第八十四幕
僕の執務室に入ると三浦殿が一つの巻き紙を広げて、
「貞治殿、これは彦根藩の財政状況をまとめた物です。
あまり余裕があるわけではなく、その一因となっているのが直亮様の外国書物の購入費です。
ただでさえ高額なのに、その購入量がとても多いです。
この購入された書物のほとんどが貞治殿が翻訳されているとも聞いてます。仕事量の負担増加にも繋がっているわけですから、直亮様に購入を控えるように言って頂けませんか?」
「なるほど・・・、確かに次から次に新しい書物が来るので財政の心配は僕もしてましたね。一度、しっかりと話してみます。」
「お願いします。直弼様も最近では少し懸念されているようで不仲の一因にもなってきてます。
このあたりで不仲の原因になるものは排除しながら、二人の関係改善を目指すべきではないかと思います。」
「どうしていきなりそう思われたんですか?」
三浦殿は直亮様に対して反対派というか暴君扱いしていたと思っていた。確かに元藩主と次期藩主の仲が良いに越したことはないがそれにしても突然の提案であった。
「実は直亮様のご体調があまりよくないと言う話がありまして、
このまま行くと不仲のまま亡くなられる可能性もあります。
義父とはいえ、血を分けた兄弟でもあるわけですから少しでも良好な関係で心安らかになっていただいた方が良いのではないかと思いました。」
「確かに直亮様も50代半ばを過ぎておられますし、ご体調も心配ですね。承知しました、書物の件もありますし話をしに行ってきます。」
「ありがとうございます。なんと言っても大老職についておられた彦根藩主の中でも優秀な方との評価もありますし、もしかしたら先見の明がありすぎて我々には理解できなかっただけで我々の思っていたような方ではなかったのではないかと思えてきたのです。大老を辞された時も将軍家斉様が亡くなられて次の将軍派閥からの粛清から逃れるためだと思ってましたが、水野忠邦殿にも相談されていたとお聞きしてからは実は違ったのかも知れないと思うようになりました。」
僕は直弼様と初めて江戸に行ったときの事を思い出した。
江戸屋敷の門の所で剣術の稽古をしていた所に喧嘩をしていると勘違いして水野忠邦殿に止められた事があった。
僕はあの頃、派閥とかそんな事を理解していなかったし直亮様がどのような位におられるのかも理解していなかった。
歴史の教科書に書かれていた偉人に相談される凄い人くらいにしか思ってもいなかった。今からすれば相談される事も凄かったし天保の改革の裏に直亮様の存在があったのかと思うと本当に時代を裏から動かしていた人なんだと実感した。
「直弼様も埋木舎におられた頃はなぜ努力しているのかと陰で言われてました。あの努力が認められたのは最近ですけど、もしかしたら直亮様には理解者が現れなかっただけなのかもしれないですね。」
三浦殿は少しうつむいてから、
「我々藩士が至らないために直亮様が暴君と呼ばれていたのかもしれないと思うと恥ずかしい話ですね。
これらの大量の書物も未来を見据えての情報収集なのかもしれませんが財政の圧迫は看過できませんので、お話の方よろしくお願いいたします。」
三浦殿は頭を下げてから僕の部屋を出ていった。
僕も予定を調節して直亮様に会う事にした。