第七十八幕
彦根に戻ってきて少し経った頃に江戸の様子が伝わってきた。
1847年2月15日に彦根藩は幕府から相州警備を命じられた。相模を川越藩主松平斉典、安房・上総を忍藩主松平忠国の二人が警備していたが、外国からの圧力などを感じるようになった幕府は沿海警備を強化するために彦根藩と会津藩主松平容敬を加えた。藩主である四名が任命されたが直亮様は参勤交代の関係で彦根藩に戻るタイミングだった事もあり直弼様が代理となっている。相州警備を任された直弼様はどうやら強い不満を感じているらしい。
相州警備を任された事自体を『当家の瑕瑾』だと言っていたらしい。僕としては瑕瑾がどういう意味かわからず周りの人に聞くと恥や辱め、名折れなどの意味だと教えてもらった。
なかなか判断が難しい話だが、直弼様がどのようにこの話を聞いて何を考えたのかというのがまったく分からない。直弼様の言った事を全体的に聞いた話ではないので一部分を切り取った言葉かもしれない。本当にそのような発言をしたのかどうかも直接聞いたわけではないから真実はわからない。
色々とわかっていない事が多いが仕事をするために彦根城に行った。
彦根城内を歩いていると犬塚外記殿が話しかけてきた。
「貞治殿、少しお話があるのですがお時間よろしいですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。何か問題でもありましたか?」
「少し込み入った話ですので、私の部屋で話しましょう。」
犬塚殿の執務室まで移動すると犬塚殿が深刻そうに
「直弼様の周囲の人間が少し不安になっておりまして。
知識のある方を中心に相談役として何人かおられるようなんですが少し思想に問題がある方もおられるようで直亮様や家臣に対して不満を漏らされているらしいんです。
相州警備の件はお聞きになられてますか?」
「色々と聞いてます。相州警備を任されたことが名折れだという話をされていたとか。」
「直亮様だけでなく、家臣の重役に対して直亮様に意見をしないから直亮様が暴走している原因になっているといわれているようです。」
「直亮様のお耳には届いていないのでしょうか?」
「ご相談はしてみたのですが、あまり気にかけている感じはなかったです。私にも直弼様が何かを言ってきてもすぐに対処するのではなく様子を見てからにせよとの命が来てます。
まったく、何を考えておられるのかわからないですね。
軍備に関してもかなり適当に配備されているようですし、このままでは直弼様がさらに恥をかかれるのではないかと心配です。」
「それはできるだけ避けたいですね。僕が信頼できる中川殿に少し仲裁をお願いしてみます。」
「ああ、彼ならなんとかしてくれそうですね。心苦しいですが私には何もできないのでよろしくお願いします。」
犬塚殿が頭を下げられたが、この状況は早く改善しないといけないなと思った。




