第九十幕
直亮が死ぬ8か月前の1850年2月に麹町から出火した火事が烈風により大火となり外桜田門にあった彦根藩上屋敷も武器土蔵を残して全焼してしまった。直弼はこの時、若年寄の本多忠徳の屋敷にいたため被害には合わなかった。上屋敷で働いていた藩士のために手当を出そうともしたが家老の木俣土佐に止められ主君に仕える近習のみにわずかに手当てを出すのが精一杯だったりと大変だった。
直亮に関しては参勤交代の最中で5月に出府する予定だったが上屋敷が燃えてないために8月に出府する事が許可されたが直亮の計画では江戸に行くつもりもなかったので病で動けないという理由をつけてそれも反故にするつもりであった。直亮はこの時、家臣達に直弼には病の事を知らせないように通達していた。
その結果、直亮が体調不良である事を直弼が知ったのは6月になってからだった。
そんな中でも外国勢力の不穏な動きなどもあり藩主の存在が重要な場面もあったために直亮の体調を心配していた。側近の中から誰かを彦根に送り様子を見ようともしたが家老からの反対により実現できなかったために幕府の許可を得て10月5日に自身が彦根に向かった。
しかし、直亮が死んだのは10月4日のことであった。
川崎宿にて宿泊していた直弼は護衛も兼ねたお供の小西貞徹に対して
「直亮様のご体調はかなり悪いようだな。だが海外警備などに対しても藩主代行では対応できない事が増えてきた。早急に藩主としての仕事に復帰して頂くか藩主を交代して頂かないといけない。
せめて詳しい情報が入ってきてくれればいいのだがな。」
「貞治殿からのお手紙にはその辺は記されていないのですか?」
「難しいようだな。藩主の体調の話に関しては重要機密扱いになっているらしく世継ぎである私にも教えられないという事らしい。貞治に近しい者に関しても江戸への出府が制限されているらしいな。
例えば、善八郎とかは直亮様の体調を外に漏らす可能性があるから認められないようだな。」
「それはかなり危ない状況という事なんでしょうか?」
「その可能性があるからこそ今回は無理を言って彦根に向かう事の許しを得たわけだしな。」
そんな話をしていると一人の武士が近づいて来て
「お話し中の所失礼いたします。先ほどのお話から彦根藩藩主、井伊直亮様の世子である直弼様とお見受けいたしました。相違ないでしょうか?」
「いかにも井伊直弼だが、あなたは?」
「やはりそうでしたか。私は彦根藩藩士の宇津木と申します。
早急な知らせを江戸にお知らせするために早馬を走らせてきた次第にございます。」
宇津木の様子に一大事を予感して
「して早急の知らせとは?」
「藩主、直亮様が昨日お亡くなりになられました。三浦北庵医師による死亡確認と脇貞治様もそれを確認されたとの事で間違いないとの認定がされました。直亮様のご遺言により遺体は即日に井伊神社に運ばれ神主様の手により手厚く葬られたとの事です。」
「真か?偽りのない情報なのか?」
「直亮様の死亡を確認されたのは北庵医師と貞治様のみですが最近の体調の悪化ぶりからするとお亡くなりになられたのは確かかと思います。それに直弼様が信頼を置かれるお二人がそのように証言されているので間違いはないかと思うのですが?」
「・・・・・確かにそうだな。」
直弼が力なく言うと貞徹が
「直弼様、至急江戸に戻りましょう。将軍様にご報告をして藩主交代の手続きなども行わなければいけません。埋葬も終わっているという事ですし、帰藩はすべての手続きを終えてからにされた方が良いでしょう。」
「確かにそうだな。宇津木殿、あなたも江戸に同行願います。彦根から来た使者がいた方が家老達との話も早くなりますから。」
「承知いたしました。」
宇津木は深々と頭を下げた。
こうして彦根への道中で直亮の訃報を聞いた直弼は江戸へと帰ったのであった。




