第八十一幕
-江戸彦根藩屋敷-
直弼は自室で書類の整理などの仕事をしていた。
「直弼様、こちらの書類も目を通して下さい。」
長野主膳が書類を持ってきたのを受け取った。長野主膳義言に関しては国学や和歌について色々と学んでいる所がある。でも貞治ほどの安心感はないし、長野主膳に関してはあまり評判が良くない部分もある。学者としての立ち位置もそうだが敵を作りやすい性格である事も評判の良く無さに繋がっているとみて間違いない。
こうなって考えると貞治がいかに人間関係を良好に保てる人間であったかがうかがえる。
初めてあった人とも角を立たせず、目上の方に気に入られやすく年下に慕われる感じの男である。
付き合いが長いというのもあってひいき目に見てる感じはあるがどうしても比べてしまう。
「ああ、あと三浦殿という方からお手紙が来ておりました。」
長野に渡された手紙を受け取り開いてみた。
三浦十左衛門は信頼のおける人物で彦根藩の財政を担当する元方勘定奉行と飛び地の領地である下野国佐野奉行を兼務している男である。交流はあったし直弼が世継ぎになったからと言っても態度が変わる事はなくダメな事はダメと言ってくる忠諫者である。
藩主である直亮の周りにはそういう人間が少ないし、先日には昔から使えていた家老の木俣守康様が亡くなられた事でさらに直亮に物が言える人間がいなくなってしまった。
そういう意味では貞治に中川禄朗、三浦十左衛門、小西貞徹、そして長野主膳も直弼からすれば信頼のおける人物でありたくさんの人に支えられている事がわかる。彦根藩に戻れば秋山善八郎もいるし、他藩にも信頼できる友人ができつつある。
ただ、支えてくる人同士で仲が良いかというと儒学者の中川禄朗と国学者の長野主膳がどうしてもうまくいっていない。長野が主張している国学理論として儒学を外道として排して、神道を皇国の正道とする事に加えて、国家の根本は民ではなく朝廷であるという本居宣長の神道説と国体論を合わせた佐幕的な政治論を展開しているため儒学教授の中川禄朗としては受け入れられない部分はある。
ちなみに長野主膳は尊王論ではあるが、幕府を倒して政権を朝廷に戻そうという革命説ではなく神意により武士が政権を任されているのであり、政権は朝廷の合意のもとに委任されているものであるという考えである。この考え方はとても深い考えで国家のためになるものだと考えている。
それぞれに学んできた事や経験した事から色々な考えがあり、その考えが衝突する事は必ず起こりえる。
そんな中でも自分のもとで一緒に働いてくれているのだからみんな仲良くして欲しいなと直弼は思った。




