第九幕
藩主・直亮の突然の帰藩に対して、バタバタとしている中で僕は脇さんに呼び出されていた。
藩主の直亮に無礼な発言をしてしまった事を怒られるかと思ったが、脇さんは何か深く考えているようで、呼び出しておきながら僕に何も話しかけて来ない。
耐えきれなくなった僕が、
「あの、脇殿……この度は自分の不勉強が基で大変なことをしてしまい申し訳ありませんでした。」
脇さんはきょとんとした顔で、
「何かやらかしたのか?」
「えっ?直亮様だとわからずに不躾な発言をしてしまった事でお怒りになられて呼ばれたのだと思っておりましたが?」
脇さんは僕の言ったことに対して少し考えてから
「その件に関しては直亮様は特に何も言っておられなかった。
直亮様は昔から蘭学に興味をお持ちで、蘭学書を取り寄せる事もしばしばあると聞くが、それを翻訳する者がいないと困っておられた。
貞治が優秀そうだと期待はされていたが、お怒りのご様子はなかったぞ。」
「では、先ほどから何を考えておられたのですか?」
僕が不思議そうに聞くと脇さんは何かを吹っ切ったかのように
「貞治、お主。
私の養子にならぬか?」
「えっ?いきなりどうされたんですか?」
「私の家は代々、井伊家に仕えて家老の地位まで頂いている。
私には3人の息子がいるから、お主に家督を継がせる事はできないが家老の家の人間になれば、色々とお主を守れるのではないかと思う。
貞治は未来から来た。まだ信じられんがお主の持つ知識や行動を見ていれば信じざるを得ない。
特にお主のいう『えいご』なる蘭学書に書かれている言語に対する知識は今後争いを呼びかねない。
何より鉄三郎様の従者であり続けたいのなら、それを通せる後ろ楯が必要だ。
家老である我が家の養子となれば、家の名前で無理を通せる。」
「ありがたい事ですが、脇殿が悩まれるほど難しい壁があるということですよね?」
「お主の気持ちの問題を考慮しておった。
成り行きとはいえ、初めて出会ったのが私だったという事で私の養子になれと言って良いものなのか。また、お主には生まれてから名乗ってきた名を変える事に対して抵抗があるかもしれない。
お主は未来に帰りたいと思っているであろうから、あまり枷になるような事はしない方が良いのかも知れない。
まぁ、こんな事を考えておったわけだ。どうだ?」
「脇殿には色々と教えて頂き、感謝しています。
名前が変わるというのも、僕の住んでいた時代でもあった事です。
結婚したり、それこそ養子になったり、中には自ら名前の変更を届け出て変える人もいました。その点ではあまり気にしないですね。
未来に帰りたいとは……正直にいうと思ってます。
家族も友達もいましたから。でも、現代でも説明できない現象で僕はこの時代に来ました。未来に戻ることはほぼ諦めてるんです。」
「そうであったか。
して、どうだ我が養子になるか?
もちろん無理強いはしない。」
「喜んでお受けいたします。
どこの誰かもわからない人間にこんなに良くして頂いているので、鉄三郎様にも脇殿にも恩返しができるよう精進します。」
「そうか、それでは明日にでも鉄三郎様の了解を得て手続きをするとしよう。」
「はい、今後ともよろしくお願いします、」
僕は不思議な気持ちだった。トラックに轢かれて飛んだ世界で、自分を必要としてれる人に出会い、僕を心の底から心配して悩んでくれる人に出会えた。
どこか人間関係に冷めたような印象を受ける現代日本で生きていた僕には、人との繋がりを重視するこの時代にとてもぬくもりを感じた。