年で五つになる彼は母親譲りの美しい顔を輝かせ年の離れた異母兄へと宣言する。
「僕、大きくなったら母様と結婚します!」
「む、セレスティーヌとの結婚か。道程は険しいだろうな」
「えぇっ、なんでっ、なんでですか!?」
「あの女を養うというのは生半可な男では無理なのだぞ」
セレスティーヌは国一番の美女であると同時に国一番の浪費家としても知られている。
宝石にドレスに靴、広大な葡萄畑に最新の教育施設や医療機関。
この国の流行や発展はいつだって彼女の気まぐれで決まる。
「第一あの父がセレスを離さないだろう」
微笑ましい異母弟の言葉を笑い飛ばすでもなく、生真面目に答えるマルク。
『父の次は俺が居るし、リュカの番が来るのは何時になるやら……とは何だか言いづらいな』
難しい顔で若干ぶっ飛んだことを悩む異母兄に、リュカは薔薇色の頬をぷっくり膨らませる。
「パ、じゃなくて兄様! 僕を応援して下さらないのですね」
「う、それは……」
「もういいもん、父様に直接お願いして来ます!」
リュカは異母兄を残しこの国の宰相である父の書斎へと走った。
「父様! 僕お願いがあります!」
ノックも無しにいきなり現れた息子に悪辣と陰口を叩かれる筈の宰相は相好を激しく崩す。
「どうしたのだリュカよ。欲しいものでもあるのかな?」
城から持ち帰った仕事の手を止め、デロデロな顔で愛妻に良く似た息子を自分の膝へと迎える。
「お菓子かい? 剣かい? 馬かい? 屋敷かい? 領地かい? なんでも言ってごらん。父様が全て叶えてあげよう」
「僕に母様を下さいっ!」
「え?」
愛おしげに撫でていた宰相の手の動きが止まった。
「……リュカよ。母様はもうお前の母様だろ? 」
「違うのです! 僕は母様をお嫁さんに欲しいのです!」
日頃から溺愛する妻と息子の願いならばなんでも叶えたいと思っている宰相も、この無邪気なお願いには流石に頬を引き攣らせた。
「父様はいつも母様を夜に占領してズルいです! 僕だって寝る前に母様に絵本読んで欲しいのに、夫婦の時間だからって母様を独り占めして! 父様はもうオッさんなのだから一人で寝て下さい!」
「いや、しかしだな……」
「母様は僕を世界一愛してるって言って下さいました。僕と母様はそーしそーあいなので父様は離縁して!」
「そ、それはならぬっ! それだけは許さぬぞっ!セレスティーヌはワシのものだ! 誰にも渡さぬっ!」
父親としてマトモな返答は数多くあったはずだが、“離縁”という最も恐れているフレーズを耳にして冷静さは吹っ飛んだ。
膝に座っていたリュカの存在を忘れ、突然ガタリと立ち上がり右拳に力を入れて宣言した。
当然膝から転がり落ち床に尻もちをついたリュカは数度瞬きした後、暫くしてその綺麗な顔を歪め大きな瞳に涙を溜めた。
「ふ、ふぇぇぇ! 痛いぃぃぃ!」
「はっ! リュ、リュカ、すまぬっ!! ついウッカリしていた!」
愛息子の泣き声により正気に戻った宰相は慌ててリュカへと駆け寄る。
「大丈夫か? 痛い所はどこだい? 」
「ふぇぇぇん! 何でも叶えるって言ったのにぃぃ父様の嘘つきぃぃ! 父様もう嫌いぃぃぃ!!」
息子の嫌い発言にショックを受けて蹌踉めく宰相。
「まぁリュカったらそんなに泣いて。どうしたというの?」
そうしている間に泣き声を聴いたセレスティーヌが書斎へと飛び込んできた。
泣き喚く息子をさっと抱き上げ背中をポンポンと優しく叩く。
「ヒック、ヒック、と、父様嫌いっ!」
「あらあら、そんな事を言うものではないわ。父様が傷付くわよ?」
酷く狼狽える宰相をチラリと見たセレスティーヌは、元気付けるようににこりと微笑みかけた。
その女神のように麗しい微笑みに宰相は思わず彼女の豊満な胸へと飛び込みたい衝動に駆られるが、既にそこを占拠している息子に鋭い睨みを貰ってしまい更にへこみ小さく背中を丸めてしまった。
「だって父様が僕に母様をくれないのです! 僕と母様の邪魔をするのです!」
離すものかと全身を使いセレスティーヌに抱きつくリュカ。
「あのパゲも、母様との結婚は難しいなんて言うんだよ?」
「こらリュカっ! お兄様に向かってツルッパゲなんて言ってはいけないといつも言っているでしょ!」
「だってだって、兄様は絶対僕の母様をお嫁さんにしようとしてるんです! 絶対狙ってるもんっ!」
叱るセレスティーヌにそれでもよりキツく抱きつく。
無邪気を装いライバルである父と兄に牽制する辺りは、やはり二人の子供である。
「まだそんな噂を気にしているの? 私とマルクが恋仲なんてのは真っ赤な嘘なのよ。私は今も昔もこれからも旦那様の妻で、私達二人がリュカの両親よ? ね、旦那様?」
「嗚呼、愛しのセレスティーヌ! その通りだよ! セレスは永遠に我が最愛の妻でありリュカは私達の愛の結晶さ」
先程まで背中を丸めていた宰相は目に涙を浮かべセレスティーヌとリュカをいっぺんに抱き締めた。
「ちょ、父様キツイ! 臭いっ!」
間に挟まれたリュカは狭苦しくて思わず叫ぶが、宰相は構わず抱き締め続ける。
両親の温かい熱に包まれたリュカは、今暫く父様に母様の旦那の役目を譲ってあげようと大人な気分で思ったのだった。
end