第九十二幕
1851年の11月の終わりに僕は江戸へとやって来た。
直亮様の死亡から1ヶ月ほどは彦根から外に出る事ができなかったため江戸の直弼様に直接会う事ができておらず、色々と質問されるのだろうと思った。
直弼様の部屋に入ると直弼様と長野主膳がいた。
「この度はお知らせする事ができず申し訳ありませんでした。」
僕は開口一番に直亮様の病状などを知らせられなかった事を謝罪した。直弼様は
「それについてはもうよい。貞治も何かと板挟みにさせてしまい申し訳なかった。此度の件は直亮様の側近三名を隠居謹慎処分とする事で既に解決させた。家老の木俣守易殿も更迭とし新野殿を置くことにした。それに伴い私の信を置く者が藩政の中心に順次配置されるだろう。」
「ありがとうございます。」
僕が頭を下げると長野主膳が
「貞治殿も何かとお忙しかったご様子。
江戸への旅路もお辛かったのではございませんか?」
「ご心配頂きありがとうございます。
何度も往き来しているためもう慣れたものですよ。」
思った返答が来なかったのか長野は苦虫を噛み潰したような顔をして、話題を変えてきた。
「直亮様の死亡を確認されたそうですね。
そんな事もおできになられるのですか?」
「蘭学書の多くは西欧の技術に関する物が多く医学書もありますし、直弼様の側近となる際に三浦北庵先生より手解きも受けておりますので簡単な治療や確認くらいはできます。
それとも長野殿は僕と北庵先生が嘘の報告をされているとでも申されたいのですか?」
「いやいやそんな事はありませんよ。
ただ、診察にいかれた北庵先生はわかりますがなぜ貞治殿もそこに居合わせたのかと疑問に思いましてね。」
「職務で城におりましたら騒ぎが聞こえてきました。
その後、秋山善八郎が僕の執務室に知らせに来てくれて向かいました。」
「ちなみにですが、私の門下生が直亮様が亡くなられる前に頻繁に女性が直亮様の部屋を訪れていたと知らせてきたのですが、お心当たりはありますか?」
「さぁ?女中さんの出入りまでは把握しませんので。」
「村山たかなる女性ですよ。」
長野は僕の知らない情報を知っていると思ったのか自信満々にいった。
「ああ、たか殿ですか。直弼様に和歌を習いに来られていましたので面識はありますよ。」
「貞治、たか殿がなぜ直亮様の部屋に通っていたのかは知っているか?」
直弼様も興味があったのかと驚いたが落ち着いて
「たか殿は藩士の村山家に養子としてだされてはおりますがその血筋は多賀大社の宮司様のものです。
僕も気になったので調べたところ、直弼様に和歌を習われていた後は多賀大社で巫女のような事もされていたようなので、病に対する祈願のために呼ばれていたものと思われます。」
長野が慌てた様子で
「では、では直亮様が亡くなられた後に村山たか殿が所在不明になっている理由もご存じなのか?」
「長野殿はご存じないのですか?」
「誰も知らない話だと言われている。」
「まあ、そうでしょうね。僕も多賀大社で直接聞くまではわからなかったのですが、たか殿は修行のために伊勢や出雲に向かわれたそうですよ。元々予定されていたらしく、直亮様が亡くなられた事とは無関係で出立されたそうです。」
長野は嫌そうな顔を浮かべて下を向いた。