第九十六幕
「五年前はたったの六人だったのに今はこんなに多くの者が私の後ろに並んでいるな。」
直弼は感慨深げに言った。
「それほどにこれまでの努力精進が実を結んだという事ですよ。」
僕が言うと直弼様は笑顔で
「私は領民に快く迎えてもらえるだろうか?」
「大丈夫ですよ。」
そんな事を話していると城下町の入り口が近づいてきた。馬の上から見える城下町の入り口には数えきれないほどの人が集まっているのが見えた。
「あれが答えではないですか?」
城下町の方からは歓声のような響きが聞こえてくる。直弼様は馬を止めて目に浮かんでいた涙をぬぐった。
「直亮様の遺産分配で領民に十五万両の分配と救い米一万俵の配布もされてますし、そもそも昔から城下町を歩いては領民の方達とも交流されてましたから受け入れられないはずがないですよ。」
「そういう風に言われると人気取りのためにしたみたいに聞こえてしまうな。」
「そう思う者がいれば思わせておけばいいんですよ。これからの直弼様の行いが今回の行動の真意を伝えてくれますから。」
「難しい要望だな。」
直弼様が笑い、僕も笑顔で
「さあ、役人たちのお目見え行列がお待ちですよ。僕は巻き込まれたくないので少し離れておきますね。」
「都合のいい役割だな、貞治は。まあ、私の勇姿をしっかりと目に焼き付けておいてくれ。」
「承知しました。」
僕はそう言って直弼様から離れた。
「それではまたあとでな。」
「お気をつけてくださいよ、はしゃいで誰かに見つからないでくださいね。」
女は心配そうに言ったが男は笑い飛ばして新藩主の帰還を祝う人ごみに消えていった。
女も用事を済ませるために城の方へと歩きだした。
城の切通御門の前に来たところで声をかけられた。
「失礼、あなたは村山たか様ではございませんか?」
「ええ、そうですが・・・。どちら様ですか?」
「ああ、失礼。私は長野義言と申します。」
「直弼様のお抱えの国学者の方と記憶させて頂いておりますがお間違いなかったですか?」
「ええ、それで間違いないですよ。」
「その長野様が私のようなものにどのような御用ですか?」
「貞治殿からあなたは修行に伊勢や出雲に向かわれたとの話を聞いていたのに今日この場所におられたので気になりましてね。」
「叔父上から直弼様が戻ってこられた際にご挨拶をさせて頂かなければいけないので戻って来いとお達しがありまして、今朝戻ってまいりました。何か問題でもありましたか?」
「いえいえ問題など何もありませんよ。ただ、色々とお聞きしたい事があっただけですよ。
直亮様の事とかね。」
「まことに残念でした。この時代の医学ではどうしようもなかったようです。」
「なるほど、医学ではどうしようもない事を助けるために神道のご祈祷があるのではないのですか?」
「所詮、祈祷など気休めです。叔父上には申し訳ありませんが私はそこまで深く信心深いわけでもありませんので。」
「そうですか・・・」
「長野様も私にかかわっていないで直弼様のもとに向かわれたらどうですか?」
「ああ、その必要もないようです。ちょうど到着されたようですから。」
馬上から梅雨明けの暑い昼下がりにもかかわらず多くの領民に迎えられて笑顔で手を振っておられる直弼様が見えてきた。土下座をして迎えると長野も同じように土下座をして迎えていた。
顔を上げたところ、直弼様はわずかに微笑み会釈をしてくれた。
「本当にご立派になられましたね・・・・・」
たかは一人去っていく直弼の背中に向かって呟いた。